手稲土巧川と稲積川の合流点

手稲土巧川と稲積川の合流点

この時期、市内の小規模河川は雪解けで水かさが少しあがり、まだ川中の藪も育っていないので川の流れをしっかり見ることができるのですが、、、、、、。

汚いな、、、。

と、声をあげてしまったのが、の合流点です。

手稲土巧川は近隣の農地排水として開削された人口河川なのでしょうがないのでしょうか。一方稲積川は手稲山のふもとからながれ出し稲穂の街中を流れてくる自然河川なので、少しは期待したのですが、、、。

付近の汚れを浄化するのも川の役割でもあるのですよね。

その結果この時期は水の色も赤茶色で、道に積もった雪に付着した油なんかも雪が溶けて浮き出してくるのでしょうか。

最近、山の中の河川だったり、急峻な流れを持つ川だったり、水量の豊富な川だったりをみてきていて、緩い流れの川を訪れたのは久しぶりなので、そのギャップからくる感想なのかもしれません。

でも、こうやって雪解け後の川をみてみると、プラスチックやビニル、金属なんかのゴミの目立つこと、、、。自然への還元の難しい素材がゴミとなった場合、自然へのインパクトってもの凄く大きいんだなと、改めて思うのでした。

撮影場所 札幌市手稲区曙4条3丁目7−15
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材  SIGMA DP2

手稲土功川と前田川の合流点

稲土功川と前田川の合流点

札幌市内の春の足もどんどん進んでいます。ここ手稲区のの合流点付近の河畔の下草も緑を復活させつつあります。

ところで、今回訪れてきた手稲土巧川なのですが、手稲区の地史、特に前田地区、曙地区の中では重要な川のようです。水はけの悪い同地区の排水とここに入植をした開拓民たちの食い扶持としてこの手稲土巧川は開削工事がおこなわれ、大正14年に完成されました。その結果、付近は農地としてしっかりと着実に開拓をされていったようです。

今回訪れたこの両河川の合流点は手稲前田地区のメインストリートである下手稲通りに面しており、しかも運転免許試験場へと連なる道であるため手稲区民以外の人でも車を持っている人は一度は通ったことがあるでしょう。このあたりで、周辺を見渡すと川が合流しているのを認識していたでしょう。しかも、少し前までは手稲の運転免許試験場へといくためには、この手稲土巧川沿いの道路を通ることになり、沿線には自動車学校の支所のような事業所が立ち並びいつも活況を呈していたと記憶している方もおおいのではないでしょうか。

現在下手稲通りが星置まで直線的に伸びすんなりと広い道路で運転免許試験場までいけるので、手稲土巧川沿いを走る車も減っていますし、自動車学校の支所のような事業所もなぜか少なくなっています。

手稲の鉄北地区の街の成り立ちを支えた手稲土巧川には、その貢献のためか、親水区間とよべるような川べりに降りれる階段や、河畔の堤防沿いに等間隔でテラスがあったり、ちょうどこのあたりに土巧川のモニュメントがあったり、いろんなオブジェクトがあったりなのですが、、、。

この雪解け間際の時期のせいなのか、その構造物に触れたり親水設備を利用したりと思いたくないくらいに荒廃感がただよっていました。花の時期になれば河畔沿いには花壇のように花がさくのですが、それでも各親水設備の周りは藪だらけだっはずです。

手稲区は区内を流れる河川に対して割と親水空間をつくったりすることがすきなのようで、中の川や追分川、軽川、新川なんかに河畔緑地やテラス、東屋なんかを設置しています。結構利用されていたり、手稲のアピールとしてつかわれていたりとしているのですが、ことこの土巧川の親水設備に関しては、作ったはいいけどしっかりと管理していないような印象がぬぐえません。しかも水の色は赤茶色や白濁だったりと水に親しむ気持ちにならないのです。

せっかく人と河川のふれあいといった意味でつくったのでしたら、もう少し管理に気を回してもいいのではないかとおもってしまいます。

 

撮影場所 札幌市手稲区曙5条1丁目4−3
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材  SIGMA DP2

