小沼川跡を歩く その2

小沼川跡を歩く その2

散策の続き、上流部菊水上町側をあるいてみます。

小沼川は、札幌東高校あたりの湧き水を水源とし途中をあわせ、菊水元町9条1丁目当たりでと流れを合わせへと流れを注ぐ川です。湧水を源とするのですから泉が枯れれば流れもなくなり川は埋め立てられます。そして残ったのが、菊水元町側は以前のエントリーの通り南7条米里通り。そして今回歩くのが菊水上町川に整備された、旧小沼川遊歩道です。

以前の流路は、今昔マップをみてみてください。

今回は、TOPの写真に写っている菊水上町側の小沼川跡と鉄橋をスタートし、札幌東高校をゴールとします。TOPの写真の右側に流れているのが小沼川の跡になります。小沼川自体は埋め立てられて地図からは消えていますが、その流路を利用して排水溝とでも利用しているのでしょうか、水の流れを見ることができます。ちなみに線路をはしっているのは、寝台急行はまなすです。通常運行の車両としては北海道で最後に残ったブルートレインです。

では、スタートしてみましょう。

スタート DSC_0031旧小沼川遊歩道の東端はこんな感じまだまだ雪に半分くらいは覆われています。前回の探索の際長靴をはいていったおかげかかとを軽い靴ずれにしてしまったので、今回はスニーカーにしたのですが、まだちょっとはやかったようです。早朝で気温もあがりきっていないので、そんなにぬからないかと踏んで雪の中藻すすんでみます。雪の途切れた道端には、

早くもふきのとうが

早くもふきのとうが芽吹いてきました。

春の息吹を感じられるような緑がみえはじめてきました。それでも3月の札幌、雪のたまりはそこかしこにあります。

菊水上町4条2丁目DSC_0034東端の遊歩道の終りと次の遊歩道の菊水上町4条2丁目あたりは、こんな感じで雪が厚く残っています。

目印がなく雪の山を登るのも少しきがひけたので、1メートルくらいはなれて平行している普通の道路を巻いてすすみます。

DSC_0036

菊水上町4条1丁目から菊水上町3条1丁目の遊歩道扱いになっている道路は割りと道幅もあり、両脇に宅地っぽく住宅が綺麗にならんでいます。くねくね遊歩道もここで終りか~と少し残念な気持ちで歩みを進めてみると、

DSC_0037

DSC_0038

そんな思いをきれいに裏切ってくれるこのクネクネと残雪が3条1丁目の真ん中あたりからはじまりました。ただ、この突き当たりは数年前にお目見えした平和大橋の基部になって遊歩道は一旦分断されます。

ちょっと残念な気持ちで、平和通りを渡し向かいの道路にたどりつき、遊歩道をさがしてみると、、、。

DSC_0044

でました!雪の山にうまった遊歩道!

先ほどのように1mくらいしか離れていない巻き道はみつかりません。ここで迂回してしまうとなんだか負けてしまうような変な意地がわきあがりバウと一緒にこの雪の山にチャレンジをします。雪自体はぬかる場所はそれほどなく、ザクザクと歩みを進めることができました。

DSC_0045

菊水上町2条1丁目を斜めに進み雪山を無難にクリアすし、また遊歩道を探すと、、

DSC_0047

またまたでてきました。雪の山の遊歩道。しかも今度は回りに民家がきっちりとたちならんでいるので、その家の屋根の雪がおちてきたのでしょう。山の稜線のような格好で行く手を阻みます。それでも、私とバウの川跡探検隊はめげません。あまり埋まらなそうな場所を探しながらザクザクと進み、

DSC_0050

最後の雪山をクリアしました。なんだか楽しい気分になってきたところで、菊水上町2条2丁目で一旦遊歩道は途切れます。iPhoneのジオグラフィカの地図を見ながら小道のありそうな方向へ歩みをすすめると、

菊水いずみ公園

菊水いずみ公園

菊水いずみ公園なる街区公園につきました。いずみ公園なんて、なんて意味深な名前でしょう。きっと小沼川にかかわりがあるのでしょう。この公園の中をさくさくとすすみ出口にたどりつくと、道路を挟んだ反対側に、またもや遊歩道を発見

DSC_0057

このまま進み菊水9条の横断歩道のある交差点へとでました。

DSC_0059

この交差点から東高校側をながめてみると、良い感じの弱三角形の建物とその奥にちょっとした道が。川跡ってのは不自然な建物と道路が多いのは決まりきったことなので、12号線を渡りのその斜め道を通って東高校をめざします。

すると、東高校のグランドの向かい側に、

小沼川のメム跡?

