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厚別川旧流路を歩く。

厚別川旧流路を歩く。

バウとの散歩でたまに訪れる白石区の川下公園。

バウと川下公園

バウと川下公園

この公園のをぐるりと取り巻くクネクネした道。

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以前より気になっていました。

そこで、いつもの通り今昔MAPで川下公園をみてみると、

現在のは新川と表記されており、外周の道沿いが厚別川との表記があります。

そこで、川下公園から出たところを起点として、上流に向かって厚別通りにかかる橋のあたりまでの区間を歩いてみることにしました。


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川下公園を出てすぐに、川下西というバス亭がありました。

このグネグネとした道もバス路線となっているのです。

それほど民家はないのですが、鉄工の工場や畑や土建屋さんの事務所なんかがあります。

札幌市の元泥炭地はこのような光景が多々見受けられ、だいたいはバス路線になっています。

そしていい感じにグネグネしたカーブの道を歩いてくと、

厚別川旧流路?

厚別川旧流路?

厚別川の旧流路かなと思われる側溝がありました。

川下公園の外周通りと厚別川の旧流路は、その大部分が並行に進んでいるように地図ではみえるのですが、道路上からはあまりその流路をみることのできる場所は多くないようです。

それでも所々に、

厚別川旧流路?

厚別川旧流路?

このような川の姿をみることができました。

今回は川をみながらの散策を楽しむというよりも、グネグネとした道を歩いて楽しむといった趣きでした。

そして、札幌郊外のちょっとした風景と昔ながらのランドマーク?

民家にあった郵便業務の看板

民家にあった郵便業務の看板

に面白さを感じながらの散策となっていました。

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バス路線はここのT字路から西進をし、旧厚別川の流路を離れます。そして道路の形状もクネクネからまっすぐになり始めます。

道の向こうには、厚別通りに建っている高層住宅が望めるようになります。

そしてしばらくあるくと、

厚別川本流との分流点付近

厚別川本流との分流点付近

厚別川との分流点付近へと到着します。

冬枯れの厚別川の河畔林を越してみる高層住宅が自然と人の手の対比をみることができ、なかなかいい雰囲気を味わうことができました。

今回の厚別川旧流路はその一部だけをあるていみましたが、機会を作ってその先にもいってみたいですね。

 

撮影場所 北海道札幌市厚別区川下
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

サクシュ琴似川をあるく。

サクシュ琴似川をあるく。

晩秋、札幌でも雪が数度にわたって降りました。そんな時期に丁度見ごろを迎えるのが、

北大いちょう並木
北大いちょう並木 posted by (C)ジプシー
北大のイチョウ並木です。

そのイチョウ並木をバウといっしょに見に行こうと出かけたわけですが、もちろんそれだけでは終らせるはずがありません。

北大構内には、がその流域の全部をあずけているのです。

これは、川沿いにあるくしかありませんね。

と、いうわけで、以下のルートであるいてきました。

まずは、中央ローンのサクシュ琴似川の起点から。

サクシュ琴似川起点

サクシュ琴似川起点

これは湧水池ではなく、 藻岩浄水場の放流水を廃止された水道管を利用してここまで導水しているとのこと。

札幌市の水と緑のネットワークでは、サクシュ琴似川ルートとして区分されています。

その流れは、北大の構内南部の中央ローンあたりでは、

北大中央ローン

北大中央ローン

導水直後なので、流量の調整もたやすいのでしょう。このように低い護岸で綺麗に整備され芝生の中をながれていきます。

この綺麗な芝生を流れた後は北9条通りの橋をくぐり、百年記念館をへて、弓道場の脇あたりまで流れてくると、

弓道場脇

弓道場脇

その姿は段々野趣をましてきます。

北大クラーク会館に通じる西8丁目の道路を短い暗渠でくぐった後、TOPの写真を撮影した大野池に飛び出ます。

大野池

大野池

この日はなにやらどこぞの写真倶楽部の人たちが大挙しておしよせていて池にレンズをむけていました。別段鳥がいたわけではないので、きっと紅葉なんかをとりにきていたのでしょうね。実際、綺麗な紅葉具合でしたしね。

さて、ここまでが、北大構内を流れる小さな川として、学生さんやここを訪れる観光客の人たちに認識されているサクシュ琴似川の姿ではないでしょうか。実際に川沿いに遊歩道がつくられていて、川に親しみながらお気楽に歩くことができます。

では、これ以降はというと、サクシュ琴似川の姿は、

サクシュ琴似川の本領発揮。

サクシュ琴似川の本領発揮。

大野池を出るあたりから原始河川のそれとなります。

再生された河川とはいえ、その流路は昔のものを使っているとのことですし、自然林をその構内に抱える北大です。中央ローンから、大野池までの整備された区間とはちがった姿をここにもたせたのでしょうか。

その姿は、札幌扇状地の端のメムから流れ出た水が、各河川の堆積物で生成された湿地をたどっていくそのものようです。

山をのぼっていると小さな沢を眺めることができますが、山地のそれであり、札幌のような都市部の平地で、このような湿地の中を流れる沢はあまり見ることができませんので、かなりわくわくしました。

ただ、この沢をたどれるような遊歩道はありませんでした。

だけど、晩秋です。藪の力も弱まっています。ここは、はいっていけそうな薄いふみ跡をたどって自然林の中へ突入です。

立ち入り禁止を示すロープがあったりしたので、沢筋を正確にたどることはできませんでしたが、

サクシュ琴似川暗渠手前

サクシュ琴似川暗渠手前

 

サクシュ琴似川暗渠手前

サクシュ琴似川暗渠手前

サクシュ琴似川の暗渠の手間まで自然林をつっきることができました。

バウ君ほっと一息

バウ君ほっと一息

ここからサクシュ琴似川はいったん暗渠となります。

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紅葉が予想外にきれいだった工学部裏の放射線実験施設の下を暗渠はながれていき、理工学部棟の脇をぬけて、農場の端へと飛び出します。

北大名物のポプラ並木はまだ色付きには早かったようで、緑ままでした。
ここまででてくると、農地の雰囲気となり先ほどまでの大都市にぽっかり残された自然の名残はなくなります。

ここの農道のよな心地のよい砂利道をあるいていると、

サクシュ琴似川暗渠の証?

