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釧路川~幣舞橋~

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6月のある日、北見から釧路にむかった。

その日の北見はとてもいい天気で夏の日差し。

国道240号線をたどりつつ、南下をしていき阿寒町の釧路湿原の西の端あたりにさしかかる手前あたりから釧路方面に霧がかかっているのが車窓からすぐわかった。

阿寒町をすぎると一面霧。

不慣れな道路を迷いながら釧路市街地へ。

宿の側には食べ物屋がなかったので、グーグルマップを頼りに食べ物のありそうな市街地中心部へ、足を伸ばす。

ちょうどよい駐車場を見つけると、すぐ目の前に釧路川と幣舞橋。

釧路の風景としてはあまりにも有名な場所なので、かばんに忍ばせたsigma dp2を取り出した。

三脚はもっていなかったので、ちょうどよさげな構築物を見つけその上にカメラを置き13sのスローシャッターでとってみる。

スローシャッターでの撮影が久々で、何枚もシャッターを切った。

案外、暗くなっても市民のみなさんが散歩をしているようで、

スーツ姿で写真をとっている私は変わり者にでもみえていただろうか。

 

撮影場所
北海道釧路市幣舞橋
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 sigma dp2

石狩川(第1石狩川橋梁)

石狩川(第1石狩川橋梁)

今回は、旭川から札幌に向かうL特急スーパーカムイの車窓から、江部乙妹背牛間にある石狩川第一橋梁を撮影。

長大なは大雪山から流れ出し、上川盆地をカムイコタンでぬけると広大な石狩平野を形成しながら、石狩市で日本海に注いでいる。

石狩平野を流れているその大部分の右岸左岸には、それぞれJR函館本線とJR札沼線がつかず離れず走っている。

その鉄路が直接石狩川を渡るポイントは案外少ない。

左岸、右岸と分けて鉄路が走っているので当然といえば当然なのだが、札沼線ではあいの里公園~石狩太美間の石狩川橋梁の一つだけ。函館本線ではこの石狩川第1橋梁と、近文~旭川間の石狩川第2橋梁の二つだけ。

その3本ともかなり古くからかけられている橋だ。

写真の石狩川第1橋梁は旭川行きの下り側を反対ののぼり側から撮影している。昭和31年に架け替えられた橋で元々は明治31年にかけられていたもの。

夕日に染まるこのトラスト橋にいくばくかの郷愁を感じた札幌への帰路の途中だった。

 

 

撮影場所
滝川市江部乙町 雨竜郡妹背牛町 石狩川第一橋梁
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 iPhone 5c

 

厚別川旧流路を歩く。

厚別川旧流路を歩く。

バウとの散歩でたまに訪れる白石区の川下公園。

バウと川下公園

バウと川下公園

この公園のをぐるりと取り巻くクネクネした道。

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以前より気になっていました。

そこで、いつもの通り今昔MAPで川下公園をみてみると、

現在のは新川と表記されており、外周の道沿いが厚別川との表記があります。

そこで、川下公園から出たところを起点として、上流に向かって厚別通りにかかる橋のあたりまでの区間を歩いてみることにしました。


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川下公園を出てすぐに、川下西というバス亭がありました。

このグネグネとした道もバス路線となっているのです。

それほど民家はないのですが、鉄工の工場や畑や土建屋さんの事務所なんかがあります。

札幌市の元泥炭地はこのような光景が多々見受けられ、だいたいはバス路線になっています。

そしていい感じにグネグネしたカーブの道を歩いてくと、

厚別川旧流路?

厚別川旧流路?

厚別川の旧流路かなと思われる側溝がありました。

川下公園の外周通りと厚別川の旧流路は、その大部分が並行に進んでいるように地図ではみえるのですが、道路上からはあまりその流路をみることのできる場所は多くないようです。

それでも所々に、

厚別川旧流路?

厚別川旧流路?

このような川の姿をみることができました。

今回は川をみながらの散策を楽しむというよりも、グネグネとした道を歩いて楽しむといった趣きでした。

そして、札幌郊外のちょっとした風景と昔ながらのランドマーク?