小沼川のメム跡?

民地なのでしょうが、少しくぼんだ広めの庭らしきものを発見。もしかしたらここが小沼川のメムの跡かもと思いながらゴールとしました。

今回のルートはこんあGPSログとなりました。

IMG_0201

前回のルートとあわせてみると、

IMG_0202

このようになりました。わりと忠実にたどれたかなと思います。菊水上町側は白石川のときと同じように、見所満載の楽しい探訪となりました。

撮影場所 札幌市白石区菊水上町4条2丁目52−11
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

 

小沼川跡を歩く

小沼川を歩く

 

さて、今回は札幌の河川跡としては割りと有名な跡をたどってみようと思います。

流路は、と同じく白石区菊水元町菊水上町を横断してで合流となります。

以前も掲載したこの昭和23年の空中写真をみてみると、前回歩いた白石川に平行してながれているところがうかがえますし、今昔マップの1916年の地図をみてみても、それは伺えます。

で、今回のエントリーでは、JR線を挟んで、逆川までの下流域を探索します。今回のTOP写真は残された小沼川の鉄橋付近から寝台特急カシオペアを撮影しました。ちなみにこの周辺は鉄道ファンの間では菊水S字とよばれ、もう少し札幌方のところに撮り鉄さんたちが毎日誰か彼かいるポイントだったりしています。

では、スタートです。

小沼川鉄橋・菊水元町側

小沼川鉄橋・菊水元町側

前回の白石川探訪のときと同じく、菊水元町側の派手な見所はあまり多くなく、最大の核心部はこの残された鉄橋でしょう。コンクリート製橋脚?と雪に半分埋まりかけ、しかも線路に平行している道路からもほとんど見ることもできず付近の整備工場の駐車場の奥にひっそりとたたずんでいる小沼川鉄橋。流路上で往時をしのばせる最後のポイントです。ここ以降は古い河川の形跡さえなくなり南7条米里通りが小沼川の跡地を悠々と縦貫しています。

小沼川オーバークロス

小沼川オーバークロス

線路からの下流域跡を走る南7条米里通りは、線路をアンダーパスによってわたっていきます。

 

1971年空中写真

1971空中写真
出展 国土地理院

1985年空中写真

1985年空中写真
出展 国土地理院

1971年の空中写真ではまだなアンダーパスもなく、白石川の流路もしっかりみることができます。また小沼川の流路もみることができます。1985年の写真では、アンダーパスはしっかりと整備されており、白石川の流路も見えなくなっています。現在の札幌市の街区に近くなっているように見えます。札幌にとっての高度成長期って本州とはちがって、1980年くらいからバブル崩壊直前の1988年あたりまでだったのかと思えるような写真です。

 

 

元町ストア

元町ストア

アンダーパスの連絡道路には道路整備によって取り残されたかのような商店の形骸がありました。 多分アンダーパスが整備される前まではこの踏み切りのそばには、お店が立ち並んでいたのではないでしょうか。そんなことを思いながら歩みを進めます。

アンダーパス
北13条北郷通りとの交差点
上白石神社
IMG_0182

アンダーパスをぬけて地上に出た後程なくして北13条北郷通りと合流をします。その後は上白石神社あたりで白石川と合流をはたし、また緩いカーブを描きます。

地図を見てみると、丁度北13条北郷通りとの交差点あたりが豊平川と一番近づいています。距離にして100メートルもないでしょう。1916年の地図を見てみても、逆川へとながれをあわせる前まではこのポイントが、現在と同じく、豊平川に一番ちかづくポイントです。

そもそも、豊平川は札幌扇状地を形作っているわけなのですが、開拓がおこなわれる前までは、ことあるごとに流れを変え取り残された川は支流となり、札幌北東部は見事に川だらけになっていたようです。どうやらこの小沼川もそんな取り残された川の一つであったという話もあるようなないような、、、。地盤にしみた水がメムで再度湧き出してきたとも思えます。