サクシュ琴似川暗渠の証?

マンホールを見ることができ、サクシュ琴似川暗渠の上であることをうかがいしることができます。

情報科学研究棟の裏あたりまでを歩いていくと、

暗渠区間終り

暗渠区間終り

暗渠区間は終り、サクシュ琴似川はその姿を見せます。

この農道は種畜場まで続き、沢筋から若干はなれます。

サークル棟への連絡路を渡る地点で再びサクシュ琴似川の姿をみることができますが、その沢筋をたどろうとするとすぐに、アイヌの遺跡保存庭園に行き当たります。

遺跡保存庭園手前

遺跡保存庭園手前

遺跡保存庭園というだけあってその中は公園としてのそれのような整備ではなく、保存地としての整備のようで、また藪漕ぎがはじまります。

遺跡保存庭園内の小沢渡渉区間

遺跡保存庭園内の小沢渡渉区間

湿地あるきの様相です。

バウもまた藪かといった雰囲気で仕方なくついてきているようでした。

なんと藪をつっきり、エルムトンネル上の北18条通りにいきあたると、やっと人の気配に触れるような気持ちでした。予定外の大都市の中の藪漕ぎ経験がやっと終ります。

あとはこの道路をたどって、との切り替え地点の北18条西15丁目の交差点へとたどりついて、サクシュ琴似川探訪は無事終了となります。

サクシュ琴似川終点

サクシュ琴似川終点

導水された自ら始まり、きれいに整備された小川から、人口河川的な護岸された姿、暗渠、そして原始の湿地の沢とその姿をこの2~3kmでめまぐるしく変えるサクシュ琴似川。川好きの私にはとても楽しい散策道でした。

そして、このルート上には遺跡や植生に関しての解説パネルが点在していました。下記にそれを集めてみましたので、ご覧になってみてください。サクシュ琴似川沿いにあるパネルなので、河畔に関するものが多いです。あと、やはり川は人の営みに欠かせない存在であることがわかるアイヌ遺跡についてのパネルも多いです。

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撮影場所 札幌市北区 北大構内
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

 

鴨々川を歩く。

鴨々川を歩く。

紅葉の時期。雨まじりの天気。しっとりとした川と紅葉を求めて散策へといってきました。

現在の札幌を作り上げたともいえなくもなく、札幌へ遊びにきた人のほとんどが目にする川。取水口から南7条までの上流区間を特に鴨々川と呼ばれ親しまれています。その区間のほとんどは札幌の一大都市公園としてしたしまれている中島公園の中を流れ、この中島公園は紅葉の名所としてもしられています。

今回あるいたルートは以下の通り。

スタートは豊平川の幌平橋そばの取水口から、堤防を越えた直後から。

鴨々川起点

鴨々川起点

いつも狸小路あたりや、テレビ塔のそばをながれている創成川をみていると、この起点の水の量はびっくりです。190万都市のど真ん中を流れる川なので、水量調整を各所でおこなっているのでしょうか。

そんなことを考えながら、ここの左岸の藪地をもそもそとあるいていきます。ここから中島公園に入るまでは遊歩道なんてのは整備されていません。小雨の中靴を脱がしながらあるいていきます。

護国神社エリア

護国神社エリア

南18条の道路を渡り護国神社の公園敷地にはいると、いままで3面コンクリ護岸の味気ない川相がいきなりご覧のとおり侘びさびさえ感じさせる風情となってきます。

地図上では公園とはなっていませんが、この場所も中島公園の一部です。公園内を流れる川として親水区間として整備されているのでしょう。

いままでのいろいろな河川をみてきましたが、ここまで見事に整備されている親水区間はみたことがありません。最高の親水区間だと私は思います。

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七五三詣でまっさかりの護国神社を横目でみつつ南14条の道路をわたると、地図上でも緑地扱いとなる中島公園中盤エリアにはいります。ここでもご覧のように見事な親水空間が数10m続きます。

ここから鴨々川は中島公園の際を沿うような進路をとり始めます。

中島公園出入り口1付近

中島公園出入り口1付近

中島公園出入り口1付近で、鴨々川は完全に中島公園と他地区の境となります。

親水区間はまだまだ続きます。これだけの流量をもつ親水区間をこれだけ長い距離整備しているところもいままでみたことなく、でも、それを意識させることのない景観に溶け込んだ風景。まったく癒しの散歩道です。

そんな川端をとことこバウとまったりあるいてコンサートホールKITARAあたりまでいくと、親水区間は終り川の横には鉄柵がはられます。それでも遊歩道はしっかりと整備されているので、川のせせらぎを聞きながらの散歩は滞りなくおこなうことができます。

川をみてみると、

瀬?

