カテゴリー : 幌平橋

鴨々川を歩く。

鴨々川を歩く。

紅葉の時期。雨まじりの天気。しっとりとした川と紅葉を求めて散策へといってきました。

現在の札幌を作り上げたともいえなくもなく、札幌へ遊びにきた人のほとんどが目にする川。取水口から南7条までの上流区間を特に鴨々川と呼ばれ親しまれています。その区間のほとんどは札幌の一大都市公園としてしたしまれている中島公園の中を流れ、この中島公園は紅葉の名所としてもしられています。

今回あるいたルートは以下の通り。

スタートは豊平川の幌平橋そばの取水口から、堤防を越えた直後から。

鴨々川起点

鴨々川起点

いつも狸小路あたりや、テレビ塔のそばをながれている創成川をみていると、この起点の水の量はびっくりです。190万都市のど真ん中を流れる川なので、水量調整を各所でおこなっているのでしょうか。

そんなことを考えながら、ここの左岸の藪地をもそもそとあるいていきます。ここから中島公園に入るまでは遊歩道なんてのは整備されていません。小雨の中靴を脱がしながらあるいていきます。

護国神社エリア

護国神社エリア

南18条の道路を渡り護国神社の公園敷地にはいると、いままで3面コンクリ護岸の味気ない川相がいきなりご覧のとおり侘びさびさえ感じさせる風情となってきます。

地図上では公園とはなっていませんが、この場所も中島公園の一部です。公園内を流れる川として親水区間として整備されているのでしょう。

いままでのいろいろな河川をみてきましたが、ここまで見事に整備されている親水区間はみたことがありません。最高の親水区間だと私は思います。

DSC_0127

七五三詣でまっさかりの護国神社を横目でみつつ南14条の道路をわたると、地図上でも緑地扱いとなる中島公園中盤エリアにはいります。ここでもご覧のように見事な親水空間が数10m続きます。

ここから鴨々川は中島公園の際を沿うような進路をとり始めます。

中島公園出入り口1付近

中島公園出入り口1付近

中島公園出入り口1付近で、鴨々川は完全に中島公園と他地区の境となります。

親水区間はまだまだ続きます。これだけの流量をもつ親水区間をこれだけ長い距離整備しているところもいままでみたことなく、でも、それを意識させることのない景観に溶け込んだ風景。まったく癒しの散歩道です。

そんな川端をとことこバウとまったりあるいてコンサートホールKITARAあたりまでいくと、親水区間は終り川の横には鉄柵がはられます。それでも遊歩道はしっかりと整備されているので、川のせせらぎを聞きながらの散歩は滞りなくおこなうことができます。

川をみてみると、

瀬?

KITARA裏の瀬

川幅が少しせまくなり石積み護岸となった鴨々川は瀬を作るほどの急な流れの顔をみせてくれます。

このあたりカラスに注意の看板があったりするのですが、中島公園のカラス。まったく人を恐れていません。それどころか犬にさえおびえません。写真をとっていると、カラスが地面をちょこちょことあるいてきてちかづいてきます。

バウが追いかけるとさすがににげますが、ちょっと飛んでは目の届く範囲に着地をしてまた近寄ってくるといった感じです。

もしかした大通り公園の鳩よりも人なれしているのではないでしょうか。

歩みをすすめると、豊平館エリアへと川端はつづきますが、このエリア豊平館の改修工事にともない立ち入ることができずに迂回をしいられました。さらにその先にある日本庭園エリアは犬をつれての立ち入りが制限されているので、バウ連れの私は入ることができません。歩みをどちらにとろうかと逡巡した結果、中島公園の由来となる、菖蒲池へと向かうこととします。

鴨々川をあるく

菖蒲池

菖蒲池はKITARA手前の鴨々川本流から水を引き込み池に水をたたえた後こども劇場あたりから本流へと水をもどしていきます。

絶好の撮影スポットらしく、この日も沢山の観光客やカメラマンが足をとめています。当然私もいろいろな写真をとってみます。

菖蒲池

菖蒲池

ここに泳ぐかももまったく人から逃げることをあまりしません。さすがに至近距離までちかずくとにげだしますが、こちらが危害をくわえないとわかっていれば平気に池の岸で羽を休めています。

写真をとりまくったあと、中島公園交番へと歩みをすすめて中島公園を出ます。

鴨々川すすきのエリア

鴨々川すすきのエリア

すすきのエリアに突入すると、コンクリ護岸にはなりますが、なんとなく景観に配慮すかのように柵は木柵風、2面の護岸にはつたを這わせて古い町並みを演出するような演出が施されています。