琴似川と宮の森排水の合流点

琴似川と宮の森排水の合流点

きっちりとしたコンクリで三面護岸されてはいるのに蛇行をしている。ここの付近で流れ込む川は、とのことを北海道美術館ネットというサイトで河田雅文さんの個展を見て、琴似川を思うという記事をインターネット読みましたので、早速いってみることにしました。宮の森中学校の端あたりからねらってみましたが、合流していそうな部分が見当たりはしません。でも地図上では宮の森排水と思わしき川は確かにここから東に進むと記載されているので、ここを撮影ポイントとしました。

琴似川は札幌の市街地区を流れる川として古くより親しまれているようで、その支流の情報を発信しているサイトも散見できます。今回は特に前調べをしたわけではありませんでしたが、機会を作ってこの宮の森地区の琴似川支流を探訪したくおもいます。

ところで、ここから東の山側に進むと小別沢地区につながる道があり、そのそばには奥三角山と呼ばれる山があります。今回はバウの2015年登山初日をだそうと、いってみることとしました。

ルートは小別沢トンネル脇からスタートをしてトンネル上部へ渡り、奥三角のピークを狙うこととします。

スタート地点は小別沢トンネル脇の林道?

スタート

スタート

車道にちかい部分はしっかりと土が露出していますが、その奥はまだ雪がつもったままです。ただ、今回はそれほど長い距離でもないので、ゴム長&毛糸の手袋&トレッキングポールで装備して、ズボンも雪用ズボンにはしなく普段のズボンでいくことにしました。ここから札幌市自然歩道・三角山~磐渓ルートへの合流までの雪道は所によりズボっとはきましたが、一面雪になっていることもなく道の端は土がでている所も多い状態でした。

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しばらく歩くと、自然歩道との出合いにつきます。

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ここでいきなり写真の質がかわったのは、もっていったDP2のバッテリーがいきなりきれてしまったのです。多分寒さでバッテリーが終ったのでしょう。しかも、ここに行く途中レンズキャップをおとしてしまい、レンズキャップ捜索にもと来た道を戻るというおまけ付でした。

IMG_0218
自然歩道上は、わりと地面がでている部分が多くもう雪山ではないですね。

ここからすぐいったところで、自然歩道は右にまがるのですが、今回は冬ルートとして使われる山頂への直登ルートをたどることとします。

直登取り付き

直登取り付き

この写真でみるとそれほどの傾斜にはみえませんが、このルート、かなりきつい傾斜です。気を抜いてずるっとすべればこの取り付きまでいっきにすべり落ちそうなくらいです。早朝なので、雪も硬く長靴ではキックステップもききません。所によってはうまってくれる場所もありますが、ほとんどは残されているトーレスを頼りに歩みをすすめていきます。特にきつい傾斜では、バウに習って四つんばいになりながらのぼっていきました。初めて四足登坂をためしましたが、凄く安定するもんなのですね。気分はクライマーでした。

バウと励ましあいながら、取り付きから15分で奥三角山山頂へとつきました。

奥三角山山頂

奥三角山山頂

市街地側は木が払われていてなかなかの景観を望むことができました。

奥三角山山頂から

奥三角山山頂から市街地を望む

カメラはiPhone5cでの撮影となってしまいました。本当はNIKON D3000ももっていていたのですが、なんとこちらもバッテリー切れで使うことができませんでした。いつもは前日にバッテリーチェックをしているのですが、今回はなぜかそれを怠ってしまい、こんな残念な顛末でした。この写真の方向から、右を向くと木々の隙間から石狩湾を望むことができたのですが、なんともiPhoneではこころもとない写りでしたのでUPはしていません。

山頂はとても風が強くバウがかわいそうだったので、五分ほどで下山することにしました。

下山ルートは登ってきた直登ルートを下る気にはなれず、自然歩道の小別沢から分岐する登山道を使うこととしました。こちらのルートは先ほどのアドベンチャーとは対照的にすごぶるハイキングな気分で歩くことができました。自然歩道に出会った後は奥三角山の斜面をトラバースするように山のすその野をあるいていきます。小別沢トンネルがみえだしたので、そちらに下って小別沢トンネルをくぐりゴールとあいなりました。