KITARA裏の瀬

川幅が少しせまくなり石積み護岸となった鴨々川は瀬を作るほどの急な流れの顔をみせてくれます。

このあたりカラスに注意の看板があったりするのですが、中島公園のカラス。まったく人を恐れていません。それどころか犬にさえおびえません。写真をとっていると、カラスが地面をちょこちょことあるいてきてちかづいてきます。

バウが追いかけるとさすがににげますが、ちょっと飛んでは目の届く範囲に着地をしてまた近寄ってくるといった感じです。

もしかした大通り公園の鳩よりも人なれしているのではないでしょうか。

歩みをすすめると、豊平館エリアへと川端はつづきますが、このエリア豊平館の改修工事にともない立ち入ることができずに迂回をしいられました。さらにその先にある日本庭園エリアは犬をつれての立ち入りが制限されているので、バウ連れの私は入ることができません。歩みをどちらにとろうかと逡巡した結果、中島公園の由来となる、菖蒲池へと向かうこととします。

鴨々川をあるく

菖蒲池

菖蒲池はKITARA手前の鴨々川本流から水を引き込み池に水をたたえた後こども劇場あたりから本流へと水をもどしていきます。

絶好の撮影スポットらしく、この日も沢山の観光客やカメラマンが足をとめています。当然私もいろいろな写真をとってみます。

菖蒲池

菖蒲池

ここに泳ぐかももまったく人から逃げることをあまりしません。さすがに至近距離までちかずくとにげだしますが、こちらが危害をくわえないとわかっていれば平気に池の岸で羽を休めています。

写真をとりまくったあと、中島公園交番へと歩みをすすめて中島公園を出ます。

鴨々川すすきのエリア

鴨々川すすきのエリア

すすきのエリアに突入すると、コンクリ護岸にはなりますが、なんとなく景観に配慮すかのように柵は木柵風、2面の護岸にはつたを這わせて古い町並みを演出するような演出が施されています。

このあたりは錦鯉が放流されていて、
あきにこい

紅葉と鯉の見事なコラボをみることができます。

錦鯉エリアをすぎるとほどなく三面護岸となり、

創成川へ切り替わり

創成川へ切り替わり

南7条の創成川への切り替わり地点となるのでした。

今回の鴨々川逍遥はここで終りとしました。

いつもみている定規のようにまっすぐながれる創成川とはまったくちがった趣きを見せてくれた鴨々川。同じ流路の都市河川でもここまで表情を変えてくれる稀有な川だと今回改めて再認識させてくれた鴨々川散歩でした。

撮影場所 札幌市中央区 中島公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★★☆
撮影機材 NIKON D3000

 

あいの里修景水路「せせらぎ」を歩く。

あいの里修景水路「せせらぎ」
トンネウス沼を1週した後、あいの里地区の地図をみてみいてきになっていた、にいってみました。

この写真にうつっている水をポンプでくみ出しているところが、この水路の起点となっています。場所はあいの里公園のすぐとなりのたつのこ公園に高く盛られた土の上です。

なかなかにいい雰囲気をかもしだしています。造園センスがひかりますね。

せっかくなので、この水路沿いにバウと歩いてみることにします。ルートは上の図にGPSログを記載しています。総距離は約3kmでした。

たつのこ公園の噴出口をでた水路は、公園の外周を回り、

たつのこ公園内のせせらぎ

たつのこ公園内のせせらぎ

あいの里の住宅地の中へとながれていきます。

1980年代に住宅・都市整備公団によって計画的な整備がおこなわれた、あいの里地区です。住宅街といえども、無造作な宅地といった感じはまったくなく、

あいの里

あいの里

整然と、景観よく、しかもこの水路も街並の一部として景観の一躍をになっています。住宅のカラフルな外壁、水路脇を庭の花、程よく蛇行するする水路、とてもいいバランスです。たしか昨年くらいにこの水路を地域住民で綺麗にしようという運動があったようで、余計な藻などもなく綺麗な水面をみせてくれています。

たつのこ公園からまっすぐ西にむかっていた水路もあいの里北公園にぶつかるあたりで、一旦南下します。

あいの里北公園わき

あいの里北公園わき

この区間は、あいの里北公園と 鴻城小学校の間をながれていて、住宅の庭木はみえなくなり、柳の並木になります。

あいの里北公園通りをわたると、

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水路はなかなか和める蛇行具合となり、目をたのしませてくれます。

その蛇行区間を過ぎると、水路は再度西進します。その河畔は再び住宅街の中にはいっていくわけなのですが、

再度住宅街へ

再度住宅街へ

こんなおしゃれな区間があるのですね。なんだか高級住宅地みたいです。

うらやましい気持ちをいだきながらまだまだすすんでいくと、水路はあいの里公園通りへとぶつかり暗渠へ一時もります。

あいの里公園通り歩道橋

あいの里公園通り歩道橋

ここの歩道橋もしゃれているデザインですね。

あいの里公園通りを超えて、あいの里西公園にぶつかると、今度は一旦北上します。

白樺並木

白樺並木

今度は、並木が白樺の並木となります。変化のある流路にあきることなく歩みをすすめていけます。

あいの里三条郵便局あたりで、再度水路は西進をはじめ、水路の水も

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護岸幅いっぱいになりだし、そろそろ修景区間も終りそうな雰囲気をだしてきます。

あいの里循環通りをわたるあたりで、金網の暗渠となり、

金網暗渠

金網暗渠

この暗渠から顔をだした、水路は、

修景区間は終り。

修景区間は終り。

修景区間が終了したよと言いたげな三面コンクリート護岸で、藻もうく普通の水路の顔となります。

ここから先は、ニュータウンの造成地区とは違うのでしょうか、よくある普通の宅地の景観となりました。修景区間はおわりましたが、せっかくなのであるいていきます。周りは畑もみえだし、地域の散策路として整備されたあいの里緑道も交わりだしてくると、

そろそろ終り?

そろそろ終り?

