カテゴリー : 石狩北部

茨戸川と真勲別川の合流点

茨戸川と真勲別川の合流点

あけましておめでとうございますの、2015年最初の写真はの合流点に登る初日の出です。

手前は茨戸川が石狩川に流れ込むための生振運河(志美運河)で、ここを境に写真奥左側が真勲別川となります。元々真勲別川も茨戸川も石狩川の河川改修によってとりのこされた旧川道です。最初は旧石狩川とされ、その後茨戸川と改称され、その際に生振運河(志美運河)を境に東側を真勲別川としたそうです。

ここまでのアプローチは、夏場でしたら、運河沿いにある堤防を歩けばよいのですが、冬場はだいたいの堤防がそうであるように、ここも雪に閉ざされます。雪の上をスノーシューを駆りながらえっちらおっちらとたどり着いたので、アプローチ難度を★4つとしました。

初のスノーシューはなかなか歩きづらくまだまだ慣れが必要だと実感しました。

そんなこんなで今年も川歩きをどんどんやっていきたいと思います。

で、初日の出を拝んだあとは初詣です。かなり場所ははなれますが、今年の初詣で先は、

相馬神社

相馬神社

平岸にある、札幌50峰にも数えられている、天神山山頂の相馬神社にいたしました。

天神山登り口

天神山登り口

天神山緑地として整備されているので、地面はご覧のようにアスファルトで登りやすくなっていましたが、ここ天神山緑地への入り口は多数あり、場所場所によってはその様相も様々のようです。私は今回は天神山緑地駐車場からのアプローチでしたのでこんなかんじですが、相馬神社の参道は結構きついのぼりのようでした。

標高84.9mの天神山あっという間についてしまいました。

天神山山頂

天神山山頂、相馬神社鳥居

しっかりと今年の祈願もしてきて、今年の登り初めを終らせました。

川歩きとともに山歩きもやってくつもりですよ(^^

あとは、、、、 鉄道、、、自動車、、、滝、、ポートレイト、、なんかも攻めなきゃね(笑)

天神山からの眺望

天神山からの眺望

 

札幌50峰9座目 (天神山84.9m)

撮影場所 石狩市親船町3−27
アプローチ難度 ★★★★☆
景観 ★★★★☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

幌向川と清真布川の合流点

幌向川と清真布川の合流点

そろそろ年もおしせまってきていますが、相変わらず川の写真を撮りにいっています。

今回訪れたのは、左側のまだ水が流れていると右側の川面が結氷をしたの合流点です。

夜間撮影でもあり、白と黒のコントラストが、なんとも重厚な雰囲気をかもし出してくれました。また、この合流点、グーグルマップのストリートビューで下調べをしたときには、中規模な河川と小規模な河川の合流点として見えて、あまりスケール感がかじられなかったのですが、訪れてみると、なかなかどうして堂々としたたたずまいでした。そんな雰囲気も写真で伝えられるとよいのですが、まだまだ私の腕ではそこまでは伝えきれていないかもしれません。

この合流点は、江別市の豊幌町にあるのですが、その流域のほとんどをが隣町の岩見沢市を流れています。そして、この両河川とも洪水常習河川として、同士の治水事業の要となっていたようです。その証拠に河川規模のわりには広々とした河畔をもち、高めの堤防を整備しています。もう少し下流に進むと夕張川との合流、そしてほどなくして、 石狩川との合流点があります。そしてそこからすぐに千歳川 と石狩川が合流します。要するにこの地域周辺の石狩川は、一挙に水量が増す地域なのです。大雨などで河川全体の流量があがれば、石狩川の水量増加の影響は数キロ離れたここまで及ぶのでしょう。そして護岸されていなければ、まったいらな石狩平野の終端に位置するこの地域では増水した水の行き場は自在に変わり、いろいろな場所へと流れ込むに違いありません。実際にこの場所に行くまでに通った道すがらいろいろな排水路をみることができました。きっと近々にこの地域の河川の写真を撮りに行くことなると思いますのでちょっと楽しみです。

