大友掘を歩く。

大友掘を歩く。

札幌市は碁盤の目のように区画させた街としてしられています。

道に迷っても区画を角々ごとに一周すれば元の場所に戻れるので、初めてきたかたにも安心な街です。

でも、たまに区画と区画を斜めに突っ切るような横道があったり、直線基調の道のなかになぜかぐにゃりと曲がった小路があったりします。

そんな道は河川跡や用水を埋め立て跡だったりすることが多いので、わたしのような川好きにには好物な道だったりします。

そんな道をなんてタグをつけてこのブログでも紹介しています。

そんな私が、東区役所あたりから北13条東16丁目あたりまで走る斜めどおりを見逃すわけもなく、いろいろ調べていたのですが、、、。どうやらこの道路、元々が札幌開拓期に作られた陸運のための道路だったようです。

ところが、この道の先にあった元町付近の大規模農場「御手作場」が、川好きの私にもささってくる痕跡を残していたのでした。

この御手作場、明治維新の前、幕命により札幌を開削していくために任地した大友亀太郎が着手をした大規模農場で、大友は、この農場から札幌中心部への物資の運搬に先述の斜めどおり「牧場通り」を開削をし、さらに陸運ではカバーしきれない規模の物資の運搬のために、物流のための運河「」の開削をおこなっていたのでした。

そのルートは、

大友掘推定ルート

大友掘推定ルート

上の写真のようなルートになっています。

そうです!札幌の中心地を流れる人口河川、の元となっていった運河なのです。

そして、この大友亀太郎さんは、札幌開祖の一人として今でもしたしましれている人なのです。

川となれば、私の興味は盛り上がります。

実際に歩いてみようという気分になってきまして、いってきました。

スタートは、現創成川から分かれ東進を始める札幌中央郵便局の交差点あたりからとします。

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石狩街道が走り、西側には札幌駅がありJRタワーがその巨躯を誇り、まさに札幌の玄関口のすぐ裏手からのスタートです。

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旧テイセンボールがあった場所あたりから大友掘は東進をはじめているようなので、その横の道をたどることとしました。

あたりはしっかりと区画整備されており、まっすぐな道路をバウとともにあるいていきます。

大友掘跡を示す地図では、ここから現在の東区役所あたりまで斜めにまっすぐすすんでいるようなのですが、それが現在の区画の中ではかないません。それこそ碁盤の目をあみだくじのように進むしかないのです。

しばらくすすむと、

斜めの通り発見・

斜めの通り発見・

旧牧場通りであろう斜めどおりをみることができます。

この道を選ばずに旧牧場通りを離れていた大友掘の跡をたどってみようと東3丁目の一方通行をすこしだけ北上しつつ東進しつつすこしづつ東区役所へ向かうことにします。

北海湯

北海湯

北7条通りにでて東進すると札幌文化遺産百選に選ばれている、北海湯をみることができます。レンガつくりの2階建て、明治40年ころに建てられた大衆浴場だったようで、現在はSTUDIOとして営業されているようです。

この北7条通り、交通量も多く幹線道路の役割もある通りなのですが、この北海湯のすぐそばには、

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こんな木造の商店がまだのこっていたりしています。

東区のこのあたりは、路地にはいっていくと明治期から平成の今まで建造物がパッチワークのように入り乱れて存在している地区で街並や建造物に興味を持っている方々にはなかなか面白い場所かもしれません。

今回はそんな街並散策はほどほどに先を進むこととして、高崎商店の交差点を左に折れ東区の一大ショッピングゾーンへと入りこみます。

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この大きな駐車場を川に沿ったつもりで斜めに進んでいきます。

ここから東区役所までは、また碁盤の目のような道をカクカクと曲がりすすみつつ進んでいきます。

東区役所

東区役所

今回の最初のマイルストーン東区役所に到着しました。

かえってきてしったのですが、この東区役所の裏手あたりに大友掘を埋め立てた跡に作られた札幌市道の跡があるとのことでした。地図で見てみるとそれっぽい道にあたりをつけておいたので、今度いってみようと思います。

ここからは、本来ならば北光線に沿って地下鉄東区役所前までいくのがよかったのでしょうが、曲がる道を一本早くまがってしまっています。後述の地図に赤いルートで示したところが本来歩く予定の道です。

ところがこの間違いのおかげで、

光星緑地

光星緑地

緑地に出会うことができました。

緑地ってのは、

緑地は、法律上では「緑地保全地区」といい、法律 第七十二号 都市緑地保全法 第三章によると『都市緑地保全法都市計画法(昭和四十三年法律第百号)第五条の規定により指定された都市計画区域内において、樹林地、草地、水辺地、岩石地若しくはその状況がこれらに類する土地が、単独で、若しくは一体となつて、又はこれらに隣接している土地が、これらと一体となつて、良好な自然的環境を形成しているもの』とされている。

とされていて、だいたい平坦地の場合は、草地か水辺地跡につくられているものなのです。

いままでの道のりの中河川の痕跡をみることがまったくできなかったのですが、もしこの光星緑地が今回のターゲット大友掘りに関係なくとも、はたまた水辺そのものにさえかかわりなかったとしても、もしかしたら川の跡?なんて気持ちがわいてきました。

メムを形どったような花壇?を写真に収め、光星高校へと向かいます。

光星高校

光星高校

このあたりの光星という地域名の由来となった高校です。地区名が学校名由来ってのもめずらしいのですが、この光星地区の地区名の変遷は、鉄北→北光→鉄東→光星というように、わりと新しい呼び名のようです。それにしても鉄の字があてられているように、鉄道が開通してからの呼び名なので、大友掘が開削されていた時代の呼び名は今には残っていないのでしょう。

ここにきて、突然アイフォンのバッテリーが飛んでしまいました。山に行くときは命にもかかわるので予備バッテリーをもっていくのですが、街中ではもちあるきません。でもさすがに冬のこの時期だと街中でも気温は低くなるわけで、当然それが原因でバッテリーが切れたわけで、、、。ここからどうしようかとおもいましたが、天気もいいことでしたので、このまま散策を続けることにしました。

ここからは昔の地図を思い出しながら、大覚寺前の斜めどおり、旧牧場通りを目指して若干南下をします。

斜めどおり到着

斜めどおり到着

ここでまた道迷い。

本来のルートは、後述の地図に赤い線でひきました。こちらの道を通ったほうが、大友掘のルートに近いでしょう。

それはさておき後はこの斜めどおりを道なりに東16丁目まで進みます。

北12条東16丁目五叉路

北12条東16丁目変形交差点

斜めどおりを含んだ変形交差点のそのさきに見えるガソリンスタンドのむこうに今回のゴール地点があります。

大友公園へ

大友公園へ

写真に見えるJAさっぽろのうらて、少しくぼんだ場所に

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大友公園

 

大友掘が伏古川の旧流路へと水をあずけた碑のある大友公園へとたどりつくのでした。

唯一今回のルートで明確に河川跡だとわかるくぼ地です。

住宅地の一角に設置されているこのとても小さな公園には大友掘のことや札幌の開拓にかかわる重要な場所であることを示すボードが掲げられています。そしてこの公園の裏手には札幌郷土資料館があります。

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1980年に発掘調査がなんてかかれています。

札幌郷土資料館

札幌郷土資料館

今回のルート上、まったく河川の跡であろう場所に出会うことができませんでした。

人の手によって創られて、人の手によって埋められた水路はかくも痕跡を残すことなく、土地から消えていくものだなのだと、

このボードの文言によって改めてしることができた散策でした。

撮影場所 札幌市東区 光星地区
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2