畑の先へと、暗渠の中にすいこまれていきます。
川筋が見えなくなったので、どうすすもうか逡巡しましたが、このまま道路にそってあるいてみると、

水路然

水路然

車の板金屋さんの先で、このような水路然とした「せせらぎ」が顔をだしてくれました。
この水路のゴール、ペケレット湖まではあと少しのところです。このまま水路沿いにあるいて、藍の道に突き当たると、

探訪終了地点

探訪終了地点

水路はペケレット湖園の敷地内へとすいこまれていきます。
ちなみに、この水路を吸い込むペケレット湖園は、

ペケレット湖園

ペケレット湖園

現在は予約のみの対応とのこと。
いきなりははいっていけないし、お金かかるし、バウもいるし、今回の探訪の終了地点はここまでとしました。

ほかの地域ではなかなかみられない宅地の中を約3kmも水路が流れる美しい街。なかなか大規模な計画だったのでしょう。一時期は水路の水が藻で覆われ匂いもはなっていたのこと。人の手をかけ造成された設備なのだから、できれば今のこの美しい景観をこれからもきれいいに維持してほしいなと、部外者ながらおもってしまいました。

撮影所 札幌市北区あいの里
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 NIKON D3000 / SIGMA DP2

月寒川旧流路を歩く。

月寒川旧流路をあるく。

久々のシリーズです。

今回は、もう埋め立てられてしまった川ではなく、現在もしっかり流れている川の旧流路をたどってみようと、白石区の北郷をおとずれてみました。

辿る流路は

この川の水系には、しっかりと、という旧流路をあらわす支流があるのですが、今昔マップで1916年の地図をみてみると、

札幌新道からの流路が若干ずれているようです。しかも旧月寒川の少し南側に遊歩道があります。宅地の中にひっそりと存在する遊歩道ってのは、 だいたいは河川跡か鉄道跡ってのが相場がきまっています。今昔マップで、じっくりと昔の月寒川の流路をトレースしてみると、この遊歩道としっかりと一致しました。

と、いうわけで、この遊歩道をまでバウと歩くこととしました。

ルートは以下の通り。

ほぼ1916年の月寒川の流路どおりでした。

スタートはTOPの写真の場所。JR線が月寒川をわたる鉄橋からとしました。

ちなみにここは、JR貨物の札幌貨物ターミナルの一角となっています。

札幌貨物ターミナル
札幌貨物ターミナル posted by (C)ジプシー

この写真は札幌新道の高架橋から札幌貨物ターミナルを月寒川の上流側から撮ったものです。丁度貨物列車が入線している最中でした。かなり広い敷地ですよね。コンテナとかは、この写真の逆側、大谷地の流通センターのところに無数においていあります。

閑話休題

では、スタートします。

月寒川旧流路遊歩道スタート

月寒川旧流路遊歩道スタート

鉄道脇の道路から少しだけ奥まったところに遊歩道のスタート地点があります。白石区内で鉄道の北側の河川跡に遊歩道を敷設しているのは ここだけではないでしょうか。の流路跡は鉄道の南側には遊歩道とかありましたが、北側は車も通れる一般の道路が敷かれていました。河川跡の遊歩道があるってことは、宅地や道路が現状とそれほど変わらない配置で造成されたころはまだ川がしっかりとその形を残していた証だと思います。逆に河川跡や暗渠の上に一般の道路があるのは、河川の改修とともに造成が始まった証なのではないでしょうか。と、いうことは、遊歩道があるところは割りと古くからある街並で、一般道となっているところは逆に比較的新しい街並として判断できるのではないでしょうか。ここ北郷はその視点でみるとわりと古くから現在と変わらない街並だったのでしょうか。

そんなことを思いながら割と広めの遊歩道をあるいていくと、

住宅街の生活道路を渡る遊歩道

住宅街の生活道路を渡る遊歩道

途中こんな感じで、生活道路の狭間に道が残っている場所があったりします。

詳しくはしりませんが、河川跡ってのはむやみに造成できないようだし、個人所有にもできないようなことを聞いたことがあります。この写真はここがそんな河川跡である動かぬ証拠なのではないでしょうか。

ここを過ぎると、道路の様子は最初の簡易舗装的な癒し系のアスファルトから、

DSC_0209自転車道路のようなしっかりとしたつくりの白線が引かれたアスファルトとなります。

この写真のような地図ではあまり読み取れないいい感じのカーブがあると、河川のあとをあるいているんだなって気分になってちょっとうれしくなりますね。

この道の先には、

北13条北郷通り

北13条北郷通り

北13条北郷通りに出ます。遊歩道はこの幹線道路を渡り先に伸びています。

アスファルトの様子はまた簡易舗装的な癒しの舗装路になり、公園や学校の横を歩いてくと、

素敵なS字

素敵なS字

こんな素敵なS字カーブがある道の先で遊歩道は現在の旧月寒川に沿ってしかれていきます。

旧月寒川河岸

旧月寒川河岸

ここを過ぎると、水源地通りをわたり、

そして、

厚別通りへ。

厚別通りへ。

厚別通りに沿うようにすすんでいきます。

厚別通りに沿っている部分は遊歩道はなく、厚別通りの歩道をあるくことになります。

ある程度まで進むと厚別通りから離れ、

厚別通り沿いの旧月寒川

厚別通りと離合直前の旧月寒川

再度遊歩道が敷かれ始めます。

遊歩道再び

遊歩道再び

そして、住宅地の中や学校の横を抜けながら

遊歩道後半戦

遊歩道後半戦

望月寒川の直前で、へと水をわけ、

米里川との分流点

米里川との分流点

旧月寒川は、望月寒川へその水をあわせ、遊歩道もゴールとなります。

望月寒川と旧月寒川との合流点

望月寒川と旧月寒川との合流点

月寒川の旧流路はこのあと、とあまりうれしくない名称をつけられ、豊平川へと向かうのでした。

このあとの逆川の探訪記は、以前逆川を歩いてみる。というタイトルでエントリーしていますので、そちらも合わせてお読みください。

今回の月寒川旧流路遊歩道、途中、北13条北郷通り、水源地通り、厚別通りなどの交通量の多い道路を渡るポイントもありまますが、底だけ気をつければ、道幅広く、道路状況もしっかりと整備されたアスファルトの道路で、まったりゆっくりと歩くには最適な2.7kmの癒しの小路でした。