撮影場所 江別市豊幌355
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

野津幌川と機農川の分流点

野津幌川と機農川の合流点

今回は久々の夜間撮影となりました、の分流点です。機農川は、ここで野津幌川と別れた水をへと運びます。世田豊平川との合流点は以前世田豊平川と 機農川の合流点でエントリーしています。野津幌川・厚別川沿岸の江別市大麻から角山辺りは泥炭地で、それはここを走る道路のうねりを見てみると一目瞭然です。そんな地域に人の営みを作ろうとすると、やはり排水・利水・治水との戦いなのでしょう。きっとこの機農川はその一翼をになっているのではないでしょうか。それでも、この機農川近辺は畑作よりも酪農農場が多く、畑作や稲作を広がらなかったのではないでしょうか。

そういえば、ここを走る大麻と角山を結ぶ道路ですが、雪解け期になると野津幌川と厚別川の間はよく冠水していたなと、この写真をとりながら思い出したのでした。

撮影場所 江別市大麻450
アプローチ難度 ★★☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

世田豊平川と 機農川の合流点

世田豊平川と 機農川の合流点

今回は昨年2013年11月16日に撮影をしたの合流点のご紹介です。

今年もですが、この時期になってくると気温もかなり低くなってきて、霜やらみぞれやらあられやら雪やらが降ってくるようになります。いよいよ冬が来る気配になってきます。この写真にも、雪が世田豊平川の対岸に降っているのが写っています。

機農川は、から流れをわけ世田豊平川に流れ込んできます。この川の河畔は畑作・畜産などの農業地帯が広がっています。多分周辺の排水用として、また起点に大型の排水機場があることから野幌川の治水用として開削されていった河川なのでしょう。そういった生い立ちの川はだいたいは味気のない護岸がされていることが多いのですが、この機農川にはなにか趣きが感じられるような気がします。この季節の寒さでけぶった空気感や冬枯れの木立や手前の枯れ草がそうさせているのかもしれません。こんな感覚を得るのも川歩きの楽しみだったりします。

初冬の紅
葉をおとしたナナカマドの木になる赤い実もまた冬の情景ですね。

撮影場所 江別市角山92−10
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 FUJI FinePix S9100

早苗別川と筋違川の合流点・早苗別川と早苗別川放水路の分流点

早苗別川と筋違川の合流点・早苗別川と早苗別川放水路の分流点

今回から2エントリー分は昨年の10月26日に撮影をした合流点のご紹介です。

写真手前から流れるが写真左からながれてくると合流し、すぐさま早苗別川がへと流れを分けるポイントです。合流点好きとしては地図で見たときすこしテンションがあがりました。こんな近くで合流点と分流点が接しているなんて!!

わくわくして現地をおとずれてみると、ご覧のようにちょろちょろとした流れの小規模河川の集合のような場所で、ちょっと肩透かしでした。

ただ、早苗別川の下流にいくともう少し川幅もあり立派な水門もあります。千歳川からの逆流してくる水の分もありますでしょう。もっと元をただしてみると、水位が石狩川千歳川>早苗別川の順で低くなっているので石狩川が増水するとこの河川まで影響がでるのかもしれません。そのための放水路なんでしょうか。ただ早苗別川にはその昔船も浮かんでいたほどの水をたたえていたので、その治水の目的でもあったのでしょうか。そんなことを考えながらよくよくできた写真をみてみるとなかなか味わい深いポイントのように感じてきました。

おまけ。

この場所に行く前に、江別の錦山天満宮によって落ち葉の参道を撮ってきました。
江別市錦山天満宮
江別市錦山天満宮 posted by (C)ジプシー

撮影場所 江別市上江別303
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SONY CyberShot W-170

石狩川と篠津川の合流点

石狩川と篠津川の合流点

今回のご紹介ポイントはの合流点です。風がつよかったので、奥に見える石狩川の川面は海のように波立っていました。

篠津川は地図を見るとわかるように中流域からくねくねと曲がりくねってここまで流れてきています。かなり昔の流路をのこしているように見えます。

ただ人の手がはいっていないかというとそうでもなく、江別の中島地区にある中津湖あたりがむかしの合流点のようで、そこから一旦北上させて、をあわせてから再度南下し石狩川に合流を果たします。

