伏籠川と赤坊川の合流点

伏籠川と赤坊川の合流点

 

3月に入り、時々雪がふるものの、三寒四温のことわざどおりすこしづづ春の息吹を感じられるようになってきました。

川のそばもすこしづつ雪が溶けだし土色を見せ始めています。

今回の写真の、の合流点でも春の息吹をかんじられるような光景でした。

ところで、赤坊川。なかなかに面白い名前です。

調べてみると、

明治二十一(1888)年ころ、苗穂刑務所の囚人たちが掘ったかんがい溝である。当時の囚人は赤い獄衣を着ていたので、人々に赤ん坊と呼ばれていた。このことから、「篠路赤坊川」の名が付いた。

札幌市北区ホームページより

とのこと。

開拓期の労働区分のうち、社会インフラ整備はこのように囚人たちの手によるものがおおかったのでしょうか。

開拓民にしてみれば、自分たちの開拓地の開墾で治水や運輸の要となるような社会インフラに手を貸す暇がなかったのかもしれませんよね。

このあたりは現在は立派な農地となっており、その利水・排水にこの赤坊川が果たした役割はとても高いと思います。

ところで、このポイントまでたどるまでの道筋。幹線道路から入り込み、舗装はされているものの細いクネクネした道が途切れ途切れ、しかもその状態で縦横にはしっているのです。

そこで、いつものように今昔くMAPで1916年のこのあたりの地図をみてみると、

どうやら、伏籠川の旧流路にそっていたのがうかがえました。

幹線の道道273号線から一度おくに入ると、このグネグネした道に翻弄され、なかなかここまでたどりつくことができませんでした。

広大な畑地や、荒地なんかで、昔の人たちが狐にだまされた。なんて昔話をよくみますが、このようなグネグネした道をたどってみるとさもありなんです。

そんな想いをいだきながらの、赤坊川探訪となったのでした。

 

 

撮影場所 北海道札幌市北区篠路町上篠路281
アプローチ難度 ★★★☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

大友掘を歩く。

大友掘を歩く。

札幌市は碁盤の目のように区画させた街としてしられています。

道に迷っても区画を角々ごとに一周すれば元の場所に戻れるので、初めてきたかたにも安心な街です。

でも、たまに区画と区画を斜めに突っ切るような横道があったり、直線基調の道のなかになぜかぐにゃりと曲がった小路があったりします。

そんな道は河川跡や用水を埋め立て跡だったりすることが多いので、わたしのような川好きにには好物な道だったりします。

そんな道をなんてタグをつけてこのブログでも紹介しています。

そんな私が、東区役所あたりから北13条東16丁目あたりまで走る斜めどおりを見逃すわけもなく、いろいろ調べていたのですが、、、。どうやらこの道路、元々が札幌開拓期に作られた陸運のための道路だったようです。

ところが、この道の先にあった元町付近の大規模農場「御手作場」が、川好きの私にもささってくる痕跡を残していたのでした。

この御手作場、明治維新の前、幕命により札幌を開削していくために任地した大友亀太郎が着手をした大規模農場で、大友は、この農場から札幌中心部への物資の運搬に先述の斜めどおり「牧場通り」を開削をし、さらに陸運ではカバーしきれない規模の物資の運搬のために、物流のための運河「」の開削をおこなっていたのでした。

そのルートは、

大友掘推定ルート

大友掘推定ルート

上の写真のようなルートになっています。

そうです!札幌の中心地を流れる人口河川、の元となっていった運河なのです。

そして、この大友亀太郎さんは、札幌開祖の一人として今でもしたしましれている人なのです。

川となれば、私の興味は盛り上がります。

実際に歩いてみようという気分になってきまして、いってきました。

スタートは、現創成川から分かれ東進を始める札幌中央郵便局の交差点あたりからとします。

IMG_3904

石狩街道が走り、西側には札幌駅がありJRタワーがその巨躯を誇り、まさに札幌の玄関口のすぐ裏手からのスタートです。

IMG_3909

旧テイセンボールがあった場所あたりから大友掘は東進をはじめているようなので、その横の道をたどることとしました。

あたりはしっかりと区画整備されており、まっすぐな道路をバウとともにあるいていきます。

大友掘跡を示す地図では、ここから現在の東区役所あたりまで斜めにまっすぐすすんでいるようなのですが、それが現在の区画の中ではかないません。それこそ碁盤の目をあみだくじのように進むしかないのです。