バウといい散歩をさせてもらいました。

撮影所 札幌市白石区北郷1条10丁目5−20
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

星置緑地メム

星置緑地メム

水辺で見ることができる爽やかな春を探しに、手稲区の星置緑地にいってきました。このブログのメインテーマである河川とは少しはずれているようにみえますが、土地に現れる水はすべて川に吸収されると思いますし、このメム(湧水池)も河川へのつながりを探す探索もおこなっていますので、ご容赦を。

まずは、星置緑地の散策を。

今年は雪解けが早く写真のように水芭蕉が例年より1~2週間早く咲き始めました。ほかにも、

エゾノリュウキンカ

エゾノリュウキンカ

キクザキイチゲ

キクザキイチゲ

なんかも咲いていて、目を楽しませてくれます。

ここはアスファルトで覆われた星置の市街区の中ぽつんと残った湿地帯で、街区化の波を逃れた不思議な場所なのです。1916年の地図をみてみると、函館線沿いのこの区域は稲作地の記号がかかれていました。きっと田んぼのあぜと線路の間のちょっとした沼だったのでしょう。

この湿地には木道が渡されていて湿地に咲くいろいろな花を眺めることをできるようになっています。

星置緑地のマスコットのかも

星置緑地のマスコットのかも

湿地の中には人なれをしたかものつがいが仲良くのんびり浮いています。

では、この湿地の水源はというと、

星置メム

星置メム

このような湧水が湿地に点在し染み出しているのです。

こういった場所をアイヌ語ではメムとよんでいて、札幌市内のいたる場所にあったようです。

ここ星置緑地の場合は、手稲山から流れ出るが作り上げた星置(複合)扇状地の末端の下に位置しています。扇状地を形成する砂礫は函館本線の上の崖で終りその下からは砂泥が堆積する地帯になります。それは線路横の乾いた土を見ると納得ができるほど目に見て明らかです。扇状地砂礫の地下にしみこんだ各河川や沢の水がいきなり標高の低くなる砂泥地区に当たると、地下水位は当然高くなり、おまけに目の細かい砂泥地になるので、堆積の状態によっては地下水が行き場を失って地表に出てきて湿地を形成したのです。

特にこの星置緑地に代表される星置地区はこのような湧水が沢山あったそうです。もしかしたら手稲の由来、湿った場所の意味の「テイネ・イ」というアイヌ語はここをさしていたのかもしれない。なんて説が、札幌市の博物館交流誌「ミューズレター」2013年12月 通巻55号 の十区十色のコラムにかかれていました。(こちらから参照できます

で、ここから探訪です。

水があるからには、その水は地表・地下問わずどこかにながれだしてくものです。そうでなければ水があふれかえるですからね。では、星置緑地のヘリを歩いてみると、北西のかどにこんな出口らしい場所をみつけました。

星置緑地メムの出口?

星置緑地メムの出口?

流下方向はあきらかに星置緑地の外にながれでていました。

では、この水はどこにいくのだろう??

耳を澄ましてみても、近くにマンホールやくぼ地がないかを探してみても、イマイチ判明できません。そこで

地図をみてみます。


大きな地図を表示

2ブロック北上した場所に水路の表示がありました。この水路、地図でたどってみると、とであって、直線的そのまま今度はとなっていました。

手稲土巧川は地図上は濁川の右岸からスタートしているのでもしかしたら、この水路、手稲土巧川の起点でもあるかも知れないっていう期待ももてました。

暗渠が開渠として地表に顔をだしてきているところがスタートかとおもっていました。ところが、いってみると地図でスタートとなる水路左端は見事にドンツキでした。そして、ちょっと川の中をみてみると、

星置排水川

星置排水川(仮名)

コンクリ三面護岸の川底の真ん中にちょっとした裂け目から水が湧きだしていました。

お??

もしかして、ここもメムなの???

真相は調べていなので、わかりませんが、ご覧のように透明感のある水が湧いているのは、まぎれもない事実です。周りを見渡しても暗渠っぽいマンホールやくぼ地も見当たらないし、ポンプの音もきこえません。凄く不思議です。今の私の知識だとこれ以上の真相はえられないので、この川の終点まであるいてみることにします。この時点では、この川はきっと手稲土巧川の一部であるという確信をもっていました。

川は、三面護岸の定規でひいたようにまっすぐと進んでいきます。

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進むにつれて付近の排水が流れ込みどんどん水の色が白濁色になっていきます。三面護岸の水路なので浄化作用は期待できませんのでしょうがないのかなとおもいます。

そんな川の色をみつつ、星置駅前通りを過ぎ、濁川との出合いまでいって愕然としました。

濁川と星置排水川(仮名)

濁川と星置排水川(仮名)

いままで歩いてきた水路はしっかりと濁川と合流をしているのですが、期待をしていた手稲土巧川の取水口がどこにもみあたらないのです。

どういうこと???

