カテゴリー : 手稲区

新川と清川の合流点

新川と清川の合流点
先ほどのとは一転してなんとも涼しげな名前のの合流点です。

この川読みは「すみかわ」とよみます。「きよかわ」との読みもあるらしいですが、それは昔の話。でもそのまた昔は、小樽内川「おたないかわ」といっていました。銭函川河口域からこのあたりの地域が小樽内という地区だったのです。銭函川河口のエントリーでもかきましたが、道央圏開拓の礎となっていった地域でもあります。今はあたりには民家もなくひっそりと藪につつまれていて訪れるのは河川管理の人か近くの新川河口で遊ぶ人か、釣り人くらいです。

実はこのすぐそばに廃墟マニアの方には割と有名な小樽内橋という廃橋があります。1965年竣工の橋なのでコンクリートの立派なはしなのですが、両端がブツ切りになっていて橋の用をなしていないのです。対岸は石狩地区と小樽内集落を結ぶ橋としてつくられたのでしょうが、国道337号線の整備もあったでしょうし、そもそも周辺の地域の人口は殆どなくなっていたので廃道となっていったのでしょう。

その小樽内橋の写真はとっていないのですが、小樽内橋と検索をすれば数奇者のみなさんのログがヒットするのではないでしょうか。

 

撮影場所 札幌市手稲区手稲山口322
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 casio CA007

新川と濁川の合流点

新川と濁川の合流点
今回のエントリーは写真奥をながれていると写真手前を流れているの合流点です。

新川河口にほど近い場所です。

濁川、なんともおどろおどろしい名前ですね。手稲山の中腹から流れる 金山川、稲穂川を主体とし、函館本線付近でコの字形に迂回してを 併せ、下流部ではの排水を加えて山口地区を縦断し新川の河口近くで合流します。濁川の名称も、旧手稲鉱山の排水や土地改良、灌漑用排水と途中で混合する ために、水が濁っていたことに由来しているようです。

手稲地区は、鉱山、稲作、畑作等、人の手の入る産業が数多く生まれた地域なので、この濁川はその証人でもあるのではないしょうでか。

撮影場所 札幌市手稲区手稲山口322
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 casio CA007

新川と手稲土功川の合流点

新川と手稲土功川の合流点
先ほどの新川と山口運河・樽川の合流点から上流側にほど近い場所にこのの合流点があります。

土功川とはなんともいかつい名前ですね。それもそのはず、この川は元々、下手稲土功組合が造った排水溝なのです。手稲の曙地区は水はけが悪い湿地帯だったのを排水溝をつくり干拓を行うようにしていったのです。排水溝からイメージをすると三面護岸の幅2mもないほどの溝を思い浮かべますが、この立派な排水機場をみてもわかるとおり、かなりな流量をも賄える川幅となっています。しかも護岸は護岸なのですが、護岸された側面は降りれるポイントもあり、川岸にはちょっとした緑地として活用されています。

手稲土功川の川岸の緑地

手稲土功川の川岸の緑地

この排水溝のおかげで近隣の農家の生活は潤沢になっていったとの話もあります。

昨年7月撮影

昨年7月撮影

この場所も昨年撮影来ています。

なんだかぼんやりした写真でしたので、撮りなおそうとおもいました。

どうせならこんな立派な排水機場があるのだからそれを主役にしようかともおもって今回の撮影にいたりました。

撮影場所 札幌市札幌市手稲区曙11条1丁目6
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

新川と山口運河・樽川の合流点

新川と山口運河・樽川の合流点
今回のエントリーは.の合流点です。

新川自体明治以降に開削された人口河川であるので、流れ込む支流もいきおい人口河川が多くなります。この山口運河・樽川もそんな中の一つです。山口運河はその名の通り運河なのですが、樽川も樽川運河としてその任をまかされていました。この二つの運河は合わせて花畔・銭函間運河として石狩川から小樽銭函を結ぶ舟運用の運河として開削されたものです。今となってはその面影は一部山口運河で運河祭りを催された時に垣間見れるくらいです。他の区間は渇水期には水がながれているのかもわからないくらいのながれですし流れていたとしてもほんとにここに船が浮かんでいたのかと思うような川道です。

こうやって川歩きをすると先人たちの遺構を思わぬ所でみることができるのですね。歴史ロマンを感じてしまいます。

新川と山口運河・樽川の合流点

昨年7月撮影

この場所も昨年とりにいってますが、手ぶれがめだっていたので、今回撮りなおしとしました。

サイズはきっちりと大きなサイズだったのですがね~~。

 