しばらくすすむと、

斜めの通り発見・

斜めの通り発見・

旧牧場通りであろう斜めどおりをみることができます。

この道を選ばずに旧牧場通りを離れていた大友掘の跡をたどってみようと東3丁目の一方通行をすこしだけ北上しつつ東進しつつすこしづつ東区役所へ向かうことにします。

北海湯

北海湯

北7条通りにでて東進すると札幌文化遺産百選に選ばれている、北海湯をみることができます。レンガつくりの2階建て、明治40年ころに建てられた大衆浴場だったようで、現在はSTUDIOとして営業されているようです。

この北7条通り、交通量も多く幹線道路の役割もある通りなのですが、この北海湯のすぐそばには、

IMG_3948

こんな木造の商店がまだのこっていたりしています。

東区のこのあたりは、路地にはいっていくと明治期から平成の今まで建造物がパッチワークのように入り乱れて存在している地区で街並や建造物に興味を持っている方々にはなかなか面白い場所かもしれません。

今回はそんな街並散策はほどほどに先を進むこととして、高崎商店の交差点を左に折れ東区の一大ショッピングゾーンへと入りこみます。

IMG_3949

この大きな駐車場を川に沿ったつもりで斜めに進んでいきます。

ここから東区役所までは、また碁盤の目のような道をカクカクと曲がりすすみつつ進んでいきます。

東区役所

東区役所

今回の最初のマイルストーン東区役所に到着しました。

かえってきてしったのですが、この東区役所の裏手あたりに大友掘を埋め立てた跡に作られた札幌市道の跡があるとのことでした。地図で見てみるとそれっぽい道にあたりをつけておいたので、今度いってみようと思います。

ここからは、本来ならば北光線に沿って地下鉄東区役所前までいくのがよかったのでしょうが、曲がる道を一本早くまがってしまっています。後述の地図に赤いルートで示したところが本来歩く予定の道です。

ところがこの間違いのおかげで、

光星緑地

光星緑地

緑地に出会うことができました。

緑地ってのは、

緑地は、法律上では「緑地保全地区」といい、法律 第七十二号 都市緑地保全法 第三章によると『都市緑地保全法都市計画法(昭和四十三年法律第百号)第五条の規定により指定された都市計画区域内において、樹林地、草地、水辺地、岩石地若しくはその状況がこれらに類する土地が、単独で、若しくは一体となつて、又はこれらに隣接している土地が、これらと一体となつて、良好な自然的環境を形成しているもの』とされている。

とされていて、だいたい平坦地の場合は、草地か水辺地跡につくられているものなのです。

いままでの道のりの中河川の痕跡をみることがまったくできなかったのですが、もしこの光星緑地が今回のターゲット大友掘りに関係なくとも、はたまた水辺そのものにさえかかわりなかったとしても、もしかしたら川の跡?なんて気持ちがわいてきました。

メムを形どったような花壇?を写真に収め、光星高校へと向かいます。

光星高校

光星高校

このあたりの光星という地域名の由来となった高校です。地区名が学校名由来ってのもめずらしいのですが、この光星地区の地区名の変遷は、鉄北→北光→鉄東→光星というように、わりと新しい呼び名のようです。それにしても鉄の字があてられているように、鉄道が開通してからの呼び名なので、大友掘が開削されていた時代の呼び名は今には残っていないのでしょう。

ここにきて、突然アイフォンのバッテリーが飛んでしまいました。山に行くときは命にもかかわるので予備バッテリーをもっていくのですが、街中ではもちあるきません。でもさすがに冬のこの時期だと街中でも気温は低くなるわけで、当然それが原因でバッテリーが切れたわけで、、、。ここからどうしようかとおもいましたが、天気もいいことでしたので、このまま散策を続けることにしました。

ここからは昔の地図を思い出しながら、大覚寺前の斜めどおり、旧牧場通りを目指して若干南下をします。

斜めどおり到着

斜めどおり到着

ここでまた道迷い。

本来のルートは、後述の地図に赤い線でひきました。こちらの道を通ったほうが、大友掘のルートに近いでしょう。

それはさておき後はこの斜めどおりを道なりに東16丁目まで進みます。

北12条東16丁目五叉路

北12条東16丁目変形交差点

斜めどおりを含んだ変形交差点のそのさきに見えるガソリンスタンドのむこうに今回のゴール地点があります。

大友公園へ

大友公園へ

写真に見えるJAさっぽろのうらて、少しくぼんだ場所に

IMG_3966

大友公園

 