この事実だけで判断をすると、いままで歩いてきた水路は手稲土巧川とはまったく関係のない存在なのです。手稲土巧川はというと、暗渠の中で数百mうごめいて曙西緑地を過ぎたあたりで地表に顔をだすのです。曙西緑地下は明らかに暗渠跡なのですが、そこより西側からここまでは暗渠風の場所はまったくみあたりませんでした。

手稲土巧川とまったく関係のないこの水路、きっと正式名称はあるのでしゅうが、帰ってきてからインターネットを調べてみても、まったくヒットしません。

では、ではってことで、

ひらきなおって、ここでの紹介名として星置排水川(仮)と名づけておきました。

なにかの機会でこの水路の正式名称がわかったら改めて紹介をしようとおもいます。

 

撮影場所 北海道札幌市手稲区 星置緑地
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材  NIKON D3000

星置旧川道を歩く 星観緑地から星置南4丁目

星置川旧川道を歩く

ここ最近4エントリーは星観緑地近辺の川の合流点を掲載してきましたが、今回のエントリーはその締めくくりです。この星観緑地の西縁は札幌市と小樽市の境界となっています。市区町村の境界ってのは概して川の跡であることが多く、この小樽・札幌間の境界も間違いなくの旧流路であることが、今昔MAPの1916年の地図を見ても確認とれました。


そこで、折角なので、歩いてみようとバウと一緒にでかけていたのでした。

そのGPSの記録を下記にしるします。

では、歩行記をスタートします。

スタート

スタート

スタートは、起点の対岸からです。境界なので、写真にも少しうつっていますが、境界を示す紅白のポールがたっていましたので、そこを目印に歩いていきます。小樽側は行き捨て場になっていて、うずたかく雪がつまれていましたが、札幌側はすっかり雪が消えて畑の準備が始まりそうな感じでした。

星観緑地入り口

星観緑地入り口

そこから畑の縁沿いに歩くと、下手稲通りにぶつかり、星観緑地へと入っていきます。小樽側に目を向けると、であろうくぼ地も目にはいります。

ポンナイ川との境

ポンナイ川との境

この写真でみると左側に伸びるくぼ地が星置川の旧流路で右側のコンクリの構造物の先がポンナイ川の流路になります。

進行方向はもちろん、星観緑地の中へなのですが、この緑地の縁はちょっとした林になっており、融雪直後のため緑地の境界をしめる木の塀は所々倒れています。きっとこれから公園管理の人たちがいろいろと整備をしていくのでしょうね。景観的には殺伐とした景観がつづきます。ただ、この時期は藪はそだっていないので、苦労せず歩みを進めることができます。所々にイタドリが倒木のように地面に覆いかぶさっている場所もありましたので、そのあたりは少しだけ歩くのは難儀でした。

 

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この星観緑地の縁にはご覧のように塀と排水溝が終始ガイドのように存在しているので、これにそうように緑地内を散歩していきます。この散歩の間早めの時間でもあったので、緑地内では人に合うことはありませんでしたが、もし他の人が私たちの歩いている姿をみたら、なんて物好きなやつが歩いているんだと、おもったことでしょう。林の中に春をすこしずつ感じながら緑地内を縦断すると、今度は、ほしみ駅前通りにつきあたります。そこで撮ったのがTOPの写真になります。写真に写っている川はです。キライチ川はここからJRの線路を越えるまでは、星置川の旧流路をたどっています。境界線は鉄橋を渡ったあたりで、東南の方向に進んでいます。と、言うことは星置川とキライチ川の旧合流点は丁度鉄橋の下辺りだったのではという想像がつきます。

このキライチ側の堤防をたどって線路の向こう側にでようと、当初は計画していたのですが、どうやら堤防は線路下をくぐっていません。これはしょうがないと一旦GPSのトラックを止め、迂回をしていきます。線路の反対側には星観緑地はないので、あとは地図を見ながら境界線をたどることとなります。

線路の反対側にでたあたりで地図をたよりにをみまわしてみると、

良い感じの土管

良い感じの土管

排水溝が良い感じの土管を通ってキライチ川に流れ込むポイントを発見しました。川の跡って言うのはなにやら法律で構造物の建造が規制されていると読んだ覚えがあります。きっとこの排水溝にそって歩けばとしっかりとしたログがとれるのではと、トラックログを再開いたしました。

ちょうどほしみ駅を見渡せるポイントまででたので、撮り鉄をしながら、

ほしみ駅

ほしみ駅

東側をみてみると、良い感じに屈曲した道を見つけることができました。

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しっかりと排水溝もあり、これはあきらかに境界線であり星置川の旧流路であることがわかります。

写真にもうつっていますが、どうやら私有地を示すロープが木にそってはっていました。その左の小さな土手の上にはアルミの柵もみることができます。でもその柵とロープの合間は共有地になるのでしょう。ということでこのルートは土手の傾斜を通っていきます。星観緑地内もそうでしたが、今回の星置川の探索ルートはなかなかアドベンチャーなルートだなと思いながらこの土手を通りすぎると。

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ほしみ駅への道路にでてきます。この道路の反対側をみてみるとまた良い感じでどうろが湾曲しています。これはあきらかに川の跡の道ではないでしょうか。うきうきしちゃいますね。

道の両側は民地なのでしょうから不法侵入にならないように道路の真ん中をしっかりと歩いてゆくと、星置川の堤防がみえてきます。

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川跡らしき平地を探しGPSトラックを作っていこうと歩き星置川の堤防に上りゴールとしました。

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堤防に上がってから国道5号線方面に目をむけ星置川の上流をみてみると、星置川が谷間を作ってながれてくるのが見る事ができます。

あの谷間あたりが星置扇状地の始まりになるのでしょう。きっと昔のアイヌはこの先を川に沿いながら手稲山へのぼっていったのかなと、おもいつつ帰路についたのでした。

撮影場所 北海道札幌市手稲区星置 星観緑地~星置南4丁目
アプローチ難度 ★★☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000 / CANON EOS X2

豊平川と厚別川の旧合流点跡(旧豊平川 落合橋端付近)