撮影場所 札幌市手稲区曙12条1丁目6−3
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

中の川と旧中の川の合流点

中の川と旧中の川の合流点
今回のエントリーが中の川散策の最後になります。

実はここまで足を延ばすつもりはなかった中の川と旧中の川の合流点になります。なぜ、足を延ばすつもりはなかったのかというと、

CA3K0631実は昨年の9月頃にここは訪れていて、

←のような写真を収めているのです。今年3月にエントリーした中の川と三樽別川の合流点中の川と西宮の沢川・富丘川の合流点の記事にも以前映した写真として掲載しているものと同時期に撮ったものです。携帯写真ですが他の2枚と比べても構図や写りはわるくはないので、今年の9月頃にこのブログに掲載しようと温めていました。

ところが、今回の訪れて桜堤を撮りあるているといつの間にやら下手稲通りの橋まできてしまっていたので、ついでなので撮影をおこなったわけです。

軽川桜堤

こんな見事な桜並木が続くと散歩の足もすすみますね。

 

一本桜

綺麗な淡い色の桜ですね。

 

こんな撮り歩きも楽しいものです。

影場所 札幌市手稲区新発寒4条6丁目19−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 Canon EOS Kiss X2

第一わらび川と第二わらび川の合流点

第一わらび川と第二わらび川の合流点
中の川散策もいよいよ大詰めとなりました。

今回の目的でもある桜の写真も前回のエントリーの新川と新発寒桜川の合流点以降結構撮り歩きました。

まずは、今回のエントリーは、第一わらび川第二わらび川の合流点となります。以前お伝えした中の川と第一わらび川の合流点 でもかきましたが、第一わらび川は中の川をそうようにながれています。一方第二わらび川は軽川にそうように流れています。中の川・軽川に挟まれたこの地域の治水のために作られた川なのでしょうか。それとも中の川迷走の影響をなのでしょうか。こういう川筋を見ると妄想をしてしまいます。

今回の写真は桜を前景に排水機場を収めてみました。中の川左岸は奇麗に桜並木がそろっています。このポイントにも写真のように桜満開で目を楽しませてくれます。

中の川桜堤

中の川左岸の桜堤です。綺麗に咲き揃っています。

中の川桜堤

小さな桜のトンネル、成長をしたらどんな風になるのか楽しみです。

影場所 札幌市手稲区前田7条6丁目6−12
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

新川と新発寒桜川の合流点

新川と新発寒桜川の合流点
中の川散策第4弾です。

今回は新川新発寒桜川の合流点です。

桜川なんてなんともロマンチックな名前ですね。写真もいつもとはテイストをかえて水路をおさえずに排水機場をメインにメルヘンタッチに撮ってみました。この川、中の川に右岸に沿うように流れています。発している所は中の川と旧中の川の合流点あたりです。前回お伝えした第一わらび川と中の川をはさんで同じような流れで、新川まで流れています。たぶんですがこの名前がついたのも最近なのではないでしょうか。中の川・軽川の桜堤ができたのは、1990年代ですからね。ただ、この川が流れている区間の中の川左岸には桜並木は中の川・旧中の川合流点付近に少しだけだったりします。これから植樹でもするんですかね。

中の川左岸の桜

中の川左岸の堤防に上ると桜並木があります。手稲山を背景こんな光景も見ることができます。

 

影場所 札幌市手稲区前田10条10丁目9−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

新川と中の川・発寒古川の合流点

新川と中の川・発寒古川の合流点
中の川散策第三弾エントリーは、新川と中の川・発寒古川の合流点です。

中の川が流れ込む新川。この川は札幌市内を流れ海に流れ込むたった3つの本流河川のうちの1つです。現在は二級河川(参考:wikipedia 二級水系河川法として道の管轄に置かれています。この新川、札幌の開拓史とは切っても切れない人口河川です。

 

石狩川の背水の影響によって氾濫を繰り返していた、かつての琴似川や発寒川などの流域の治水と周辺湿地の排水、そして舟運などを目的として1886年(明治19年)から1887年(明治20年)にかけて「琴似川小樽内川大排水」として開削された。

引用:wikipedia:新川(北海道))

この新川の整備とともに、あるいは人の営みの変遷とともに、札幌市内に流れている川はその時々によって流れを変え、新たな川が生まれ、またはそれまであった川は姿を消していきました。
このブログでも時々触れている札幌市内の川の変遷の影にはこの新川が大きく影響していることが多いのです。西区手稲区においてはこの新川がその地勢の形成に大きく関与しています。