民家にあった郵便業務の看板

民家にあった郵便業務の看板

に面白さを感じながらの散策となっていました。

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バス路線はここのT字路から西進をし、旧厚別川の流路を離れます。そして道路の形状もクネクネからまっすぐになり始めます。

道の向こうには、厚別通りに建っている高層住宅が望めるようになります。

そしてしばらくあるくと、

厚別川本流との分流点付近

厚別川本流との分流点付近

厚別川との分流点付近へと到着します。

冬枯れの厚別川の河畔林を越してみる高層住宅が自然と人の手の対比をみることができ、なかなかいい雰囲気を味わうことができました。

今回の厚別川旧流路はその一部だけをあるていみましたが、機会を作ってその先にもいってみたいですね。

 

撮影場所 北海道札幌市厚別区川下
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

大友掘を歩く。

大友掘を歩く。

札幌市は碁盤の目のように区画させた街としてしられています。

道に迷っても区画を角々ごとに一周すれば元の場所に戻れるので、初めてきたかたにも安心な街です。

でも、たまに区画と区画を斜めに突っ切るような横道があったり、直線基調の道のなかになぜかぐにゃりと曲がった小路があったりします。

そんな道は河川跡や用水を埋め立て跡だったりすることが多いので、わたしのような川好きにには好物な道だったりします。

そんな道をなんてタグをつけてこのブログでも紹介しています。

そんな私が、東区役所あたりから北13条東16丁目あたりまで走る斜めどおりを見逃すわけもなく、いろいろ調べていたのですが、、、。どうやらこの道路、元々が札幌開拓期に作られた陸運のための道路だったようです。

ところが、この道の先にあった元町付近の大規模農場「御手作場」が、川好きの私にもささってくる痕跡を残していたのでした。

この御手作場、明治維新の前、幕命により札幌を開削していくために任地した大友亀太郎が着手をした大規模農場で、大友は、この農場から札幌中心部への物資の運搬に先述の斜めどおり「牧場通り」を開削をし、さらに陸運ではカバーしきれない規模の物資の運搬のために、物流のための運河「」の開削をおこなっていたのでした。

そのルートは、

大友掘推定ルート

大友掘推定ルート

上の写真のようなルートになっています。

そうです!札幌の中心地を流れる人口河川、の元となっていった運河なのです。

そして、この大友亀太郎さんは、札幌開祖の一人として今でもしたしましれている人なのです。

川となれば、私の興味は盛り上がります。

実際に歩いてみようという気分になってきまして、いってきました。

スタートは、現創成川から分かれ東進を始める札幌中央郵便局の交差点あたりからとします。

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石狩街道が走り、西側には札幌駅がありJRタワーがその巨躯を誇り、まさに札幌の玄関口のすぐ裏手からのスタートです。

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旧テイセンボールがあった場所あたりから大友掘は東進をはじめているようなので、その横の道をたどることとしました。

あたりはしっかりと区画整備されており、まっすぐな道路をバウとともにあるいていきます。

大友掘跡を示す地図では、ここから現在の東区役所あたりまで斜めにまっすぐすすんでいるようなのですが、それが現在の区画の中ではかないません。それこそ碁盤の目をあみだくじのように進むしかないのです。

しばらくすすむと、

斜めの通り発見・

斜めの通り発見・

旧牧場通りであろう斜めどおりをみることができます。

この道を選ばずに旧牧場通りを離れていた大友掘の跡をたどってみようと東3丁目の一方通行をすこしだけ北上しつつ東進しつつすこしづつ東区役所へ向かうことにします。

北海湯

北海湯

北7条通りにでて東進すると札幌文化遺産百選に選ばれている、北海湯をみることができます。レンガつくりの2階建て、明治40年ころに建てられた大衆浴場だったようで、現在はSTUDIOとして営業されているようです。

この北7条通り、交通量も多く幹線道路の役割もある通りなのですが、この北海湯のすぐそばには、

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こんな木造の商店がまだのこっていたりしています。

東区のこのあたりは、路地にはいっていくと明治期から平成の今まで建造物がパッチワークのように入り乱れて存在している地区で街並や建造物に興味を持っている方々にはなかなか面白い場所かもしれません。