豊平川と厚別川の旧合流点跡

最近、旧河川跡の散策がシリーズ化しつつありますが、今回はいつもの合流点めぐりと休河川めぐりの中間にいちするようなポイントにいってまいりました。場所は、の落合橋付近です。
ここは、が昔合流した場所で、このそばにかかる落合橋も、以前ここらあたりで2つの河川が合流していたのでつけられた地域名とのことです。

いつもの今昔マップさんをみてみると、

見事にこの場所まで厚別川がきていたことが1916年の地図に明記されています。ただ、この時点ですでに厚別川新水路が開削されており、1916年の地図では、「新川」となづけられた直線的な水路となって現在の角山付近までその足を伸ばしているのがみうけられます。また1916年の地図では、新水路ができているからなのか、新水路以降の厚別川の川幅が若干細くなっているようにも見えます。

また豊平川への架橋事業は札幌の都市化に伴わないくらいにおくれており、この落合地区から対岸の対雁へとわたるためには、渡船場から渡し船を利用していたとのことが、白石区のホームページのコーナー、白石歴しるべに記載されていました。(伴の渡し(PDF:219KB)

そんな豊平川本流がここ東米里地区を堂々とながれていたその昔に比べ、現在はヒッソリと静かな流れともつかない水をたたえた旧豊平川に流れ込むように、大きめの排水?が往時の厚別川の面影なのでしょう。

旧豊平川に流れ込む厚別川の旧川道を利用した排水

旧豊平川に流れ込む厚別川の旧川道を利用した排水

春先のこの時期だからこそみることができますが、きっと繁茂期になれば一面緑に覆われその姿を拝むことができないでしょう。

 

撮影場所 北海道札幌市白石区東米里2053
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 Canon EOS KISS X2

小沼川跡を歩く その2

小沼川跡を歩く その2

散策の続き、上流部菊水上町側をあるいてみます。

小沼川は、札幌東高校あたりの湧き水を水源とし途中をあわせ、菊水元町9条1丁目当たりでと流れを合わせへと流れを注ぐ川です。湧水を源とするのですから泉が枯れれば流れもなくなり川は埋め立てられます。そして残ったのが、菊水元町側は以前のエントリーの通り南7条米里通り。そして今回歩くのが菊水上町川に整備された、旧小沼川遊歩道です。

以前の流路は、今昔マップをみてみてください。

今回は、TOPの写真に写っている菊水上町側の小沼川跡と鉄橋をスタートし、札幌東高校をゴールとします。TOPの写真の右側に流れているのが小沼川の跡になります。小沼川自体は埋め立てられて地図からは消えていますが、その流路を利用して排水溝とでも利用しているのでしょうか、水の流れを見ることができます。ちなみに線路をはしっているのは、寝台急行はまなすです。通常運行の車両としては北海道で最後に残ったブルートレインです。

では、スタートしてみましょう。

スタート DSC_0031旧小沼川遊歩道の東端はこんな感じまだまだ雪に半分くらいは覆われています。前回の探索の際長靴をはいていったおかげかかとを軽い靴ずれにしてしまったので、今回はスニーカーにしたのですが、まだちょっとはやかったようです。早朝で気温もあがりきっていないので、そんなにぬからないかと踏んで雪の中藻すすんでみます。雪の途切れた道端には、

早くもふきのとうが

早くもふきのとうが芽吹いてきました。

春の息吹を感じられるような緑がみえはじめてきました。それでも3月の札幌、雪のたまりはそこかしこにあります。

菊水上町4条2丁目DSC_0034東端の遊歩道の終りと次の遊歩道の菊水上町4条2丁目あたりは、こんな感じで雪が厚く残っています。

目印がなく雪の山を登るのも少しきがひけたので、1メートルくらいはなれて平行している普通の道路を巻いてすすみます。

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菊水上町4条1丁目から菊水上町3条1丁目の遊歩道扱いになっている道路は割りと道幅もあり、両脇に宅地っぽく住宅が綺麗にならんでいます。くねくね遊歩道もここで終りか~と少し残念な気持ちで歩みを進めてみると、

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そんな思いをきれいに裏切ってくれるこのクネクネと残雪が3条1丁目の真ん中あたりからはじまりました。ただ、この突き当たりは数年前にお目見えした平和大橋の基部になって遊歩道は一旦分断されます。

ちょっと残念な気持ちで、平和通りを渡し向かいの道路にたどりつき、遊歩道をさがしてみると、、、。

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でました!雪の山にうまった遊歩道!

先ほどのように1mくらいしか離れていない巻き道はみつかりません。ここで迂回してしまうとなんだか負けてしまうような変な意地がわきあがりバウと一緒にこの雪の山にチャレンジをします。雪自体はぬかる場所はそれほどなく、ザクザクと歩みを進めることができました。

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菊水上町2条1丁目を斜めに進み雪山を無難にクリアすし、また遊歩道を探すと、、

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またまたでてきました。雪の山の遊歩道。しかも今度は回りに民家がきっちりとたちならんでいるので、その家の屋根の雪がおちてきたのでしょう。山の稜線のような格好で行く手を阻みます。それでも、私とバウの川跡探検隊はめげません。あまり埋まらなそうな場所を探しながらザクザクと進み、

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最後の雪山をクリアしました。なんだか楽しい気分になってきたところで、菊水上町2条2丁目で一旦遊歩道は途切れます。iPhoneのジオグラフィカの地図を見ながら小道のありそうな方向へ歩みをすすめると、

菊水いずみ公園

菊水いずみ公園

菊水いずみ公園なる街区公園につきました。いずみ公園なんて、なんて意味深な名前でしょう。きっと小沼川にかかわりがあるのでしょう。この公園の中をさくさくとすすみ出口にたどりつくと、道路を挟んだ反対側に、またもや遊歩道を発見

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このまま進み菊水9条の横断歩道のある交差点へとでました。

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この交差点から東高校側をながめてみると、良い感じの弱三角形の建物とその奥にちょっとした道が。川跡ってのは不自然な建物と道路が多いのは決まりきったことなので、12号線を渡りのその斜め道を通って東高校をめざします。

すると、東高校のグランドの向かい側に、

小沼川のメム跡?