約1時間の気楽なハイキングですが、急登りあり、急傾斜のトラバースあり、癒しの緩やかな道ありと、バラエティに富んだ山行でした。今度またきてみようーっと。

 

奥三角山354m

撮影場所 北海道札幌市中央区宮の森1条16丁目6
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材  SIGMA DP2 / iPhone5c

追分川起点

追分川起点

主な道路沿いには、雪がほとんどなくなった札幌なのですが、積極的に除雪がおこなわれていなかった場所はご覧のように雪が残っています。

ここは、の起点となるところです。

この追分川、とてもいろんな不思議がつまった川です。現在はここを起点に宮の沢、手稲区西宮の沢をながれ、西宮の沢1条3丁目辺りのJRの線路あたりで、と合流をしているのですが、のことを追分川と呼んでいた時期もあり、旧中の川が追分川とよばれていたりと、そのつどそのつどで紆余曲折をしている川だったりしていました。

それに、このポイント、ほとんど中の川の河畔域なのですが、当の中の川からは取水をしているような流路がまったく見当たらないのです。万が一、どこか見えない所に追分川への分流取水口があったとしてもこの日の中の川の流量

中の川と上追分川の合流点

中の川と宮の沢川の合流点

(一つ前、二つ前のエントリーの写真を参照ください。)

を考えると、追分川のこの流量は不自然に少な過ぎます。

ただ、ここから水が湧いて、そこを源流としているとは考えにくいですし、どこかから、水が流れてきているのは明らかです。

中の川右岸のどこからかの生活排水を集めてここに流しているのでしょうか。そうすると、国道5号線を渡ったあたりから始まる追分川親水空間の衛生面での不安が残ります。じゃあ、浄水施設から水をひいているのかとあたりを見渡してもポンプらしきものが見当たりません。いったいこの水は どこからきているのでしょう。

追分川のこの二つのミステリー、いつか解いてみたいものです。

撮影場所 札幌市西区宮の沢2条4丁目7−51
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 Canon EOS KISS X2

中の川と宮の沢川の合流点

中の川と宮の沢川の合流点

天気が良いとバウとの散歩も気持ちのいいものです。それにこれくらいの時期の気温、風がなければ暑すぎず寒すぎず丁度良い感じの体感温度を提供してくれます。

先ほどのエントリーの中の川と上追分川の合流点から少し下流に移動をすると、今度はが合流するポイントに落ち合います。ゴミが浮いてしまっているのは春先ということでご勘弁を、、なのですが、ここで中の川に流れる宮の沢川の上流をながめてみると、写真でも小さくうつっていますが、こいのぼりが立てられていました。もうそんな時期なんだとやわらかな陽を浴びながらのんびりと散歩をたのしんだ一日でした。

ところで、宮の沢川なのですが、中の川、上追分川、と同じく西野市民の森の中に源流があるようなので、この三河川の源流めぐりなんて踏査をおこなってみたいですね。

先ほどエントリーした上追分川の河畔はあまり傾斜のない自然堤防風の護岸がなされていましたが、この宮の沢川は写真ではわかりづらいですが、親水区域が両面コンクリ護岸に点在しているようです。きっと夏に水が落ち着いたころには子供たちの川遊びの格好のポイントになるのでしょうね。もう少し水がぬるんできたら覗きにいってみようかな。

撮影場所 札幌市西区宮の沢2条3丁目15−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 Canon EOS KISS X2

中の川と上追分川の合流点

中の川と上追分川の合流点

日も長くなり、市街地での雪もほとんどなくなった札幌です。

そんな日の天気がよくなった一日に西区の西端、宮の沢に流れる沿いを撮影にいきました。このエントリーから3エントリーはそのときの写真を掲載していきます。

まず最初は、中の川との写真です。

写真をみてお分かりになるかとは思いますが、両面護岸が施された川の中には、藪の跡がわっさりと両河川ともあります。今時期は水量も多く、水面も上がってきていて藪もまだ立ち上がっていないのでこのように川面がしっかりとみることができますが、繁茂期になればきっと、川面も見えるかどうかの藪具合になるのでしょう。