大友掘が伏古川の旧流路へと水をあずけた碑のある大友公園へとたどりつくのでした。

唯一今回のルートで明確に河川跡だとわかるくぼ地です。

住宅地の一角に設置されているこのとても小さな公園には大友掘のことや札幌の開拓にかかわる重要な場所であることを示すボードが掲げられています。そしてこの公園の裏手には札幌郷土資料館があります。

IMG_3968

IMG_3969

1980年に発掘調査がなんてかかれています。

札幌郷土資料館

札幌郷土資料館

今回のルート上、まったく河川の跡であろう場所に出会うことができませんでした。

人の手によって創られて、人の手によって埋められた水路はかくも痕跡を残すことなく、土地から消えていくものだなのだと、

このボードの文言によって改めてしることができた散策でした。

撮影場所 札幌市東区 光星地区
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

旧伏籠川と学田川(旧伏籠川支流)の合流点

旧伏籠川と学田川(旧伏籠川支流)の合流点

 

SF映画にでてきそうな沈砂施設をもったの最下流。

この先の鉄格子の向こうには、暗渠に流れる、がこの川からながれてくる水をまちうけています。

旧伏籠川は札幌と石狩を結ぶ大幹線道路、石狩街道の下を流れていきます。

またこの石狩街道沿いの反対側には札幌の礎ともなったもながれています。

そんな大きな幹線道路脇でひっそりと人知れず旧伏籠川はながれていき、茨戸福移通りのあたりで、伏籠川と合流を果たします。

旧とついているのだから、きっと現伏籠川の旧流路かというと、1916年の地図ではどうやらそうではないようです。

ただ、伏籠川はいろいろな変遷をたどっている河川なので、もしかしたらどこかの時点で、この流路を通っていないとはいえないのも現実です。


本日写真を撮った場所は、篠路と太平の境目、学田通りと名づけられた道路と前述の石狩街道が合流する付近なのですが、この学田通りにそうようにながれているのが、学田川です。

学田川、見た目も排水を主な機能とした河川にみえます。

上に載せている今昔MAP上でも、用水路のしるしと里道のしるしが並行してしるされています。

その用水路のしるしはその先、琴似川にはあわせていなく、途中で止まっています。

また、現在の札幌市の河川区分でも、丁度そのあたりで学田川の流路は終っています。

と、いうことはこの学田川、琴似川(現在の旧琴似川)から水を引いた用水路としてはなく、付近の湿地の排水を目的とした排水路だったのではないかと推測がたちます。

そして当然のようにその排水路の維持管理のために里道がつけられていて、それが現在の学田通りになっているのではないでしょうか。

学田通り

この学田川の起点とされている地点まで今度あるいてみて、また旧琴似川にぶつかりそうな場所も視察をして、今回の持論の検証をおこなってみようと思います。

撮影場所 札幌市北区篠路1条1丁目1−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

鴨々川を歩く。

鴨々川を歩く。

紅葉の時期。雨まじりの天気。しっとりとした川と紅葉を求めて散策へといってきました。

現在の札幌を作り上げたともいえなくもなく、札幌へ遊びにきた人のほとんどが目にする川。取水口から南7条までの上流区間を特に鴨々川と呼ばれ親しまれています。その区間のほとんどは札幌の一大都市公園としてしたしまれている中島公園の中を流れ、この中島公園は紅葉の名所としてもしられています。

今回あるいたルートは以下の通り。

スタートは豊平川の幌平橋そばの取水口から、堤防を越えた直後から。

鴨々川起点

鴨々川起点

いつも狸小路あたりや、テレビ塔のそばをながれている創成川をみていると、この起点の水の量はびっくりです。190万都市のど真ん中を流れる川なので、水量調整を各所でおこなっているのでしょうか。

そんなことを考えながら、ここの左岸の藪地をもそもそとあるいていきます。ここから中島公園に入るまでは遊歩道なんてのは整備されていません。小雨の中靴を脱がしながらあるいていきます。