小沼川のメム跡?

民地なのでしょうが、少しくぼんだ広めの庭らしきものを発見。もしかしたらここが小沼川のメムの跡かもと思いながらゴールとしました。

今回のルートはこんあGPSログとなりました。

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前回のルートとあわせてみると、

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このようになりました。わりと忠実にたどれたかなと思います。菊水上町側は白石川のときと同じように、見所満載の楽しい探訪となりました。

撮影場所 札幌市白石区菊水上町4条2丁目52−11
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

 

小沼川跡を歩く

小沼川を歩く

 

さて、今回は札幌の河川跡としては割りと有名な跡をたどってみようと思います。

流路は、と同じく白石区菊水元町菊水上町を横断してで合流となります。

以前も掲載したこの昭和23年の空中写真をみてみると、前回歩いた白石川に平行してながれているところがうかがえますし、今昔マップの1916年の地図をみてみても、それは伺えます。

で、今回のエントリーでは、JR線を挟んで、逆川までの下流域を探索します。今回のTOP写真は残された小沼川の鉄橋付近から寝台特急カシオペアを撮影しました。ちなみにこの周辺は鉄道ファンの間では菊水S字とよばれ、もう少し札幌方のところに撮り鉄さんたちが毎日誰か彼かいるポイントだったりしています。

では、スタートです。

小沼川鉄橋・菊水元町側

小沼川鉄橋・菊水元町側

前回の白石川探訪のときと同じく、菊水元町側の派手な見所はあまり多くなく、最大の核心部はこの残された鉄橋でしょう。コンクリート製橋脚?と雪に半分埋まりかけ、しかも線路に平行している道路からもほとんど見ることもできず付近の整備工場の駐車場の奥にひっそりとたたずんでいる小沼川鉄橋。流路上で往時をしのばせる最後のポイントです。ここ以降は古い河川の形跡さえなくなり南7条米里通りが小沼川の跡地を悠々と縦貫しています。

小沼川オーバークロス

小沼川オーバークロス

線路からの下流域跡を走る南7条米里通りは、線路をアンダーパスによってわたっていきます。

 

1971年空中写真

1971空中写真
出展 国土地理院

1985年空中写真

1985年空中写真
出展 国土地理院

1971年の空中写真ではまだなアンダーパスもなく、白石川の流路もしっかりみることができます。また小沼川の流路もみることができます。1985年の写真では、アンダーパスはしっかりと整備されており、白石川の流路も見えなくなっています。現在の札幌市の街区に近くなっているように見えます。札幌にとっての高度成長期って本州とはちがって、1980年くらいからバブル崩壊直前の1988年あたりまでだったのかと思えるような写真です。

 

 

元町ストア

元町ストア

アンダーパスの連絡道路には道路整備によって取り残されたかのような商店の形骸がありました。 多分アンダーパスが整備される前まではこの踏み切りのそばには、お店が立ち並んでいたのではないでしょうか。そんなことを思いながら歩みを進めます。

アンダーパス
北13条北郷通りとの交差点
上白石神社
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アンダーパスをぬけて地上に出た後程なくして北13条北郷通りと合流をします。その後は上白石神社あたりで白石川と合流をはたし、また緩いカーブを描きます。

地図を見てみると、丁度北13条北郷通りとの交差点あたりが豊平川と一番近づいています。距離にして100メートルもないでしょう。1916年の地図を見てみても、逆川へとながれをあわせる前まではこのポイントが、現在と同じく、豊平川に一番ちかづくポイントです。

そもそも、豊平川は札幌扇状地を形作っているわけなのですが、開拓がおこなわれる前までは、ことあるごとに流れを変え取り残された川は支流となり、札幌北東部は見事に川だらけになっていたようです。どうやらこの小沼川もそんな取り残された川の一つであったという話もあるようなないような、、、。地盤にしみた水がメムで再度湧き出してきたとも思えます。

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さて、話を歩みにもどすと、北13条通りとの交差点からすこしあるくと、今度は環状通りとの交差点がまっています。現在はかなり交通量の多い2つの道路、片方は小沼川に沿って米里までと導く道ですが、果たして環状通りは、、。

今昔マップで昭和52年の地図を見てみると、豊平川をわたる橋はありませんですが、環状通りの道筋はしっかりありました。豊平川は都市を流れる大型河川としては類を見ないような急峻な河川だったそうで、貧弱な工法でつくった橋は洪水などが起きるとすぐに落ちてしまったようで、札幌市の橋の建設はわりと遅れがちだったとききます。

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環状通りとの交差点を過ぎると、緩やかな右カーブを切りながら逆川へと向かっていき小沼川の流路は終了となります。

今回の川歩き割と長い道を歩きました。街の中の道は雪もほとんどなくなりそろそろ春の装いといったところでしょうが、なんとこんな日に長靴でパタパタ歩いてしまいました。長靴に中敷をいれていないでの、かかとのあたりがすれてきて、軽いやけどっぽくなってしました。そろそろ待ち歩きはスニーカーへときりかえなきゃですね。

小沼川流路下流

今回の小沼川跡下流域のGPSログです。ほぼ南7条米里通り上です。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条1丁目7−22
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000/iphone5c