IMG_0187

さて、話を歩みにもどすと、北13条通りとの交差点からすこしあるくと、今度は環状通りとの交差点がまっています。現在はかなり交通量の多い2つの道路、片方は小沼川に沿って米里までと導く道ですが、果たして環状通りは、、。

今昔マップで昭和52年の地図を見てみると、豊平川をわたる橋はありませんですが、環状通りの道筋はしっかりありました。豊平川は都市を流れる大型河川としては類を見ないような急峻な河川だったそうで、貧弱な工法でつくった橋は洪水などが起きるとすぐに落ちてしまったようで、札幌市の橋の建設はわりと遅れがちだったとききます。

IMG_0190

IMG_0192

環状通りとの交差点を過ぎると、緩やかな右カーブを切りながら逆川へと向かっていき小沼川の流路は終了となります。

今回の川歩き割と長い道を歩きました。街の中の道は雪もほとんどなくなりそろそろ春の装いといったところでしょうが、なんとこんな日に長靴でパタパタ歩いてしまいました。長靴に中敷をいれていないでの、かかとのあたりがすれてきて、軽いやけどっぽくなってしました。そろそろ待ち歩きはスニーカーへときりかえなきゃですね。

小沼川流路下流

今回の小沼川跡下流域のGPSログです。ほぼ南7条米里通り上です。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条1丁目7−22
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000/iphone5c

 

白石川跡を歩く その2

白石川跡を歩く その2

今回は前回エントリーの探索の続きです。

おさらい

”白石川の流路は、 白石公園あたりにあったメムを源に小沼川と並行してながれ、上白石神社あたりで小沼川に合流をします。その後は逆川→豊平川へと、どんどん合流を進めていきます。”

では、本文

今度は線路を挟んで下流域を歩いてみたいと思います。ちなみに下流域側の鉄橋は、この写真のキハ143の先頭が差し掛かりそうな白い柵のようなところに当たります。札幌方へ向かう線路側の鉄橋は鉄橋らしくなっていましたが、こちら側はもはや鉄橋とはいい難い状態でした。多分、札幌方の線路は千歳線と函館線が豊平川をわたったあたりで分岐をしていたころの昔から使われている経路なので、鉄橋はそのままのこっており、こちら側は両線の分岐がもっと奥、平和駅のあたりでおこなわれるようになってから作られた路線なので、河畔が整備された後に新たにつくられたのでしょう。

その辺の変遷は、下記に埋め込んだ今昔MAPというWEBサービスの左メニューから年代をかえてみると見て取れます。ちなみに、1976年までの地図だと千歳線への分岐がこのあたりでおこなわれていたのがわかります。

この今昔MAPで1916年の地図を見てだいたいのあたりをつけてあるいてみることとしました。

まずは、

スタート

スタートです。

JRの線路の函館線・旭川方面、千歳・苫小牧方面側の白石川の出口からスタートします。1916年の地図をみてみるとここら若干右へ湾曲をしているよです。そこで道に沿いながら十字路を右にまがってみると、

菊水元町ポプラ公園

菊水元町ポプラ公園

菊水元町ポプラ公園という街区公園がありました。地図をみてみるとこの公園台形型に区画がきられています。近隣の区画はわりと四角に近いのですが、、、こうい区画のきり方は割りと川の跡をつかったりしていたりします。今回の核心部はこの台形型の公園のような気がします。

なぜかというと、前回のように明らかに川道を想像させるような目だった特長がなくきっちりと最後まで区画整理された道を歩いてきたように感じるからです。

IMG_0146

IMG_0147白石ポプラ公園を出ると、このようにまっすぐ整備された歩きやすい道を東に向かって歩いていきます。

昔の地図をみてみると途中で、川道は左にカーブをしていたので、だいたいここらあたりかなと思うようなところから、左折をしてみました。

IMG_0148

IMG_0149

 

左折後しばらく歩くと、細い道がみえてきたので、そちらを右折し、進路をとることとします。

この細い道も所謂生活道路のような感じで、川の跡をかんじさせるようなものではありませんでした。

 