護国神社エリア

護国神社エリア

南18条の道路を渡り護国神社の公園敷地にはいると、いままで3面コンクリ護岸の味気ない川相がいきなりご覧のとおり侘びさびさえ感じさせる風情となってきます。

地図上では公園とはなっていませんが、この場所も中島公園の一部です。公園内を流れる川として親水区間として整備されているのでしょう。

いままでのいろいろな河川をみてきましたが、ここまで見事に整備されている親水区間はみたことがありません。最高の親水区間だと私は思います。

DSC_0127

七五三詣でまっさかりの護国神社を横目でみつつ南14条の道路をわたると、地図上でも緑地扱いとなる中島公園中盤エリアにはいります。ここでもご覧のように見事な親水空間が数10m続きます。

ここから鴨々川は中島公園の際を沿うような進路をとり始めます。

中島公園出入り口1付近

中島公園出入り口1付近

中島公園出入り口1付近で、鴨々川は完全に中島公園と他地区の境となります。

親水区間はまだまだ続きます。これだけの流量をもつ親水区間をこれだけ長い距離整備しているところもいままでみたことなく、でも、それを意識させることのない景観に溶け込んだ風景。まったく癒しの散歩道です。

そんな川端をとことこバウとまったりあるいてコンサートホールKITARAあたりまでいくと、親水区間は終り川の横には鉄柵がはられます。それでも遊歩道はしっかりと整備されているので、川のせせらぎを聞きながらの散歩は滞りなくおこなうことができます。

川をみてみると、

瀬?

KITARA裏の瀬

川幅が少しせまくなり石積み護岸となった鴨々川は瀬を作るほどの急な流れの顔をみせてくれます。

このあたりカラスに注意の看板があったりするのですが、中島公園のカラス。まったく人を恐れていません。それどころか犬にさえおびえません。写真をとっていると、カラスが地面をちょこちょことあるいてきてちかづいてきます。

バウが追いかけるとさすがににげますが、ちょっと飛んでは目の届く範囲に着地をしてまた近寄ってくるといった感じです。

もしかした大通り公園の鳩よりも人なれしているのではないでしょうか。

歩みをすすめると、豊平館エリアへと川端はつづきますが、このエリア豊平館の改修工事にともない立ち入ることができずに迂回をしいられました。さらにその先にある日本庭園エリアは犬をつれての立ち入りが制限されているので、バウ連れの私は入ることができません。歩みをどちらにとろうかと逡巡した結果、中島公園の由来となる、菖蒲池へと向かうこととします。

鴨々川をあるく

菖蒲池

菖蒲池はKITARA手前の鴨々川本流から水を引き込み池に水をたたえた後こども劇場あたりから本流へと水をもどしていきます。

絶好の撮影スポットらしく、この日も沢山の観光客やカメラマンが足をとめています。当然私もいろいろな写真をとってみます。

菖蒲池

菖蒲池

ここに泳ぐかももまったく人から逃げることをあまりしません。さすがに至近距離までちかずくとにげだしますが、こちらが危害をくわえないとわかっていれば平気に池の岸で羽を休めています。

写真をとりまくったあと、中島公園交番へと歩みをすすめて中島公園を出ます。

鴨々川すすきのエリア

鴨々川すすきのエリア

すすきのエリアに突入すると、コンクリ護岸にはなりますが、なんとなく景観に配慮すかのように柵は木柵風、2面の護岸にはつたを這わせて古い町並みを演出するような演出が施されています。

このあたりは錦鯉が放流されていて、
あきにこい

紅葉と鯉の見事なコラボをみることができます。

錦鯉エリアをすぎるとほどなく三面護岸となり、

創成川へ切り替わり

創成川へ切り替わり

南7条の創成川への切り替わり地点となるのでした。

今回の鴨々川逍遥はここで終りとしました。

いつもみている定規のようにまっすぐながれる創成川とはまったくちがった趣きを見せてくれた鴨々川。同じ流路の都市河川でもここまで表情を変えてくれる稀有な川だと今回改めて再認識させてくれた鴨々川散歩でした。

撮影場所 札幌市中央区 中島公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★★☆
撮影機材 NIKON D3000

 

伏籠川と篠路拓北川の合流点

伏籠川と篠路拓北川の合流点

の写真をとっていると、踏み切りの警告音が聞え初めてきました。 そこで第二伏籠橋の上にのぼってみてみると、ご覧のように、道道273号花畔札幌線の踏み切りと札沼線(学園都市線)の伏籠橋梁を通過する、735形電車を見る事ができました。

