伏籠川起点(伏古水再生プラザ)
「サッ・ポロ・ペッ」乾いた大きな川は、豊平川とのこと。
奥定山渓に端を発し幾多の川を合わせた豊富な水量とそれに裏付けられた急峻なながれ、そして扇状地を形成後のやわらかい地質によって暴れ川の名をほしいままに、その流路の変遷を重ねています。
開拓前期、江戸期には現在の中島公園あたりから、丁度札幌駅の辺りまで流れつつ、現在の伏籠川の流路をたどっていたとのこと。そして、寛政年間の洪水で流路を変え現在の流路に近くなっていったようです。
取り残された流路は「フシコ・サッポロ・ペッ」と呼ばれ、それが転じて伏古川とよばれ、それが現在の伏籠川の元になっています。
開拓期の札幌の市街地はこの伏古川と、そこに流れる胆振川と小河川とメムで至る所に水場があったようです。そして、この伏古川、胆振川、豊平川の水を利用し、吉田堀、大友堀などが開削され、札幌の市街地が徐々に形付けられていくのです。
転じて現在、市街地を流れる河川は創成川のみとなり、後は暗渠化か埋め立てられていきました。豊平川から切り離された伏古川はメムを水源に細々とながれていっていましたが、地下水位の低下からその距離を段々と短くしていき、現在は、この写真にもあるように、伏古地区の伏古水再生プラザ(下水処理場)によって高度処理された水を水源として茨戸の茨戸川との合流点まで水を運んでいます。
最初はこんなたよりのない流れなのですが、東区、北区を流れる河川のほとんどをあわせていき、最下流では豊平川に次ぐ二番目の流量を誇る川として堂々とした姿を見せてくれています。
ここのそばには、伏古側の旧流路の一部と重複するように、道路がしかれ、その中央分離帯を利用して、
伏古大通なる緑地帯が整備されています。
区画間2600mで、道路の反対側にも公園が点在しており近隣の住民の方々のほどよい散歩道としてりようされていました。
私もこの日はそんな人たちに混ざってバウとの散歩をたのしんできました。
撮影場所 | 札幌市東区伏古8条1丁目2−35 |
アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★☆☆☆☆ |
撮影機材 | CANON EOS KISS X2 |
20年前に東区に住んでいました
とても興味深い内容でした
懐かしいです