白石川跡を歩く その2
今回は前回エントリーの白石川探索の続きです。
おさらい
”白石川の流路は、 白石公園あたりにあったメムを源に小沼川と並行してながれ、上白石神社あたりで小沼川に合流をします。その後は逆川→豊平川へと、どんどん合流を進めていきます。”
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では、本文
今度は線路を挟んで下流域を歩いてみたいと思います。ちなみに下流域側の鉄橋は、この写真のキハ143の先頭が差し掛かりそうな白い柵のようなところに当たります。札幌方へ向かう線路側の鉄橋は鉄橋らしくなっていましたが、こちら側はもはや鉄橋とはいい難い状態でした。多分、札幌方の線路は千歳線と函館線が豊平川をわたったあたりで分岐をしていたころの昔から使われている経路なので、鉄橋はそのままのこっており、こちら側は両線の分岐がもっと奥、平和駅のあたりでおこなわれるようになってから作られた路線なので、河畔が整備された後に新たにつくられたのでしょう。
その辺の変遷は、下記に埋め込んだ今昔MAPというWEBサービスの左メニューから年代をかえてみると見て取れます。ちなみに、1976年までの地図だと千歳線への分岐がこのあたりでおこなわれていたのがわかります。
この今昔MAPで1916年の地図を見てだいたいのあたりをつけてあるいてみることとしました。
まずは、
JRの線路の函館線・旭川方面、千歳・苫小牧方面側の白石川の出口からスタートします。1916年の地図をみてみるとここら若干右へ湾曲をしているよです。そこで道に沿いながら十字路を右にまがってみると、
菊水元町ポプラ公園という街区公園がありました。地図をみてみるとこの公園台形型に区画がきられています。近隣の区画はわりと四角に近いのですが、、、こうい区画のきり方は割りと川の跡をつかったりしていたりします。今回の核心部はこの台形型の公園のような気がします。
なぜかというと、前回のように明らかに川道を想像させるような目だった特長がなくきっちりと最後まで区画整理された道を歩いてきたように感じるからです。
白石ポプラ公園を出ると、このようにまっすぐ整備された歩きやすい道を東に向かって歩いていきます。
昔の地図をみてみると途中で、川道は左にカーブをしていたので、だいたいここらあたりかなと思うようなところから、左折をしてみました。
左折後しばらく歩くと、細い道がみえてきたので、そちらを右折し、進路をとることとします。
この細い道も所謂生活道路のような感じで、川の跡をかんじさせるようなものではありませんでした。
そして、道は北13条北郷通りへとぶつかります。
この写真のENEOSの看板のよこが先ほど歩いてきた道です。この地点はすぐそばに南7条米里通りの交差点があり、すぐに目指す上白石神社が見えてきます。南7条米里通りを渡ると、
前庭の車寄せと大きな松ノ木のせいか都市化の進んだ地域にある小規模な神社としては立派なたたずまいにかんじます。祭神は大山祇神、山から下りてきて恵みをもたらすとされる神様として信奉されているで、谷地を切り開き、故郷仙台白石のように豊穣なる地としてねがった人々の守神としてここに鎮座しているのでしょう。
ちなみにこの菊水元町は、元々は上白石村として始まった地なので、この名前なのでしょう。
古地図によると、この先が丁度白石川と小沼川の合流点となります。
きっとこの写真の奥辺りだったのでしょうか。
そんなこんなの白石川跡探索の巻でした。
今回の行程は上記のようなGPSログです。実際の流路と近い感じには歩けたかなとは思います。
ちなみに前回のログとあわせると、
こんな感じになります。
全域通して割と近く納められたような気がします。
前回の線路から上流域は工場地帯として、今回の線路から下流域は宅地として、しかも地主さんなのか、大きな邸宅が多く、元々この地に住んでいる人々が多いような印象でした。
小沼川との合流点・上白石神社の周辺に人が住み、上流に向かって農地を耕していったのかと思わせるような街並の遷移でした。
また、ほかの川でもこんな探索をやってみようと思います。
撮影場所 | 札幌市白石区菊水元町1条3丁目1−37 |
アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★☆☆☆☆ |
撮影機材 | nikon d3000 |
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