西区を流れる川の中では、に次ぐ流路をもつ中の川ですが、この融雪期以外はわりと静かにながれていく川のイメージがあります。しかし川面には魚道がほどこされ、近隣の人の話によると、鮭ものぼってくるとのこと。実は思っているよりも流量のあるか川なのかもしれません。

一方上追分川は、宮の丘公園の脇を通り西野市民の森の中辺りに源をもつ川で、この融雪期にはかなりな勢いで水をながしていました。まさに北国の春の小川といった様相でした。機会があればこの上追分川の起点あたりを散策してみたいと思います。

撮影場所 札幌市西区宮の沢2条2丁目4−8
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 Canon EOS KISS X2

精竜の滝 (宮城沢川)

精竜の滝(宮城沢)

以前敗退した精竜の滝へリベンジしにいきました。結果としてはまたまた敗退なわけなのですが、、、、。

敗因としては、融雪期のの増水をきらって崖上を歩いていったため、結局は木々の隙間からしか写真を撮ることができなかったことなのですが、今回歩いてみてわかったのが、以前迷った藪の中から林道へはそれほど距離がなかったということです。

下記にGPSログを掲載します。

林道から10M~20Mといったところで、以前はうろうろしていたのです。今回は藪がないので、気楽にはいっていけました。

まぁ、今回は前回迷ったところの再確認という意味合いももってここに入っていったのでまぁよしとします。ただ、再度精竜の滝へは正規ルートを使ってアタックしようとも思っています。

で、ついでなので阿部山の麓を散策しようとおもいました。山頂へのアタックはこの日は午後から雨の予報がでていたので、はなから眼中にはありませんでした。どちらかというと次の冬山シーズンの山頂アタックへ向けて、宮城の沢ルートでの取り付きやすそうな場所 を踏査するといった意味合いです。

 

まずは、いつもの平和霊園の駐車場をスタートします。

スタート

スタート

平和霊園の中の道路はしっかり除雪されていて舗装もみえていたのですが、林道内はさすがに雪がこんもり。ただこの時期なので、つぼ足でいってみようと思います。一応カンジキはリュックに無理やりくくりつけてもっていきました。雪質は結構しまった雪で、つぼ足でもたまに脛くらいまでぬかるくらいでゆっくり歩くには丁度良い案配です。

しばらく歩くと、おなじみの第一渡渉地点です。

宮城沢第一渡渉地点

宮城沢第一渡渉地点

夏にきたときは宮城の沢川を長靴でジャブジャブわたっていったのですが、まだ水は冷たいでしょうし、今回は長靴とはいえどもトレッキング用の長靴なので、水に入るのはやめておきます。この鉄骨の橋をおそるおそるおちないようにわたることにしました。もう少しまえだとこの橋のよこにスノーブリッジができていて、百松沢山や阿部山へ登る人はそこを使うようです。ただスノーブリッジが落ちたあとでも渡った先の林道内には結構な数のトレースがありました。

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みなさん登っているのですね~。

ここからしばらくあるいてからTOPの写真を撮りに林道から外れて宮城の沢の崖の上を歩いて写真をとっていきました。脛くらいまではぬかったり、根開きしているところを見逃して腿あたりまでズボーっときたりしましたが、小鳥のさえずりを聞きながら気分よく歩いていき、やっぱりかという残念な気分で滝を写真に収めたあとは、377コブを目指して山の中に入ることにします。