そしてここは丁度、の合流点なのでした。

篠路拓北川は写真の右下辺りの丁度伏籠川が少しくぼんでいる場所に流れ込んできます。源頭は札沼線沿線の南あいの里地区の耕作地で、その流路はほぼ直線と直角で構成されていて、下流部で伏籠川と併走をはじめる拓北1条2丁目あたりから蛇行をして自然河川風になっていきます。

果たして昔はどうったんだんだろうと、今昔MAPをみてみます。

1916年の地図をみてみると、現在篠路拓北川が蛇行している部分は伏籠川の流路であり、源流部の直線的な部分はどうやら耕作地の用水路のようです。

伏籠川の改修にともない、のこされた流路を用水路と連結をさせて現在の形となったと推測されます。

この川も、伏籠川の名残。

今回の散策は河川の昔の姿を訪ねる散歩となったようでした。

 

撮影場所 札幌市北区篠路5条10丁目 第二伏籠橋
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 nikon D3000

 

伏籠川と旧琴似川の合流点

伏籠川と旧琴似川の合流点

 

を離れ、今日の散策をおえようかと思っていた所、堤防沿いに綺麗に整備されている遊歩道がありました。最近はいつも山歩きをしているので、このままだと少し歩き足りない気分だったので、そのまま伏籠川下流にむかって歩くこととしました。

アオサギ飛翔

アオサギ飛翔

それと、堤防の遊歩道にたっていると、アオサギが何度も飛んだり降りたりしているので、それにつられて追いかけてなんてことを繰り返していたのも歩をすすめた一因でした。

そんなきままな散歩をしている最中突然あらわれたのが、この第二伏籠橋とその下で伏籠川と合流する、でした。

旧琴似川はその名の通り、札幌の中心部をながれているの、開削以前のその姿。現在の琴似川もお世辞にも水量豊富な河川とはいい難いですが、この旧琴似川の流量の寂しさは写真に写っているとおり、そこに川があるのかといえるようなものです。

しかし、この旧琴似川には、なんてのもあって増水時の対策がとられています。水はけの悪い平地である程度の規模の河川はやはり水があふれる脅威が存在しているのでしょう。

今、見ている川の姿が永劫続いていた・続くものではないことを実感できる場所かと私は思うのでした。

撮影場所 札幌市北区篠路5条10丁目10−22
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon D3000

 

伏籠川と篠路新川の合流点

伏籠川と篠路新川の合流点

 

と篠路五ノ戸の森緑地を写真に収めようと北区の篠路まで足をのばしていったわけなのですが、思いもよらず自分好みの写真がとれました。

以前もおとずれたことのあるの合流点です。

篠路新川は、モエレ沼を起点とし東区の用排水などを一手に引き受け、方や伏籠川は、伏古水再生プラザに集められた排水の高度処理水が流れる流路として、両方とも現代の平野部の中規模河川としては王道の河川のありかたとして存在しています。

とはいえ人の手垢にまみれようとも、自然はそんなことおかいまなく、この写真のように、鴨が群れておよぎ

あおさぎ

あおさぎ

あおさぎが餌をねらいながら首を伸ばす風景も随所に見受けられます。

こんな風景をみると、人もその営みもただただ自然の一部であるという理なんだと思わずにはいられません。

撮影場所 札幌市北区篠路4条10丁目11−14
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 nikon D3000

 

伏籠川と伏籠古川の合流点

伏籠川と伏籠古川の合流点

 

篠路五ノ戸の森緑地に端を発したは、

DSC_0549

篠路の街をのぞむことのできる、篠路ハルニレ公園の脇を通り、

DSC_0552

いきとどいた庭を持つ家々が立ち並ぶ住宅街をぬけ、TOPの写真の右にうつっている、オレンジの小規模な樋門をくぐりへと合流します。

この流路を今回たどったのですが、その形状といい、流れの淀み具合といい、その昔もこのようなながれだったのであるならば、伏籠川が残していった三日月湖説をとりたくなります。そうすると、伏籠川の旧流路であるから伏籠「古」川であるという論もなりたつようなきがしてきます。

