発寒川と新琴似川の分流点

発寒川と新琴似川の分流点

前回のエントリーで排水路としてのの姿に触れましたが、この写真がと出会う直前の発寒川の姿です。ご覧のように流路は一面草に覆われており水面をみることができない、まるで湿地のような様相をしめしています。ただ、ここのポイントから発寒川をみると護岸物がその草で覆われ、河畔にはえている木々がその川幅をしめし、青々と茂る草が川筋にきれいにしたがってその背丈を変えているので、どこが川筋かが一目瞭然となっていて実に写欲をそそるポイントとなっていました。普段は、このような水面をみることができない川に出合うとまったく写真を撮る気がうせるのですが、朝もやの幻想的なスパイスも手伝ってか、何回もシャッターをおしていました。

ちょうど写真からは見きれていますが、この発寒川右岸に

樋門

樋門

このような樋門が設置されていて、ここからとの分流点にもなっているのです。

分流点?

と思った方もいらっしゃるでしょう。その戸惑いは当然で、樋門があるとだいたいは合流する場所だったりするのですが、新琴似川はれっきとした新川水系の河川として区分されています。

開拓初期では、この流路を原野大排水となづけられており、札幌北部~西部にかけての水はけの悪い石狩砂丘域で農地開発をするために重要な排水路として開削されていった人口河川なのです。現在はその役割も薄くなりほかの排水路とおなじように、夏のこの時期は水面をみることのできない河川としてひっそりと流れ、その存在はこの川を渡る時に橋の欄干や橋そばに立つ指標により人の目に川があることを示している程度になっています。

このような河川と河川を結ぶ連絡水路のような河川は札幌市内近郊問わず結構な数があり、そのたびにどちらの川から水をわけどちらの川に水をあわせているのかに迷うこと多いのですが、今回のこの二つの河川は、一方の新琴似川が新川水系、もう一方の発寒川が石狩川水系として区別されているので判別がしやすい分流点でした。

撮影場所 北海道石狩市花川404
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

発寒川と安春川の合流点

発寒川と安春川の合流点

最近、早朝撮影おこなっていないなと今年の夏の写真をみてみて思ったので、夜明け直前のの合流点にいってきました。日の出位置を予想していきましたが、若干予想よりはずれて、おもったような写真が撮れずに苦心しましたが、なんとかこんな写真を撮ることができました。

ところでここの合流点、現在の発寒川の位置付けが如実に現れているポイントです。

発寒川はもともとは、手稲山を源として石狩川までながれていましたが(現在のの下部湖盆の始まる地点)、の開削によって分断され、手稲山から新川までが現在の、新川で分断された旧流路を発寒川としています。

旧流路という点が重要で、現在の発寒川は自然河川から人口河川的な排水路として生まれ変わっていった川なのです。

写真をみると、奥のほうからながれてきている川が本流の発寒川のようにかんじるでしょうが、その川は安春川で、肝心の発寒川は安春川と合流するまでは、草に覆われて水面をみることができない川になっています。これは、次にエントリーする新琴似川との分流点での写真でよくわかるかとおもいます。排水路的な役割を持つ人口河川だと夏のこの時期には当たり前に見られる姿です。

では、もう一方の安春川はしっかりとした源流をもつ自然河川かというと、まったくの人口河川で、新琴似の開拓に入植した屯田兵によって開削された、生粋の排水路なのです。こちらも排水路なのになぜここまで豊富な流量を誇るかというと、実はこの安春川からはじまり、屯田川、、の発寒川下流域に合流する3河川と、は、創成川水再生プラザからの水をくみ上げ、高度処理水としてそれぞれの河川にながしているのです。その水は発寒川に流入し、茨戸川の豊富な水量の逆流も影響はあるのでしょうが、かなり川幅の広いとうとうとした流れを見ることができるのです。

と、いうわけで発寒川が人の手によってその姿を劇的にかえるポイントなのです。おまけ 夜明け前の高圧電線鉄塔

おまけ
夜明け前の高圧電線鉄塔

 