そして、道は北13条北郷通りへとぶつかります。

北13条北郷通り

北13条北郷通り

この写真のENEOSの看板のよこが先ほど歩いてきた道です。この地点はすぐそばに南7条米里通りの交差点があり、すぐに目指す上白石神社が見えてきます。南7条米里通りを渡ると、

上白石神社

上白石神社

前庭の車寄せと大きな松ノ木のせいか都市化の進んだ地域にある小規模な神社としては立派なたたずまいにかんじます。祭神は大山祇神、山から下りてきて恵みをもたらすとされる神様として信奉されているで、谷地を切り開き、故郷仙台白石のように豊穣なる地としてねがった人々の守神としてここに鎮座しているのでしょう。

ちなみにこの菊水元町は、元々は上白石村として始まった地なので、この名前なのでしょう。

古地図によると、この先が丁度白石川と小沼川の合流点となります。

小沼川と白石川の合流点?

小沼川と白石川の元合流点?

きっとこの写真の奥辺りだったのでしょうか。

そんなこんなの白石川跡探索の巻でした。

白石川下流域ログ

白石川下流域ログ

 

今回の行程は上記のようなGPSログです。実際の流路と近い感じには歩けたかなとは思います。

ちなみに前回のログとあわせると、

白石川跡全流域

白石川跡全流域

 

こんな感じになります。

全域通して割と近く納められたような気がします。

前回の線路から上流域は工場地帯として、今回の線路から下流域は宅地として、しかも地主さんなのか、大きな邸宅が多く、元々この地に住んでいる人々が多いような印象でした。

小沼川との合流点・上白石神社の周辺に人が住み、上流に向かって農地を耕していったのかと思わせるような街並の遷移でした。

また、ほかの川でもこんな探索をやってみようと思います。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条3丁目1−37
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

白石川跡を歩く

白石川跡を歩く

旧河川探訪問シリーズ第2弾です。

写真は、菊水上町に横たわる小さな鉄橋の上を走る、今年で廃止になる北斗星です。ちなみに今年の鉄撮り初日でもあります。

この小さな鉄橋、上流も下流も川はなく、きっと流れは暗渠の中かといろいろと調べてみると、どうやらという川の流れの跡のようなのです。このそばにはもうひとつ、小沼川という川も昔ながれていたようで、WIKIPEDIAをみてみると、その小沼川は埋め立てられており、その名残は鉄橋のみという記述があり、最初はこれを小沼川の跡かとおもっていたのですが、よくよくしらべてみると、どうやら白石川の跡が有力ではないかと思います。

国土地理院の昭和23年の写真を見てみると、国鉄路線が豊平川を渡ったすぐ後当たりに2本の細い川筋があります。上の流れが小沼川、したの流れが白石川です。

現在南7条米里どおりを挟んで小沼川遊歩道という散策路が整備をされています。丁度のその遊歩道は、上の写真の小沼川に沿ってつけられています。

小沼川は、札幌東高校あたりにあったメムを源にし、白石川は白石公園あたりのメムを源にし、両河川とも豊平川に併走しながら、北白石神社付近で合流をし豊平川へと流れ込んでいったと、「札幌地名考」に記述があります。

そこで、今回の探訪を白石川跡を歩くとしました。

白石川跡

白石川跡探索ルート

ルートは以上の通り。白石公園を出発して、鉄路にてさえぎられるまでを歩くこととします。

スタート

スタートの白石公園

まずは、スタートの白石公園です。雪もかなり減ってはきていますが、バウと一緒に歩くと二人ともずぼずぼとぬかっていきます。冬の公園で遊ぶ人はそんなにいないですよね。

でも、この白石公園わりと大きな公園で、散策用なのか、公園内にしっかりとしたふみ跡が2~3本あります。

白石公園内

白石公園内

公園を歩ききると、平和通りに突き当たります。

平和通り

平和通り

写真に見える細道を歩みをすすめ住宅街へと向かいます。

菊水上町3条

菊水上町3条

宅地部分は少しだけで、その先には倉庫や小さな工場が見えてきます。菊水上町のこのあたりはあまりしられていませんが、小規模な工場地帯なのです。以前は国鉄千歳線の分岐がこのあたりでおこなわれていたのもその遠因なのでしょうか。