このあたりは錦鯉が放流されていて、
あきにこい

紅葉と鯉の見事なコラボをみることができます。

錦鯉エリアをすぎるとほどなく三面護岸となり、

創成川へ切り替わり

創成川へ切り替わり

南7条の創成川への切り替わり地点となるのでした。

今回の鴨々川逍遥はここで終りとしました。

いつもみている定規のようにまっすぐながれる創成川とはまったくちがった趣きを見せてくれた鴨々川。同じ流路の都市河川でもここまで表情を変えてくれる稀有な川だと今回改めて再認識させてくれた鴨々川散歩でした。

撮影場所 札幌市中央区 中島公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★★☆
撮影機材 NIKON D3000

 

豊平川と鴨々川の分流点

豊平川と鴨々川の分流点
今回はちょっと特殊な川のご紹介です。

からへの分流点となります。

左の大きな流れが豊平川、右に流れ込んでいるのが鴨々川です。この鴨々川は一般的には創成川としてしられているのですが、ここから中島公園の中をくねくねとながれ南7条でその流れを直線とする場所までは、特に鴨々川とよばれているのです。

札幌の川の開発というと、新川の開削、石狩川や豊平川の治水など治水を主としたものが多く、そして名をしられていますが、鴨々川はそれ以前、札幌村の開拓初期から密接に関わっているのです。

1866年(慶応2年)に幕府(箱館奉行石狩役所)の役人・大友亀太郎が札幌村を開く際に開削した用水路・大友堀が前身である。この堀は南3条付近から胆振川の水を引き、北6条、現在のJR札幌駅付近から東に進路を変え(現在の「ファイターズ通り」がその跡地)、逆S字を描くように流れたのち、大友の役宅の裏(現在の札幌村郷土記念館の東にある大友公園)で伏篭川に注ぐものであった。当初の大友堀は歩いてまたげるほどの小川だったと言う。

1870年(明治3年)南6条から南3条にかけての上流部には吉田茂八によって吉田掘が、また北6条以北の下流部には寺尾堀が掘られ麻生町の裏で琴似川(現在の旧琴似川)に付けられた。1871年(明治4年)に船が航行できるよう拡張し、それと同時に創成橋が架けられた。後にこの橋から名をとって、大友堀は創成川と呼ばれるようになった。1874年(明治7年)には鴨々大水閘と2か所の水門を設けてさらに便をはかった。1880年(明治13年)に札幌まで鉄道が通ると、水運は廃止された。[1]

1895年(明治28年)、道庁によって寺尾堀を延長し茨戸まで一直線に北上する現在の下流部が開削された。当時寺尾堀を含むこの新しい下流部は「琴似新川」とよばれたが、1925年(大正14年)ごろ北6条以東の旧大友堀の下流部が埋め立てられたこともあり、こちらを創成川とするようになった。(引用元:wikipedia 創成川

とのこと。

いつか古地図を入手して探索したいものです。

幌平橋から鴨々川取水口をのぞむ。

幌平橋から鴨々川取水口をのぞむ。

撮影場所 札幌市中央区南16条西4丁目1−12
アプローチ難度 ★★★☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 CASIO CA007

豊平川と精進川の合流点

豊平川と精進川の合流点
早朝に中島公園と平岸を結ぶ幌平橋にの合流点へと撮影にいきました。

夏の早朝のうすくもりの時の空気の色、昔みた村上龍原作の映画「限りなく透明に近いブルー」で表現されていた空気感がいつも思い出されいつかとってみたいと思っていました。今回、それを狙って撮りにいってみたのですが、うまく表現できていますかね?

たぶん日の出夕暮れのマジックアワーとともにこの空気の色は私の写真趣味の中では大きなテーマの一つとなるのかなと思っています。

写真右中ほどに精進川の合流点があります。精進川はへ流れを分けたあと平岸の住宅地を抜け中の島を経由しこの場所で豊平川と合流を果たします。ご覧の通りこの場所の河川敷はとても整備をされており、近隣の住民の憩いの場となっています。中央区側からは中島公園を散策し、この幌平橋までが絶好のお散歩ポイントなのではないでしょうか。早朝にも関わらず散歩の人も数人あるいていました。あとは地域柄か、夜に働いていた人たちやのみ終わりの人たちの姿も。

この幌平橋は展望橋ともいえるような結構高い歩道用の橋を備えています。

バラと幌平橋

昨年撮影の幌平橋

今回の撮影はこの場所からなのですが、やはり豊平川は札幌の母なる川といった雄大かつ優しさにあふれた姿になりますね。

ここの場所も昨年撮りに行っています。

幌平橋より

昨年の7月の天気のよい日に幌平橋から札幌市街を撮りました。王道の撮り方かと思います。

写り・構図共に大好きな写真なのですが、ただ、残念なことに解像度が低く撮れていました。携帯写メだと少しズームすると解像度が下がるんですよね。

なので、今回撮りなおし&朝のブルーに挑戦をしてみました。

撮影場所 札幌市中央区南16条西4丁目
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★★☆
撮影機材 NIKON D3000