いざ山中へ。

いざ山中へ。

丁度このあたりにピンクテープとトレースがあったので、それをたどることとしました。ここからは沢伝いに山の中へと進むのですが、目指す377コブをみてみると、一つ沢型を挟んだ向こう側、、、。雪に覆われていますが、もし下が解けていたら水ポチャ必至です。ここは無理をせずに、雪に覆われた沢と地図にものっている勢いのいい沢との間の尾根的なところ登っていきます。途中まであったつぼ足のふみ跡はいつしかなくなり、いつのまにかスキーの跡にかわっていました。まぁ、ちょうどいいやと思いゆっくりと疎林の中を歩いていきます。空はどんより曇り空。小鳥の声もいつしか聞えなくなってきました。これが晴れ間が出ていて小鳥のさえずりもきこえてきたのなら最高の気分で阿部山山頂をめざすのでしょうが、、この天気じゃぁね~~。

というわけで当初の計画通り377コブをめざします。といっても途中までは阿部山へのルートとほとんど同じ場所を通っています。ただ、進行方向右側の沢形がなくなる辺りで目処をつけてコブのほうへ逆進していきました。途中鹿のふみ跡を見ながらのまったりハイクです。風も少しふいたりしていますが、気温自体はそれほどさがっていないので、寒さもそんなにかんじません。

377コブの後ろコブ?

377コブの後ろコブ?

尾根にたどり着くとつぼ足のふみ跡が数本。ここを経由して阿部山に向かう人たちでしょうか?そんなことを思いながら377コブの後ろコブにたどりつきました。後ろをみてみると、阿部山の本尾根へととりつくかなりな急登りがみえます。私の足だとすぐには登れそうもない坂です。きっと阿部山山頂をめざしたら下山前に雨にあたってしまいますね。雪道で雨にあたるなんて最悪ですし、最後に渡渉もありますので、無理は禁物です。座右の銘はゆるゆる軽登山ですから。

そんなこんなで、377コブに到着しました。

377コブ

377コブ

コブ上からの景色はそれほど期待はしていなかったのですが、樹間からとはいえ360度山にかこまれている風景がみることができ、なかなか爽快でした。写真は377コブから阿部山山頂を撮ったものです。来シーズンはアタックしてみたいですね。

とりあえず目標地点まではたどり着いたので下山することにします。ただ帰り道は来た道とは違うところを通ってみようと、このコブの尾根伝いにおりてみることとしました。ただ、このコブの尾根は平和の滝の方面へ連なるので、それだと車を置いた平和霊園にはかなり遠回りをしてあるかなきゃいけません。そこで地図をみてみると都合のよさそうな場所に送電線があるのを発見、そこを目標に快速便でおりていこうとおもったのですが、、、、

そこは春山、おっきなトラップがありました。

気分よくコブから下り始めて10歩くらいで、

なんと!

胸までズボーーーーっ!! ときたのです。 首からさげていたDP2のあたりまでうまりました。。

うまった周りの雪は幸いにも硬く、つぼ足だったため笑いながら難なく脱出はできましたが、それ以降歩みは1/3のスピードに危なさそうな場所はストックでつつきながら確認、歩行方法もいつもの深雪くだりの大またでのかけるような歩きかたではなく、ゆっくりとクラストした急斜面をトラバースすかのように、一歩づつ足場をたしかめながらの歩き方となりました。春山の洗礼をしっかりとうけてしまい、ちょっとテンションがさがりかけてきたころに送電線につきました。

送電線

送電線

さぁ、ここから再度ルートを考えなきゃです。なぜかというと、送電線をたどるということは、
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こんな沢をまた越えなきゃいけないということです。
先ほどしっかりと胸までズボをくらったので、沢そばはなかなか行く気がおきません。そこで、沢と尾根との中間ルートを取ることにしました。そこでも慎重に慎重に歩みをすすめていたので爽快感がえられませんでしたが、そのおかげかこんな光景にでくわすことができました。

雪面の緑

雪面の緑

松林に囲まれた一角の雪面が松の葉で覆われて白い景色の中そこだけ緑に薄く輝いていたのです。遠めからみると、いったい何事かとおもいました。凄く幻想的で不思議な光景でした。