もうひとつ写真奥に見える排水機場は発寒古川の合流点です。この川もまた不思議な川で、同じ流路には発寒川をもっておりそちらは石狩川水系の伏籠川に流れを預けているのに、この発寒古川は逆の新川に流れを預けています。しかもこの流路、過去にさかのぼっても発寒川が流れた形跡はないようです。 百花繚乱@シニア様の::歩行記(手稲追分川・旧中の川を歩く)によるとこれは追分川の流路あとのようです。中の川と同じくここにも迷走河川ミステリーがありました。川歩きってほんと楽しいですね。

影場所 札幌市手稲区前田10条10丁目9−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 Canon EOS Kiss X2

中の川と第一わらび川の合流点

中の川と第一わらび川の合流点
中の川散策第2弾エントリーになりやっと桜がお目見えしましたね。ここは中の川と第一わらび川の合流点です。

先ほどのエントリーの中の川と軽川の合流点からほど近い場所にあります。この第一わらび川は中の川にそうように流れています。地図をみると、中の川と旧中の川の合流点あたりから源を発しています。先ほどのエントリーにもかいていますが、この中の川、なりたちから流路形成までかなり迷走をしている川です、通常ならば治水の目的として開削されているのかと予想を立てるのですが、そのような経緯があるので、もしかしたらもっと他の理由があるのではないかと妄想をしてしまいますね。たとえば、中の川の新水路開削をするときに水を呼ぶために作った流れとか、余分な水を逃がすために作ったとか、、、。しかもこのわらび川、ネットでの情報は殆どありません。まぁ、その真相は中の川を開削した人たちでなければわからないことなのでしょうけどね。もしかしたらこのあたりの過去の地図を読み解くと真相がわかるかもしれませんが。。

それは、さておき対岸の桜、綺麗に並んでいますね。この桜20世紀後半に住民による「軽川と桜並木を育てる会」というグループが植樹をしていったそうです。札幌は元々それほど桜並木のある街ではなかったのですが、各地でこのように桜並木を作っていく運動が20世紀後半に沢山あったようです。ほかに有名なところだと新川桜並木なんてのもあるようですよ。

 

撮影場所 札幌市手稲区新発寒6条10丁目5−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 NIKON D3000

中の川と軽川の合流点

中の川と軽川の合流点 GW後半戦2日目です。今回は手稲を流れる中の川を散策してきました。
桜と川の風景を撮りたくて、どこにしようかなとインターネットをさがしていたら、この中の川の堤防には軽川桜堤という桜並木があることをみつけました。これは行かねば!とあいなりました。

ところで、この写真桜は?との疑問はありますでしょうが、まずは、中の川と軽川の合流点です。

この両河川、手稲地区の開拓の影に翻弄されていった川なのです。

軽川は、手稲山の中腹辺りに源をとり手稲の市街地を流れここで中の川と合流をしているのですが、この名称、現在の手稲本町あたりの地名だったそうです。またこのこの流れは大正期以降の河川改修によりつくられたもので、元々はもう少し西側に流れを型どっていました。その古い流れは、現在の旧軽川として残っています。参考 Wikipedia 軽川

また、一方中の川はというとものすごく複雑な経緯でこの名前とこの流れになっているようです。

手稲山の麓に位置するこの手稲地区には元々大きな流れとして発寒川(現琴似発寒川の流路と現発寒川)と追分川の二つがあり、その二つは現在の石狩市の藤女子大あたりで合流をし伏籠川に合わせ、石狩川に流れ込んでいたそうです。
そしてこの中の川は追分川と琴似発寒川の二つにはさまれていた小さい流れだったそうです。その流れが数多の改修を重ね今の流れを、、、、。とは素直にいかないようで、現在のこの流れは、追分川と中の川の改修を行いその流れはモザイクのように入り組み、その結果河川規模としては大きかったはずの追分川の名前は追いやられ中の川となっていったそうです。この辺の詳しいことは百花繚乱@シニア様の::歩行記(手稲追分川・旧中の川を歩く)に手稲の地史を交えかかれていますので、ご興味があればご一読をお勧めします。

そんな中の川なのですが、実は旧中の川ってのもあり、余計発祥となる流れをわからなくさせています。

でも、これはこれで面白いものです。人の営みと川の関係によって生まれたミステリーなかなかロマンがありますね。

撮影場所 札幌市手稲区新発寒6条10丁目8−3
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 Canon EOS Kiss X2