今回はそんな街並散策はほどほどに先を進むこととして、高崎商店の交差点を左に折れ東区の一大ショッピングゾーンへと入りこみます。

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この大きな駐車場を川に沿ったつもりで斜めに進んでいきます。

ここから東区役所までは、また碁盤の目のような道をカクカクと曲がりすすみつつ進んでいきます。

東区役所

東区役所

今回の最初のマイルストーン東区役所に到着しました。

かえってきてしったのですが、この東区役所の裏手あたりに大友掘を埋め立てた跡に作られた札幌市道の跡があるとのことでした。地図で見てみるとそれっぽい道にあたりをつけておいたので、今度いってみようと思います。

ここからは、本来ならば北光線に沿って地下鉄東区役所前までいくのがよかったのでしょうが、曲がる道を一本早くまがってしまっています。後述の地図に赤いルートで示したところが本来歩く予定の道です。

ところがこの間違いのおかげで、

光星緑地

光星緑地

緑地に出会うことができました。

緑地ってのは、

緑地は、法律上では「緑地保全地区」といい、法律 第七十二号 都市緑地保全法 第三章によると『都市緑地保全法都市計画法(昭和四十三年法律第百号)第五条の規定により指定された都市計画区域内において、樹林地、草地、水辺地、岩石地若しくはその状況がこれらに類する土地が、単独で、若しくは一体となつて、又はこれらに隣接している土地が、これらと一体となつて、良好な自然的環境を形成しているもの』とされている。

とされていて、だいたい平坦地の場合は、草地か水辺地跡につくられているものなのです。

いままでの道のりの中河川の痕跡をみることがまったくできなかったのですが、もしこの光星緑地が今回のターゲット大友掘りに関係なくとも、はたまた水辺そのものにさえかかわりなかったとしても、もしかしたら川の跡?なんて気持ちがわいてきました。

メムを形どったような花壇?を写真に収め、光星高校へと向かいます。

光星高校

光星高校

このあたりの光星という地域名の由来となった高校です。地区名が学校名由来ってのもめずらしいのですが、この光星地区の地区名の変遷は、鉄北→北光→鉄東→光星というように、わりと新しい呼び名のようです。それにしても鉄の字があてられているように、鉄道が開通してからの呼び名なので、大友掘が開削されていた時代の呼び名は今には残っていないのでしょう。

ここにきて、突然アイフォンのバッテリーが飛んでしまいました。山に行くときは命にもかかわるので予備バッテリーをもっていくのですが、街中ではもちあるきません。でもさすがに冬のこの時期だと街中でも気温は低くなるわけで、当然それが原因でバッテリーが切れたわけで、、、。ここからどうしようかとおもいましたが、天気もいいことでしたので、このまま散策を続けることにしました。

ここからは昔の地図を思い出しながら、大覚寺前の斜めどおり、旧牧場通りを目指して若干南下をします。

斜めどおり到着

斜めどおり到着

ここでまた道迷い。

本来のルートは、後述の地図に赤い線でひきました。こちらの道を通ったほうが、大友掘のルートに近いでしょう。

それはさておき後はこの斜めどおりを道なりに東16丁目まで進みます。

北12条東16丁目五叉路

北12条東16丁目変形交差点

斜めどおりを含んだ変形交差点のそのさきに見えるガソリンスタンドのむこうに今回のゴール地点があります。

大友公園へ

大友公園へ

写真に見えるJAさっぽろのうらて、少しくぼんだ場所に

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大友公園

 

大友掘が伏古川の旧流路へと水をあずけた碑のある大友公園へとたどりつくのでした。

唯一今回のルートで明確に河川跡だとわかるくぼ地です。

住宅地の一角に設置されているこのとても小さな公園には大友掘のことや札幌の開拓にかかわる重要な場所であることを示すボードが掲げられています。そしてこの公園の裏手には札幌郷土資料館があります。