この道をもう少し歩いてみると、

謎の中央分離帯

謎の中央分離帯

今回の核心部、謎の中央分離帯です。あまりにも不自然なこの分離帯、白石川の河川跡が最近まであった証なのでしょうか。

国土地理院 昭和49年空中写真

国土地理院 昭和49年空中写真

昭和49年の国土地理院の空中写真を見てみると、まだ河畔林がわしゃわしゃと続いて上白石神社あたりまで続いているのが見て取れます。きっと、その名残なんでしょう。この跡の平成1年の空中写真ではすでに道路となり線路から向こう側の河畔林もなくなっていました。

この謎の中央分離帯をずんずん歩いていくと、

jr

JR線を走る785系

JRの線路へと突き当たります。

約1kMの白石川上流部跡散策のゴールとなりました。

今度は、下流側もつめてみたいですね。

撮影場所 札幌市白石区菊水上町4条4丁目54−16
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

逆川を歩いてみる。

逆川を歩いてみる。

今回はちょっと趣向を変えてみます。札幌の市街地は暗渠になっている河川や埋め立てられた河川が沢山あります。今回ご紹介するも、そんな川の一つで、その暗渠部を歩いてみます。

逆川の歴しるべ

白石区には所々にこんな開拓の歴史をしるした白石歴しるべなんて小粋な看板があったりします。

 

逆川との合流部のそばにこんな看板があります。

要約すると、
「逆川ってのは、月寒川の下流域をさしていて大雨のたびに豊平川の水が逆流をしてきて周囲を水浸しにしてきた暴れん坊の川だったので、こんな名前でよばれていたんだよ。でも、それじゃみんな大変だからと月寒川両方の新水路を作ってその被害を軽減させるようにしたんだよ。」

ってことがかいてあります。

じゃあ、ってことで地図をみてみると、望月寒川との合流点あたりから、この逆川と豊平川の合流点あたりまで、不自然にカーブが描かれている道路がつながっています。

では、国土地理院の地理院地図の電子国土WEBの空中写真で平成20年と昭和36年の写真をくらべてみましょう。

逆川流域(平成20年)

出展:国土地理院の地理院地図の電子国土WEB平成20年

昭和36年 逆川流域

出展:国土地理院の地理院地図の電子国土WEB 昭和36年

 

昭和36年の写真には豊平川に注ぐ月寒川の旧流路がしっかりと写っています。

豊平川に注ぐ前に2本の河川、望月寒川と小沼川が合流しているところもしっかりとうつっていますね。そして、月寒川の新流路となるべき用水の経路もしっかりとうつっています。

距離にして、1~2kmくらい、河川域の周囲は稲作地帯であったことも、このあたりのシンボルでもある、高速道路のジャンクションもなかったことも、はっきりとわかりますね。

では、ってことであるいてみます。

望月寒川と旧月寒川の合流点

望月寒川と旧月寒川の合流点

まず、スタートは望月寒川と旧月寒川の合流点です。現在の旧月寒川は望月寒川に水を預けることはほとんどないようなのですが、樋門はしっかりとありますね。またこのあたりの左岸には水道局の豊平川処理場があって、そこから浄水された水が望月寒川に流れ込みます。水温はきっと高いのでしょう。冬のこの時期でもしっかりと川幅いっぱいに水が流れています。そして、ここは鴨たちの憩いの場のようで、沢山の鴨が四季問わずあつまってきています。

望月寒川

鴨たちの憩い。

この写真には数羽しかいませんが、もっと沢山の鴨がゆらゆらと水にうかんでいます。TOPの写真はそんな鴨の二羽が川岸にあがっていたので、モデルになっていただきました。

では、いよいよ逆川探査です。

現在の逆川の源流は菊水元町の豊平川処理場で間違いないでしょう。

豊平川処理場

豊平川処理場

望月寒川の堤防からおりて、菊水元町と、米里の境界となる道路を歩いていきます。ほとんどの境界は河川の流路を境にしている通り、やはりここが逆川の流路なのでしょう。

菊水元町9条2丁目

菊水元町9条2丁目交差点

この道路を豊平川に向かって北上するのですが、不自然なS字カーブが地図からでもみてとれていました。

菊水元町9条の不自然なS字

菊水元町9条の不自然なS字

こういった不自然なカーブがある所はだいたいは川を埋め立てられたあとか、暗渠の上に道路があることが多いものです。

このS字良い感じで続いていきます。

逆川S字

逆川S字

逆川S字

逆川S字

 