この宮城沢沿いは、以前の時も緑に移る宮城沢の幽玄な写真がとれましたし、私にとっては、苦行をしいられながらもなにがしかのサプライズを用意してくれています。

今回もそんな自然のサプライズプレゼントをしっかりとうけとれました。

ひとしきり写真をとったあとはゆっくりと下山しましょう。周りをみわたすと熊さんの遊び道具となった立ち枯れの木が沢山ありました。そういえば、ここ阿部山山域は熊のすみかがあるというのをどこかのブログでよみました。幸い足跡はないので、直近にはここに立ち寄ってはいないようです。 それでもこんな光景の中熊さんが遊ぶすがたを想像すると、怖いようなかわいいような不思議な気持ちになりました。

ここからは小さな崖下にむかった尻すべりや木につかまりながら林道へとおりていき、無事渡渉もすませ車がおいてある平和霊園にたどりつきました。

撮影場所 北海道札幌市西区平和
アプローチ難度 ★★★★☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000 / SIGMA DP2/iPhone5c

星置旧川道を歩く 星観緑地から星置南4丁目

星置川旧川道を歩く

ここ最近4エントリーは星観緑地近辺の川の合流点を掲載してきましたが、今回のエントリーはその締めくくりです。この星観緑地の西縁は札幌市と小樽市の境界となっています。市区町村の境界ってのは概して川の跡であることが多く、この小樽・札幌間の境界も間違いなくの旧流路であることが、今昔MAPの1916年の地図を見ても確認とれました。


そこで、折角なので、歩いてみようとバウと一緒にでかけていたのでした。

そのGPSの記録を下記にしるします。

では、歩行記をスタートします。

スタート

スタート

スタートは、起点の対岸からです。境界なので、写真にも少しうつっていますが、境界を示す紅白のポールがたっていましたので、そこを目印に歩いていきます。小樽側は行き捨て場になっていて、うずたかく雪がつまれていましたが、札幌側はすっかり雪が消えて畑の準備が始まりそうな感じでした。

星観緑地入り口

星観緑地入り口

そこから畑の縁沿いに歩くと、下手稲通りにぶつかり、星観緑地へと入っていきます。小樽側に目を向けると、であろうくぼ地も目にはいります。

ポンナイ川との境

ポンナイ川との境

この写真でみると左側に伸びるくぼ地が星置川の旧流路で右側のコンクリの構造物の先がポンナイ川の流路になります。

進行方向はもちろん、星観緑地の中へなのですが、この緑地の縁はちょっとした林になっており、融雪直後のため緑地の境界をしめる木の塀は所々倒れています。きっとこれから公園管理の人たちがいろいろと整備をしていくのでしょうね。景観的には殺伐とした景観がつづきます。ただ、この時期は藪はそだっていないので、苦労せず歩みを進めることができます。所々にイタドリが倒木のように地面に覆いかぶさっている場所もありましたので、そのあたりは少しだけ歩くのは難儀でした。

 

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この星観緑地の縁にはご覧のように塀と排水溝が終始ガイドのように存在しているので、これにそうように緑地内を散歩していきます。この散歩の間早めの時間でもあったので、緑地内では人に合うことはありませんでしたが、もし他の人が私たちの歩いている姿をみたら、なんて物好きなやつが歩いているんだと、おもったことでしょう。林の中に春をすこしずつ感じながら緑地内を縦断すると、今度は、ほしみ駅前通りにつきあたります。そこで撮ったのがTOPの写真になります。写真に写っている川はです。キライチ川はここからJRの線路を越えるまでは、星置川の旧流路をたどっています。境界線は鉄橋を渡ったあたりで、東南の方向に進んでいます。と、言うことは星置川とキライチ川の旧合流点は丁度鉄橋の下辺りだったのではという想像がつきます。

このキライチ側の堤防をたどって線路の向こう側にでようと、当初は計画していたのですが、どうやら堤防は線路下をくぐっていません。これはしょうがないと一旦GPSのトラックを止め、迂回をしていきます。線路の反対側には星観緑地はないので、あとは地図を見ながら境界線をたどることとなります。

線路の反対側にでたあたりで地図をたよりにをみまわしてみると、

良い感じの土管

良い感じの土管

排水溝が良い感じの土管を通ってキライチ川に流れ込むポイントを発見しました。川の跡って言うのはなにやら法律で構造物の建造が規制されていると読んだ覚えがあります。きっとこの排水溝にそって歩けばとしっかりとしたログがとれるのではと、トラックログを再開いたしました。