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1980年に発掘調査がなんてかかれています。

札幌郷土資料館

札幌郷土資料館

今回のルート上、まったく河川の跡であろう場所に出会うことができませんでした。

人の手によって創られて、人の手によって埋められた水路はかくも痕跡を残すことなく、土地から消えていくものだなのだと、

このボードの文言によって改めてしることができた散策でした。

撮影場所 札幌市東区 光星地区
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

伏籠川起点(伏古水再生プラザ)

伏籠川起点(伏古水再生プラザ)
「サッ・ポロ・ペッ」乾いた大きな川は、とのこと。

奥定山渓に端を発し幾多の川を合わせた豊富な水量とそれに裏付けられた急峻なながれ、そして扇状地を形成後のやわらかい地質によって暴れ川の名をほしいままに、その流路の変遷を重ねています。

開拓前期、江戸期には現在の中島公園あたりから、丁度札幌駅の辺りまで流れつつ、現在のの流路をたどっていたとのこと。そして、寛政年間の洪水で流路を変え現在の流路に近くなっていったようです。

取り残された流路は「フシコ・サッポロ・ペッ」と呼ばれ、それが転じて伏古川とよばれ、それが現在の伏籠川の元になっています。

開拓期の札幌の市街地はこの伏古川と、そこに流れる胆振川と小河川とメムで至る所に水場があったようです。そして、この伏古川、胆振川、豊平川の水を利用し、吉田堀、大友堀などが開削され、札幌の市街地が徐々に形付けられていくのです。

転じて現在、市街地を流れる河川はのみとなり、後は暗渠化か埋め立てられていきました。豊平川から切り離された伏古川はメムを水源に細々とながれていっていましたが、地下水位の低下からその距離を段々と短くしていき、現在は、この写真にもあるように、伏古地区の伏古水再生プラザ(下水処理場)によって高度処理された水を水源として茨戸の茨戸川との合流点まで水を運んでいます。

伏古水再生プラザ

伏古水再生プラザ

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最初はこんなたよりのない流れなのですが、東区、北区を流れる河川のほとんどをあわせていき、最下流では豊平川に次ぐ二番目の流量を誇る川として堂々とした姿を見せてくれています。

ここのそばには、伏古側の旧流路の一部と重複するように、道路がしかれ、その中央分離帯を利用して、

伏古大通

伏古大通

伏古大通なる緑地帯が整備されています。

伏古大通

伏古大通

区画間2600mで、道路の反対側にも公園が点在しており近隣の住民の方々のほどよい散歩道としてりようされていました。

私もこの日はそんな人たちに混ざってバウとの散歩をたのしんできました。

撮影場所 札幌市東区伏古8条1丁目2−35
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

福住小川公園(うらうちない川)

福住小川公園(うらうちない川)

今回のエントリーは、公園内にが静かに流れる、福住小川公園にて写真を撮ってきました。

親水設備が設置されていて、夏の暑い日は子供たちが川遊びをしてい楽しむ姿を見ることができます。天然の川をながしているので、川の周りにすむ生き物もいっしょにみることができるのでしょう。

この写真のような水のたまりをもう一箇所つくってあり、そちらも川の中まで入ることができますが、ここ以外の場所は割りと深めの石積みの護岸がされており、さらにこの公園をでると、うらうちない川はコンクリート護岸をされ柵で覆われています。

公園内や周りには、

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あじさいや、菊?の仲間が可憐にさいていました。
夏の花も見ごろですね。

札幌市にはこのような親水施設をもった公園が各所にあって今後そういうところもみにいってみようと思います。

ちなみに、この公園のそばには、

札幌ドーム

札幌ドーム

札幌ドームがあり、その敷地の中にもうらうちない川の河道があります。そこもうらうちない川は石垣での護岸となっていて、小川的な雰囲気をかもしだしているのですが、この日は丁度ドームで日ハムの試合がありました。残念ながらうらうちない川のそばまでいく通路が封鎖されていて、柵の外から指をくわえてみているだけにとどまりました。

 

撮影場所 北海道札幌市豊平区福住2条2丁目5 福住小川公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

富志戸川とフシコ第1枝川の合流点 (ながぬまコミュニティ公園)

