元野幌川と屯田川の合流点

元野幌川と屯田川の合流点

今回のエントリーは昨年の10月5日に撮影をしたの合流点となります。

手前から流れてくる元野幌川。流路を地図でたどっていくと江別西インター付近でその流路の始まりを示しています。しかし、そこからまだ上流をたどってみると、野津幌川に行き当たります。wikipediaで調べてみると、20世紀の前半まで、豊平川に直接注いでいたとの記述があり、 豊平川はというと20世紀前半のころは現在の旧豊平川世田豊平川の流路をたどって石狩川に流れ込んでいました。そしてこの元野幌川が注ぐのは世田豊平川です。ここまで条件がそろいさらに野幌の名前から察するに野津幌川の旧流路だったのではないかとの推察ができます。ただ、ここの地域名も元野幌なので、ただ単純に地域名を取った河川名なのかもしれません。インターネットではこの元野幌川の出自に関しての記述はなかなか探しきれませんでした。これ以上の真相を探ろうとすると江別地史とか江別の古地図が必要になってきますね。

そして屯田川。 江別は元々屯田兵による開拓と北越殖民社による開拓の2大開拓勢力によって拓かれてきた地です。野幌という地域名はどちらかというと北越殖民社の手がはいっている場所がおおいのですが、その地域名を冠した川に屯田の名を冠した河川が注ぐって言うのもなかなかロマンを感じられますね。

そういえば、どこの出版の地図川はわすれましたが、この合流点から下流を屯田川として表記しているものを見かけた気がします。

なんてことをかんがえながら歴史に思いをはせる川歩きをした2013年10月5日なのでした。

野菊のフォトフレーム

おまけ。元野幌川の川端に咲いていた野菊

 

撮影場所 江別市元野幌968
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon COOLPIX2500

世田豊平川と元野幌川の合流点

DSC_0123
春もすこしづつ進み街中の雪はなくなり、路傍の草も緑になりつつある札幌です。

今回のエントリーは世田豊平川と元野幌川の合流点です。前回エントリーした旧豊平川と同じく豊平川の旧川道です。もともとは札幌の母なる川、豊平川の川道なのですが、幾多の河川の改修によって豊平川は北白石川との合流地点より東区の中沼を目指しそこで石狩川と合流をし、のこされた川道は厚別川に分断されている形となり、厚別川を挟んで、豊平川側が旧豊平川、石狩川側をこの世田豊平川というような区分になりました。

この写真の撮影ポイントからもう少し下流に進むと江別チャシという有名な古墳群があります。川道が改修される前、この地域は北海道の大河石狩川に、千歳川、そして豊平川が合流する地点でした。アイヌのころからすでに人々の暮らしがいとなまれていた場所なのです。

さらにこの世田の字、東京の世田谷から取られているのです。近くには世田谷中学校って名前のまんまの学校があったりしています。第二次大戦後、東京大空襲で東京世田谷の被災者が行き場を失い、ここで農業をするためこの近辺に疎開したとのことです。

また、下流域はかなり原始河川の趣きをのこしていて野鳥の天国になっています。撮影にいったときも鴨やアオサギやいろんな野鳥がひしめきあっていました。 この写真にもなんの鳥かは判別つきませんが、水鳥が浮いているのをみることができるでしょう。

DSCN1154
昨年の9月くらいにとった世田豊平川と元野幌川合流点です。

対岸からの撮影ですが、元野幌川自体小さい河川でさらに藪が茂り川筋を捉えることができなかったので、今回改めて撮りにいきました。

DSC_0134_01
おまけ飛び立つかも

撮影場所 江別市角山71−52
アプローチ難度 ★★★☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIOKON D3000