しかし堤防内の様相は、かなり原始河川の様相で石狩川との合流点を見渡せる場所は、この写真のポイントがぎりぎり近い場所になります。

何箇所かさがしてみたのですが、ほとんどが藪にさえぎられており川面までたどり着くことままならず、対岸の堤防から藪刈りがおこなわれたところをみつけてなんとか川面までは到達できたのですが、あたりを潅木にさえぎられ、合流点を目にすることができませんでした。人の踏跡を拒むかのような篠津川のご紹介でした。

雨雲境界

昨年の10月27日にこのポイントはおとずれており、機材の性能と天気のおかけでイマイチぱっとした写真がとなかったので、今回改めておとずれました。
おまけ
フラノ紅葉エクスプレス

今年のフラノ紅葉エクスプレスはキハ183系改造車のクリスタルエクスプレス車両

江別の石狩川沿いを訪れるときはわりと立ち寄る江別防災ステーション駐車場で撮り鉄をしてきました(^^

撮影場所 江別市八幡124−46
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

元野幌川と屯田川の合流点

元野幌川と屯田川の合流点

今回のエントリーは昨年の10月5日に撮影をしたの合流点となります。

手前から流れてくる元野幌川。流路を地図でたどっていくと江別西インター付近でその流路の始まりを示しています。しかし、そこからまだ上流をたどってみると、野津幌川に行き当たります。wikipediaで調べてみると、20世紀の前半まで、豊平川に直接注いでいたとの記述があり、 豊平川はというと20世紀前半のころは現在の旧豊平川世田豊平川の流路をたどって石狩川に流れ込んでいました。そしてこの元野幌川が注ぐのは世田豊平川です。ここまで条件がそろいさらに野幌の名前から察するに野津幌川の旧流路だったのではないかとの推察ができます。ただ、ここの地域名も元野幌なので、ただ単純に地域名を取った河川名なのかもしれません。インターネットではこの元野幌川の出自に関しての記述はなかなか探しきれませんでした。これ以上の真相を探ろうとすると江別地史とか江別の古地図が必要になってきますね。

そして屯田川。 江別は元々屯田兵による開拓と北越殖民社による開拓の2大開拓勢力によって拓かれてきた地です。野幌という地域名はどちらかというと北越殖民社の手がはいっている場所がおおいのですが、その地域名を冠した川に屯田の名を冠した河川が注ぐって言うのもなかなかロマンを感じられますね。

そういえば、どこの出版の地図川はわすれましたが、この合流点から下流を屯田川として表記しているものを見かけた気がします。

なんてことをかんがえながら歴史に思いをはせる川歩きをした2013年10月5日なのでした。

野菊のフォトフレーム

おまけ。元野幌川の川端に咲いていた野菊

 

撮影場所 江別市元野幌968
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon COOLPIX2500

千歳川とトマンベツ川の合流点

千歳川とトマンベツア川の合流点
前日まで大荒れの天気だった道央なのですが、一転本日はご覧の通りの青空を示してくれました。そんな気持ちのいい秋空の元、訪れたのは、の合流点です。千歳川は札幌近郊を流れる大規模な川としては珍しく、クネクネとした流路をのこしている川です。この写真でも流路の曲がり具合がみてとれるかとおもいます。

一方写真左手前にすこしだけ見えるトマンベツ川ですが、漢字では登満別川と書きます。由来はアイヌ語の「トー・オマ・ペツ」または「トマムペツ」(湿地・沼からの川)とのことで、その通り源流は、野幌原始林の登満別園地奥の小さな沼を源にしているようです。野幌原始林の登満別口あたりの遊歩道を歩けばその片鱗がみえてくるかもしれませんね。

早苗別川起点・大沢川と学田川の合流点でもかきましたが、開拓初期の北越殖民社の先遣隊のみなさんは千歳川を船で登り、多分・はたまたこのトマンベツ川沿いに入り込みその拠点をつくり現在の東野幌・西野幌の耕作をおこなっていたのではないでしょうか。

秋空

千歳川堤防から
東野幌の耕作地を望む

そんなことを思いながら収穫作業がどんどん進む、東野幌の耕作地帯を秋空のした眺めていました。

撮影場所 江別市東野幌721−115
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 sigma dp2