富志戸川とフシコ第1枝川の合流点

長沼町のながぬまコミュニティ公園内に架けられている旧舞鶴橋からの撮影です。

この公園内の貯水池に流れ込む川は、写真の手前に写っているが公園の東端を沿うようにながれ

フシコ第1枝川

フシコ第1枝川

公園の西端でが流れ込みこ

富志戸川

富志戸川

そのすぐあとに、貯水池を抜け出し支流の山根川へとむかっていきます。

 

この公園は長沼町の大きな公園事業によって造成されていて、近くにはマオイオートランドというオートキャンプ場や、ながぬま温泉などの施設が盛りだくさんにそろっています。公園内のほとんどを占めるのはパークゴルフ場で広々とした公園で汗を流し、ながぬま温泉でご飯と温泉につかっていくのが定番メニューな感じなのでしょう。

しかし、私の興味は、、、

こちらに向かうのでした。

夕張鉄道25号機とさくら

夕張鉄道25号機とさくら

バウとハイキングしようと馬追丘陵の瀞台(馬追山)(瀞台山行は次のエントリーにゆずります)にむかっている途中、この公園そばを車で通過しようとしたときに、こいつが目に飛び込んできたのです。

夕鉄25号機正面

夕鉄25号機正面

パークゴルフ場の中にひっそりとは言い難いそのくろがねの勇姿をたたえ、雨だれや塗装の浮いた場所から覗く赤錆にも風格を漂わせる、旧夕張鉄道25号機の姿を!

夕鉄25号機後景

夕鉄25号機後景

大正10年製造

蒸気機関車49694として大正10年から札幌鉄道に乗り入れ主に室蘭本線で活躍、その後夕張鉄道へ払い下げられ25号機として昭和36年から昭和50年まで運用されていたとのこと。

私、撮り鉄はありますが今まで静態保存の車両にはそれほど興味がありませんでした。しかし、この桜の中にたたずむ夕鉄25号機をみると、、、やはり写さずにはいられませんでした。

夕鉄25号機機関室

夕鉄25号機機関室

このなんともいえない漆黒の鉄塊感。SLってのはやはり迫力がありました。

ちなみにTOPの写真の旧舞鶴橋ですが、

 長沼町舞鶴地区は、南長沼と恵庭市との境界にあって昔はこの辺り湿地が多く、丹頂鶴がよく見られたことからこの地名となったという。

「旧舞鶴橋」は道道45号栗山恵庭線が千歳川を渡るところに架かる橋で、昭和7年から千歳川屈曲部の切替工事が行われ、昭和11年陸軍大演習の際に重車両を通すために鋼橋に架け替えられた。
橋にかかる力を主に桁で支え、アーチで補強するランガーガーダー式という構造で作られた北海道で最初の橋で、同じ構造では全国でも2番目に古い橋とされている。

現在の舞鶴橋の完成により平成5年にその役目を終え撤去されたが、歴史的価値が評価され、平成7年に「ながぬまコミュニティ公園」内に移設・復元されて親しまれている。

とのこと。

ながぬまコミュニティ公園、、、

遺構好きにはまったくワンダーランドな公園でした。

 

 

撮影場所 北海道夕張郡長沼町 ながぬまコミュニティ公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

篠路新川とモエレ中野川の合流点(モエレ沼)

篠路新川とモエレ中野川の合流点
2014年2月1日 冬のモエレ沼散策シリーズ第2弾です。

今回はモエレ沼公園の北端に位置する、の合流点です。

モエレ中野川、、、この名前の通り、この川は比較的新しい河川になるのでしょうか。流域も面白く、モエレ沼が終り流れを通常の河川然となった篠路新川から水をわけ、南下(篠路新川上流域=モエレ沼)へと水を戻すような形で川の名前を調べる地図では分類立てています。こちらの河川もほとんど流れのないモエレ沼の水量調整の役割をになった連絡水路になるのでしょうか。

ところで、ご覧の通り、モエレ沼公園の外周路はこの時期雪の散策路となり、スノーシューなんかの軽い運動に丁度よい感じになっています。この日もそこそこ雪がつもっていました。そんな中をゴム長つぼ足でずぼずぼあるいて散策したわけですが、数回転びそうになったりして、思わぬ雪遊びとなっていました。

