カテゴリー : 発寒

新川と道庁排水の合流点

新川と道庁排水の合流点

 

開拓期、札幌の低地の湿地帯の開拓において排水対策は重要な課題だった。

それゆえにの開削事業は至上の工事だったことは明白だったろう。

そのような成り立ちの新川だから、そこに流れ込む河川は成り立ちから人口的に作られた、排水を用とする河川が多い。

今回撮影した、も名前からもわかるように、排水を要とした人口河川だ。

しかし調べてみると、元々は鮭見川と呼ばれる自然河川だったらしいということをしった。

現在の発寒墓地あたりに端を発していたらしい。

ということは新川開削前は、発寒川(現琴似発寒川)区間に水をあわせていたのだろうか。

この写真で見ると、天狗橋の袂から少し下流に寄った河畔林のところで、その水をあわせている。

DSC_0466

人の手が多いに入った小河川の常として、樋門とこの写真のような4面張の合流点だ。

DSC_0465

ここから上流側をみるとご覧のように3面コンクリート護岸の排水路として姿を見せてくれる。

それにしても、今回撮影した、稲積橋側から合流点を眺めると、見事に札幌駅付近のビル郡を同時に見ることができる。このビル郡の少し左側には道庁の赤レンガが位置するのだ。

この河川に冠せられている道庁は流域には当然存在してはいないのだが、ここから道庁方面がばっちりと見ることができるのは、当時の人がそれを意図して名づけたのだろうか、ちょっとした妄想をしてしまう。

 

撮影場所
札幌市西区発寒17条14丁目 追分通り稲積橋
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

新川と琴似発寒川・琴似川の合流点(新川起点)

新川と琴似発寒川・琴似川の合流点(新川起点)
今回は札幌西部域の2大河川、が合流し、と名前が変わる地点です。私なりの感想ではありますが、この場所は現在の札幌市形成の最重要地点として認識しています。あまたの経緯を重ね西部域の発寒川と、中心部域の琴似川の流路を改修しという一大ドラマを感じてしまいます。

石狩川の背水の影響によって氾濫を繰り返していた、かつての琴似川や発寒川などの流域の治水と周辺湿地の排水、そして舟運などを目的として1886年(明治19年)から1887年(明治20年)にかけて「琴似川小樽内川大排水」として開削された。
(引用元 wikipedia 新川)

この新川の開削によって、手稲山に源を発し現在の付近の石狩川まで注いでいた発寒川は下流域と切り離され琴似発寒川と名をかえ、盤渓あたりに源を発し宮の森・八軒あたりを流れ丘珠を通りへ水を注いだ琴似川は、流路改修をうけ、この現在の新川通りにそうように流れ、取り残された旧川道はとなっていきました。

いたずらに川道をかえるはずもなく、札幌市の利水・治水・用水・排水などの水に係る諸事業の歴史の全てがこのポイントに集結しているような気がします。いまでは札幌市消防学校の奥にあり、琴似川左岸・琴似発寒川右岸の堤防沿いをちょっとした堤防道を散歩がてら歩く人か、釣り人しか訪れないくらいの場所ですが、川すきの私としてはなかなかテンションのあがった川めぐりでした。

今回は琴似発寒川右岸からのアプローチだったのですが、合流点からほんの少し上流に向かった場所にある西陵リンリン橋の上までいってみると川には鴨が沢山いました。TOPの写真はNIKON COOLPIX2500ですが、この写真はCyberShot DSC-W170にテレコンを装着したので彼らを狙ってみました。

撮影場所 札幌市西区発寒16条1丁目1
アプローチ難度 ★★☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON COOLPIX 2500