現在、逆川は暗渠の中をながれているということなので、きっと、この道の下にはしっかりと水路になっているのでしょうか。

ここまで、現在の地形に影響を与えているってことは、暗渠を作る際に、川の上にふたをしたような造りになっているのでしょうか。3面護岸ではなく、4面護岸ですね。

 

このS字を歩き終わると、今度は米里1条2丁目の南7条米里通りの交差点にあたります。

米里1条2丁目の南7条米里通りと交差点

米里1条2丁目の南7条米里通の交差点

流路はこのまま北上をして、札幌新道(豊平川)へと向かって大きくカーブをしていきます。ちなみに、南7条米里通はこのまま直進すると、高速の札幌JCへと向かいます。このあたりから札幌新道を利用しようとすると、この逆川の暗渠の上の道をたどっていくわけです。

札幌新道へ

札幌新道へ

写真では伝わりづらいのですが、この道、結構な幅と歩道の幅があります。これは逆川の下流域の広さのなごりなのでしょうか。

この道をどんどんあるいていくと、逆川が地上へと顔を出す地点にたどりつくことができます。

逆川お目見え

逆川お目見え

そして、逆川は豊平川へと合流をするのです。

豊平川と逆川の合流点

豊平川と逆川の合流点

この流路、ほとんどが住宅地であり、往時の田園風景はほとんど見ることができませんが、豊平川との合流点あたりに農協の倉庫らしき建造物が散見され、稲作の拠点であったことをしめすなごりを見ることができました。

今回の経路を下にGPSログとして記します。

逆川流路を歩く

iPhone ジオグラフィカでのGPSログで逆川流路をたどってみてました。

 

旧流路をたどってみるのも楽しいものですね。 またほかの川でもやってみたいものです。

撮影場所 札幌市菊水元町9条2丁目~札幌市菊水元町9条1丁目
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000 / SIGMA DP2 / iPhone5c

 

豊平川と逆川の合流点

豊平川と逆川の合流点
今回は曇りの早朝のの合流点にいってまいりました。

画面左の突堤部分が逆川が流れ込む場所です。

この逆川、もとはの下流域のことで、豊平川の水位が上がるたびにその水が月寒川を逆流していく様からいつしかこの流域を逆川と呼ぶようになったそうです。逆流する川というのは大体氾濫をするもので、この逆川も例にもれず氾濫をくりかえし近隣の住民をくるしめ、なんとか治水をしようとしていった歴史があります。まずは、豊平川の新水路開削、そして月寒川の切り替えです。その結果、月寒川は新水路をたどりこの地点より東進した箇所で望月寒川を合わせ、その後北上し現在の豊平川との合流点にて場所を定めています。そこまでの詳しい経緯は白石区のホームページに掲載されています。明治44年のこのあたりの地形図も合わせて掲載されています。豊平川の流路もしっかりと記載されいますのでご覧になってみてください。

2013年7月撮影

2013年7月撮影

写真の話しをすると、この地点は昨年の7月にも写真を撮っています。左の写真がそれです。

この写真、写りも構図もおきにいりなのですが、いつものごとく小さいサイズしか残っていなく今回写真改めて写真をとりに行きました。

この写真実は左すみに大きな鯉?うぐい?が一匹写っているのです。たぶん産卵かなにかで浅瀬まできていたのでしょう。

さらにこの写真にはうつっていませんが、カモメが悠々と豊平川の水面をこいでいたり、小魚がこの川岸辺近くで隊列をくんでいたりと、交通量の多い札幌新道豊水大橋のたもととは思えない野趣に富んだ場所だったりします。近くには桜の杜公園という桜の名所もありますので、散歩コースとしては非常に良い場所かと思います。

おまけ、

今年5月末に撮影した逆川河口からの札幌の夕景

今年5月末に撮影した逆川河口からの札幌の夕景

撮影場所 札幌市白石区米里1条1丁目
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2