ちょうどほしみ駅を見渡せるポイントまででたので、撮り鉄をしながら、

ほしみ駅

ほしみ駅

東側をみてみると、良い感じに屈曲した道を見つけることができました。

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しっかりと排水溝もあり、これはあきらかに境界線であり星置川の旧流路であることがわかります。

写真にもうつっていますが、どうやら私有地を示すロープが木にそってはっていました。その左の小さな土手の上にはアルミの柵もみることができます。でもその柵とロープの合間は共有地になるのでしょう。ということでこのルートは土手の傾斜を通っていきます。星観緑地内もそうでしたが、今回の星置川の探索ルートはなかなかアドベンチャーなルートだなと思いながらこの土手を通りすぎると。

DSC_0020

ほしみ駅への道路にでてきます。この道路の反対側をみてみるとまた良い感じでどうろが湾曲しています。これはあきらかに川の跡の道ではないでしょうか。うきうきしちゃいますね。

道の両側は民地なのでしょうから不法侵入にならないように道路の真ん中をしっかりと歩いてゆくと、星置川の堤防がみえてきます。

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川跡らしき平地を探しGPSトラックを作っていこうと歩き星置川の堤防に上りゴールとしました。

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堤防に上がってから国道5号線方面に目をむけ星置川の上流をみてみると、星置川が谷間を作ってながれてくるのが見る事ができます。

あの谷間あたりが星置扇状地の始まりになるのでしょう。きっと昔のアイヌはこの先を川に沿いながら手稲山へのぼっていったのかなと、おもいつつ帰路についたのでした。

撮影場所 北海道札幌市手稲区星置 星観緑地~星置南4丁目
アプローチ難度 ★★☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000 / CANON EOS X2

清川起点

清川起点

まったく水もなければ、川らしい筋もなにもない空き地のようにみえますが、こここそがその昔が右に湾曲して現在の河口あたりまでながれていった、の起点となる場所なのです。グーグルマップでは川筋も描画されていますが、実際の現地はこんなものです。

清川は、その昔オタナイ川(小樽内川)アイヌ語で砂浜を流れる川ともよばれていて、その通り砂浜を東進していったのでしょう。そのころの絵図が、こちらのページに掲載されていましたので、ご覧になってみてください。

ところで、河口に砂浜を持つ河川は規模の大小を問わずかなり高い割合でそれまでの流れからは考えられないような湾曲をし蛇のように砂浜をよこぎり海に流れ込みます。私がいった中でも、がそれにあたります。今回の星置川や、前述の新川のように砂浜を持つけども汽水域から河口までも人の手によって流路を決定されている河川は直線的に海に入り込みますが、そうでない場合は前述のような形で海に流れ込みます。川によって運ばれてきた土砂が堆積をし、海の波によって削られ、それでも河川の水は流れてくる。その三者のせめぎあいの結果がこのような流路になっていったのでしょう。実際この星置のここらへんの地域の土壌は昔は石狩砂丘の一部であったようで、現在もここの土を踏んで歩いてみると、白石・厚別の泥炭の重い反発が返ってくるような土とも、南区の硬い反発が返ってくる岩盤の上や、そこに覆いかぶさる腐葉土のクッションのような反発とも違う歩き心地がしました。

この浜で漁をし、星置の扇状地で狩りを営み、手稲山に登り神に供物をささげていたこの地のアイヌは、手稲山から流れ落ちる星置川を滝のある上流部をソウシオキ、砂浜を流れるこのあたりからをオタナイとよんでおりそれぞれに別の物としてとらえていたのも、この地を歩き大地から足へと返ってくる心地を感じてみるとうなずける命名の仕方です。

そんなことを思いながら次の場所へと歩みをすすめたのでした。

 

 

 