そんなになりながら外周路からモエレ山を眺めた写真が、

夕暮れ雪
夕暮れ雪 posted by (C)ジプシー
こちらになります。
さむかったから、微妙にブレがおきてますね(汗;

撮影場所 札幌市東区モエレ沼公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

 

篠路新川と中沼中央川の分流点(モエレ沼)

篠路新川と中沼中央川の分流点
ここから3エントリーは昨年2014年2月1日に撮影したモエレ沼公園周辺の合流点をアップしていきます。

まず、1つ目は、(モエレ沼)との分流点です。

分流点とは書いてはありますが、この中沼中央川は、茨戸川系の篠路新川と豊平川の連絡水路的な河川なのかと思います。川の名前を調べる地図にならって中沼中央川が注ぐのは豊平川とし、今回は分流点としてエントリーします。もっとしっかりとしらべれば、もしかしたら違う系統かもしれません。

この中沼地区、モエレ沼公園ができるまでは湿地と畑とゴミ処理場の閑散とした地域だった記憶があります。札幌でもかなりマイナー地域だったのではないかなと、、、。

ところがモエレ沼公園が完成してからは、多くの人が訪れる地域となりました。それに伴い中沼の地域名もモエレ沼のある地区として、多くに認知されていたのではないでしょうか。

そして、モエレ沼といえば、
ガラスのピラミッド(HDR)
ガラスのピラミッドですね。
今回はHDR処理をしてみました。

撮影場所 札幌市東区モエレ沼公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 SONY CyberShot W-170

精進川と地下鉄裏の沢川の合流点

精進川と地下鉄裏の沢川の合流点

今回の紹介ポイントなかなか面白い名前の河川ですよね。

札幌建設管理部の土石流危険渓流一覧で見つけた、に合流する河川です。

ここ南区澄川は地形的にはなかなか面白い地域で、中心地は若干坂の多い普通な地域なのですが、ここ4条10丁目以南は急峻な谷間に宅地が広がっています。札幌の中では谷間を形成している地域は河川周辺では多いのですが、ここだけは真駒内の宅地と西岡の宅地を結ぶ五輪通りの橋の下にたくさんの住宅がたちならんでいます。住所の地番もそのおかげでわかりにくく、澄川ネイティブくらいしか地番の遷移を把握できないのでしょう。タクシーの運転手さん泣かせの地域でしょう。

ここまでは、以前からしっていたのですが、前述の土石流危険渓流一覧をネットで見つけたところ、こんなそのものずばりの名の川をみつけました。水源地通り自体は南区に行くときによく通る場所なのですが地すべり危険箇所だったり急傾斜地崩壊危険箇所だったりに指定されていたなんてしりませんでした。

ちょっとわくわくして探検気分で精進川の河川敷をあるいてみると、地下鉄→傾斜→水源地通り→傾斜→精進川という地形になっていて、その傾斜の林は保安林として管理されているようでした。そしてこの地下鉄裏の沢川その保安林をながれているようでした。ただ、この写真の地点が確かに地下鉄裏の沢川なのかは確定できません。もしかしたら精進川の旧川道で三日月湖として残っている部分なのかもしれません。この河川?の形状をみてみるともしかしたら、三日月湖が正しいような気もしないではありませんが、、、。ただ、ここに流れ込むような川道もみえていたので、ここを地下鉄裏の沢川とします。

ところで、ここのそばに紅桜公園ってのがありましてちょっとよってきました。

紅桜公園内の紅桜の滝

紅桜公園内の紅桜の滝

園内には人口の滝なんかもありました。

茶室寿光庵ー木乃実茶屋ー

茶室寿光庵ー木乃実茶屋ー

こんな雅な茶房があったり、

紅桜公園の紅葉

紅桜公園の紅葉

名前にたがわず綺麗な紅葉がみることができました。

入園料として基本300円かかるようですが、中の施設でお食事やお茶をすると入園料がかからないようなので、よい散歩コースなのではないでしょうか。(ペット連れはNGですがね。)

撮影場所 札幌市南区澄川4条12丁目6−5
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2