はてさて実際の所はどうなのでしょうかね。

撮影場所 札幌市北区篠路4条10丁目9−12
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon D3000

 

伏籠古川起点

伏籠古川起点

 

フシコ・サッポロ・ペッ(古いサッポロ川) 伏籠川の名称由来。

サッポロ・ペッは、サッポロ川の意で現在の豊平川のこと。その川道が江戸後期の洪水によりその流路をかえ、本流から取り残された川道は、札幌扇状地の湧水を源にし、 茨戸川へとその水を預けていくようになった。現在はその湧水も枯れ、東区の伏古水再生プラザをその源とし、流域の中小の河川や用排水の水を集め茨戸川へと注いでいる。

そんな伏籠川に、なる支流が存在している。

元々が「古い」を冠した河川名のさらに古い川、、、、。

名前だけを見ると、数多に変遷のあった伏籠川の旧流路かと思うのだが、どうやらそういう訳ではないらしい。

場所は、北区篠路の篠路五ノ戸の森緑地。開拓期に青森の五戸出身の開拓民によって開墾された地の中の庭園だった場所。そこの湧水を源としてながれていた小川だったとのこと。なぜ、伏籠古川の名が冠されているのかはわからない。もしかしたら、水源の湧水は伏籠川から届けられる染み出した水だったかもしれないし、この川自体が伏籠川が残した三日月湖なのかもしれない。ただ確実なのは、開拓の人々によって認識された時点では、ただの小川であったのだろう。

伏籠古川の起点

伏籠古川の起点

そんな伏籠古川の流路の篠路五ノ戸の森緑地は、

篠路後五ノ戸の森緑地終点

篠路後五ノ戸の森緑地終点

秋の渇水期なのに水が散策路にあふれ出るような有様で、きっと川の底の泥や、いろいろな堆積物によって、水の流れが悪くなっているのでだろう。

緑地内も倒木が随所にあり、あまり管理されていないような印象をうけた。小規模な緑地だといたしかたのないことなのだろうが、きっと夏は蚊の丁度よい繁殖地になってしまうのではないだろうか。でも、それを狙っての小鳥たちも辺りの林の中には沢山いるので、いいバランスなのかもしれないが。

 

撮影場所 札幌市北区 篠路3条10丁目 篠路五ノ戸の森緑地
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 nikon D3000

 

発寒川と屯田川の合流点

発寒川と屯田川の合流点

下流域の前々回エントリーした、昨年秋にエントリーしてある、そして今回エントリーのと、支流のをあわせて、創成川水再生プラザの高度処理水を河道へ流す、札幌市の水と緑のネットワーク事業創成川ルートとして導水事業がすすめられていたことを、今回の撮影逍遥で学びました。

前回エントリーの発寒川の姿から見比べると、川幅も大きく鳥や魚などの川辺の生き物も豊富さに驚きます。の分流点から歩いて十分くらいでこの変わりようです。人の叡智ってのはここまで劇的に自然環境を変えることができるものですね。

元々、水と緑のネットワーク事業っていうのは、札幌市の都市化の影響による水環境の悪化が見られる地域を豊かな水環境に再整備しようとする事業だそうで、その目的はこの姿をみるかぎり成功をしたといっていいのでしょうね。

自然を壊すのも人、再生させるのも人

いささかマッチポンプなようなきがしますが、人の営みの中ではいたしかたないといったところでしょうか。

ところで、この写真を撮った場所なのですが、発寒川右岸に場所を移しました。地図の市境界線をみてみてくてださい。

どうやら、この場所、石狩市に組みされているようです。境界線ってのはだいたい山の峰や川筋に沿ってつけられていることが常なので、きっとこのうねうねとした境界は発寒川の以前の流路だったのでしょうね。

このあたりの花川地区の元になった、樽川村、花畔村の開村は明治4年~5年。現在の発寒川がうまれたのは、 新川開削後であり、その工事は明治19年から20年にわたっておこなわれています。新川開削までは、いくらかの河川改修がおこなわれていたとはおもいますが、手稲山からの水を 石狩川まで運んでいたはずなので、そのころの流路が現在の札幌市と石狩市の境界としてのこっているのでしょうか。

川を撮って歩いていると、川そのものはもちろん、川が残していった歴史なんてのにも触れることができます。なかなか楽しいものですね。

撮影場所 石狩市花川東
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000