撮影場所 北海道札幌市手稲区星置 星函橋そば
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

星置川と山口運河・ポンナイ川の分流点

星置川と山口運河・ポンナイ川の分流点

今回訪れたこの場所、札幌・小樽・石狩の地史上かなり重要なポイントの地点なのですが、それなのに、この閑散っぷりと景観の残念っぷり、、、、1周まわらないとその深みがわからないマニアックな秘境感たっぷりの場所なのです。

ここはどこかというと、札幌の西端手稲区星置と、小樽の東端銭函の境を流れるにかかる星函橋付近の、
へとその水をわける地点なのです。

まずは、いつもの通り今昔MAPさんで1916年の地図を、、

まずは、中央を流れる星置川。

現在はこのまま直線的に北上し、ドリームビーチと銭函サンセットビーチを分かちつつ河口を形成しているのですが、以前は、この地点でポンナイ川の川道ともう少しだけ上流の現在の谷地川の流路をたどって銭函の市街地で河口をつくっていました。それは、1916年の地図の「新川」と「運河」の表記をたどっていただければみることができるでしょう。新川・運河とくればさらにその直線的な流路をみれば、人工的に開削されたものとすぐに判断がつきます。では、それ以前はというと、1916年の地図では運河の先は点線になっており、小樽との境界線をつくりつつその点線をたどると50Mほどでというように表記され、現在の河口付近まで流れています。実はこれが開拓初期の星置川の流路なのです。このころの清川の河口付近の浜をオタネ浜といい小樽内とよばれた集落もあったのこと。それ以前は江戸期の松前藩によってここに小樽内場所を設け道央圏の拠点として存在していたとのこと。

次に、対岸に見える樋門から流れ出すと手前の樋門から流れ出す

この両河川とも、1916年の地図でもわかるとおり、銭函市街地から手稲を経由し前田を経由し石狩の花畔の(現・)まで貫通する一大運河の銭函・花畔間運河だったのです。この運河は鉄道が敷設された1916年の地図でもしっかりとそのしるしをつけています。1936年ころにはこの銭函・花畔間運河と新川を中心に、銭函に港を、現在の札幌新道と新川が交わる地点に札幌市街地への物資拠点を、花畔地区に石狩川の舟運を利用した拠点をといった、小樽・札幌・石狩を結ぶ一大運河計画もあったそうです、その後第2次世界大戦後しばらくしてもその舟運の要として重要性を保持していており、この銭函・花畔間運河を改造した運河計画ももちあがったほどです。その後陸運の発展とともにその計画はついえたようですが、現在のこの銭函・花畔運河の北部岸以降をみてみると、都市化にはいたらず様々な物流の拠点が点在しているのはそのころの計画の名残なのでしょうか。まぁ、砂丘地帯なので農作にあまり向かない地域であったのものその理由かもしれまんが、、、。ただこの一大運河計画、現在の国道337号線がその任を受け継いでしかも空路の千歳までその脈路をもって陸運の要となっていることを考えると、この一大運河計画まったく絵に描いたもちで終っているわけではなさそうですね。

ちなみ今昔MAPで確認をすると昭和51年の地図まではポンナイ川の表記はなく、平成9年の地図でやっとポンナイ川の表記となっていました。このポンナイという語感あきらかにアイヌ語由来なのですが、このような経緯からどうもこの川を地元のアイヌがポンナイとよんでいたようにはおもえません。第一に平成にはいってから星置地区にアイヌの集落があったとはおもえませんし、それにポン・ナイ(小さい・川/小さな沢)という言葉、アイヌと倭人が協業していたとしても明治30年には銭函・花畔運河が開通しており、多分それ以前から開削工事はおこなれていたので、それをポンナイと呼ぶにはいささか疑問が残る。唯一の可能性としては、ここに星置川が作った扇状地に湧く湧水がありそこからながれでる沢があり、それがポンナイとよばれており、その流れを利用したのが銭函からの運河であった。という推論なのだが、どうだろう。

いずれにせよ、このなにやらわびしいたたずまいのこの両河川に、こんな壮大な歴史妄想を語れるパワーが実はあったのでした。

撮影場所 北海道札幌市手稲区星置 星函橋
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 Canon EOS KISS X2