月寒川旧流路を歩く。
久々の探訪シリーズです。
今回は、もう埋め立てられてしまった川ではなく、現在もしっかり流れている川の旧流路をたどってみようと、白石区の北郷をおとずれてみました。
辿る流路は月寒川。
この川の水系には、しっかりと、旧月寒川という旧流路をあらわす支流があるのですが、今昔マップで1916年の地図をみてみると、
札幌新道からの流路が若干ずれているようです。しかも旧月寒川の少し南側に遊歩道があります。宅地の中にひっそりと存在する遊歩道ってのは、 だいたいは河川跡か鉄道跡ってのが相場がきまっています。今昔マップで、じっくりと昔の月寒川の流路をトレースしてみると、この遊歩道としっかりと一致しました。
と、いうわけで、この遊歩道を望月寒川までバウと歩くこととしました。
ルートは以下の通り。
ほぼ1916年の月寒川の流路どおりでした。
スタートはTOPの写真の場所。JR線が月寒川をわたる鉄橋からとしました。
ちなみにここは、JR貨物の札幌貨物ターミナルの一角となっています。
この写真は札幌新道の高架橋から札幌貨物ターミナルを月寒川の上流側から撮ったものです。丁度貨物列車が入線している最中でした。かなり広い敷地ですよね。コンテナとかは、この写真の逆側、大谷地の流通センターのところに無数においていあります。
閑話休題
では、スタートします。
鉄道脇の道路から少しだけ奥まったところに遊歩道のスタート地点があります。白石区内で鉄道の北側の河川跡に遊歩道を敷設しているのは ここだけではないでしょうか。小沼川や白石川の流路跡は鉄道の南側には遊歩道とかありましたが、北側は車も通れる一般の道路が敷かれていました。河川跡の遊歩道があるってことは、宅地や道路が現状とそれほど変わらない配置で造成されたころはまだ川がしっかりとその形を残していた証だと思います。逆に河川跡や暗渠の上に一般の道路があるのは、河川の改修とともに造成が始まった証なのではないでしょうか。と、いうことは、遊歩道があるところは割りと古くからある街並で、一般道となっているところは逆に比較的新しい街並として判断できるのではないでしょうか。ここ北郷はその視点でみるとわりと古くから現在と変わらない街並だったのでしょうか。
そんなことを思いながら割と広めの遊歩道をあるいていくと、
途中こんな感じで、生活道路の狭間に道が残っている場所があったりします。
詳しくはしりませんが、河川跡ってのはむやみに造成できないようだし、個人所有にもできないようなことを聞いたことがあります。この写真はここがそんな河川跡である動かぬ証拠なのではないでしょうか。
ここを過ぎると、道路の様子は最初の簡易舗装的な癒し系のアスファルトから、
自転車道路のようなしっかりとしたつくりの白線が引かれたアスファルトとなります。
この写真のような地図ではあまり読み取れないいい感じのカーブがあると、河川のあとをあるいているんだなって気分になってちょっとうれしくなりますね。
この道の先には、
北13条北郷通りに出ます。遊歩道はこの幹線道路を渡り先に伸びています。
アスファルトの様子はまた簡易舗装的な癒しの舗装路になり、公園や学校の横を歩いてくと、
こんな素敵なS字カーブがある道の先で遊歩道は現在の旧月寒川に沿ってしかれていきます。
ここを過ぎると、水源地通りをわたり、
そして、
厚別通りに沿うようにすすんでいきます。
厚別通りに沿っている部分は遊歩道はなく、厚別通りの歩道をあるくことになります。
ある程度まで進むと厚別通りから離れ、
再度遊歩道が敷かれ始めます。
そして、住宅地の中や学校の横を抜けながら
望月寒川の直前で、米里川へと水をわけ、
旧月寒川は、望月寒川へその水をあわせ、遊歩道もゴールとなります。
月寒川の旧流路はこのあと、逆川とあまりうれしくない名称をつけられ、豊平川へと向かうのでした。
このあとの逆川の探訪記は、以前逆川を歩いてみる。というタイトルでエントリーしていますので、そちらも合わせてお読みください。
今回の月寒川旧流路遊歩道、途中、北13条北郷通り、水源地通り、厚別通りなどの交通量の多い道路を渡るポイントもありまますが、底だけ気をつければ、道幅広く、道路状況もしっかりと整備されたアスファルトの道路で、まったりゆっくりと歩くには最適な2.7kmの癒しの小路でした。
バウといい散歩をさせてもらいました。
撮影所 | 札幌市白石区北郷1条10丁目5−20 |
アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★★☆☆☆ |
撮影機材 | NIKON D3000 |