篠津川と篠津運河・ 八幡二十五線川の合流点

篠津川と篠津運河・ 八幡二十五線川の合流点
夏もすっかりおわり秋が顔をだしてきた江別市八幡地区の篠津運河水門までいってまいりました。

写真手前をながれているのが、。右に見える樋門からは。左から流れ込むのがの3河川の合流点です。

篠津川は当別町・新篠津村・江別市をむかしからの流路に近い流れでくねくね蛇行しながらここまできて、ほどなくしてへと合流します。 一方八幡二十五線川は農業用・排水の役割をもち江別市の八幡地区の農業に貢献しています。そして篠津運河は月形の石狩頭首工から石狩川と別れここまで直線に近い流れでやってきます。

このあたりは農業地区なのですが、この篠津運河のおかげでその生業を成功させていったのでしょう。元々が泥炭地のこの地域、水はけは良くなくまた用水も不足していたので、昭和26年に石狩川頭首工の建設がおこなわれここまで各種の用水・または排水路として活躍しています。川幅などの関係からか篠津川を渡る橋よりも篠津運河を渡る橋のほうが立派に見えます。そのため篠津運河を篠津川と勘違いする方もおおいようです。

このあたりの地域にかかわらずですが、昭和56年の大洪水というのは、かなりのインパクトがあり河川治水事業がぐっと加速したきっかけでもあります。このポイントも例に漏れず、洪水対策がきっちり行われています。この写真をとったすぐそばに、篠津運河水門があります。

篠津運河水門

篠津運河水門

この水門のおかげで、大洪水の憂き目にあわなくなったとのことです。

人と自然の戦い。かなり興味深いです 。

 

昨年10月撮影

昨年10月撮影

ここの場所も昨年撮りに着ています。

今にも降り出しそうな雲のおかげか、かなり暗い写真となってしまっていたので、今回改めて撮りにいきました。

撮影場所 江別市八幡44
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

早苗別川起点・大沢川と学田川の合流点

早苗別川起点・大沢川と学田川の合流点

、さなえべつ川と読みます。今回はこの早苗別川の起点であり、野幌原始林の大沢池から流れ出る(写真奥から流れてい川)と同じく野幌原始林から流れる(写真左の突堤にかこまれている川)との合流点の写真を撮りにいきました。

早苗別川はここを起点として一旦南東へ流路をとり東野幌の耕作地帯で90度北進し千歳川へと合流します。このポイントへたどり着く道の途中には、野幌神社が鎮座しています。江別の開拓は屯田兵と北越殖民社の2大勢力によって進められていきました。現在の野幌原生林の丘陵のふもとに広がる耕作地域は北越植民社の手によるもので、野幌神社も北越植民社の手によるものだそうです。

以前のエントリー千歳川と早苗別川放水路の合流点にて江別の舟運のことを記述しましたが、その舟運と北越植民社にかかわるこんなエピソードがあります。
明治19年7月25日、北越殖民社の大河原文蔵らは野幌原始林を踏査を行おうとした際

「原野歩行スベカラザルト聞キ、幸ヒ漁翁扁船ヲ行カントスルニ会フ。乃チ之ヲ傭テ斗萬別(とまんべつ)ニ遡ル」(『草叢日記』)

と江別川(千歳川)を舟で遡り原始林の踏査へと踏み出したとのこと。いかに当時の原野が深くそして千歳川の航路が近隣の住民の足となっていたかを伝えるようなエピソードではないでしょうか。斗萬別(とまんべつ)<現在の登満別口あたり==野幌原始林を指すのでしょう>に源を持つ川は当時は小さい沢も合わせればたくさんあったでしょうが、比較的川幅があったのは、この早苗別川とトマンベツ川なのではないでしょうか。そして、先述のエピソードとこの地域に建立されている野幌神社を考えると、この早苗別川にも舟が浮かんでいたのではないでしょうか。

今では舟を浮かべるにはかなり無理のある水量ですが、この川に舟が浮かんでいたことを考えるとなにかわくわくする気持ちになりますね。

撮影場所 江別市西野幌515
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 sigma dp2