撮影場所 石狩市花川424−45
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆☆
撮影機材 Canon EOS KISS X2

伏籠川と篠路川の分流点(篠路川起点)

伏籠川と篠路川の分流点(篠路川起点)

この写真はの現在の起点です。ここから、より水をわけ茨戸川へと篠路川は注ぎます。

現在は伏籠川の堤防でしっかりとわけられていて、分断されているかのようになっていますが、国土地理院の地理院地図の電子国土WEBの昭和36年の空中写真をみてみると、

昭和36年の篠路あたり

昭和36年の篠路あたり

伏籠川から水をしっかりとわけ太い流れとなっているのが見て取れます。(写真中央下やや右あたりの分流がそれ)

元々が伏籠川はここで二手に分かれて石狩川に合流をしていたようで、その右側の流れを篠路川として呼称していたのです。東茨戸の2~4条は伏籠川の中州地域だったのでしょう。

今回の写真では雪に埋もれた雪景色の写真になっていますが、無雪期にはその流れをしっかりとみせてくれるようです。その流れも人為的な切り替えはおこなわれていないようで、原始河川の様相をみせてくれるようです。散歩道も河畔にあるようなので、雪がとけたら再度訪れてバウと散歩をしてみたいものです。

 

撮影場所 札幌市北区篠路町篠路335−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2

伏籠川と旧伏籠川の合流点

伏籠川と旧伏籠川の合流点

今回のエントリーは、の合流点です。

旧伏籠川は左の排水機場から本流の伏籠川に注ぐわけなのですが、名称からして伏籠川の旧流路なのかというと、結論からいうとそうなのですが、調べてみるとどうやらそうは簡単ではないようです。

伏籠川の由来はアイヌ語のフシコ・サッポロ・ペッからきています。サッポロ・ペッとは現在の豊平川をさしています。豊平川自体その昔は現在の茨戸川のあたりで石狩川と合流をしており、その後江戸時代後期ごろの洪水で東に流路がかわり、 世田豊平川の流路をたどり石狩川へと注ぐようになりました。そして残った川道がフシコ・サッポロ・ペッと呼ばれるようになり、それが転化して伏籠川となったわけです。

このストーリだと、そのころにながれていた流路が旧伏籠川の流路といわれても不思議ではないのですが、地図をみてみると、旧伏籠川は篠路1条1丁目あたりから、と平行に石狩街道を挟んで北へ直進をし、が創成川に合流する篠路10条あたりで東へ進路を変えこの地点まで緩やかにカーブをしながら伏籠川本流へと合流します。

旧河川の川道はだいたいは蛇行をしていたりして自然河川の面影がみえるものなのですが、この旧伏籠川はあきらかに、人為的に開削された流路と見受けられます。

また、国土地理院の地理院地図の電子国土WEBのこのあたりの昭和36年の空中写真をみてみると、

昭和36年の札幌北区

昭和36年の札幌北区

昭和36年の篠路あたり

昭和36年の篠路あたり

このような形で伏籠川自体蛇行をしており、右の写真の中央左に見えるまっすぐな3本の川道がきっと、創成川と発寒川と伏籠川の合流点でしょう。そして、そこから伏籠川を登っていってみると、今回の合流ポイントらしき場所がみえてきています。

そしてその流路をたどってみると、創成川に出会いそうになりつつも明確な流路がみえなくなっています。ここから予想するに、蛇行をしている伏籠川の流路切り替えをおこない、その際に残ったものが旧伏籠川と呼ばれたのかという推測がたちます。ただ、この流路が現在も残っていないのは先述の通り。かろうじて合流点域にその流路を残しあとは直線的な暗渠となり現在の流路と収まっているのでしょう。

ただ、気になるのは茨戸耕北川とこの旧伏籠川が創成川を挟んで流路が一致する点です。このあたりはまた調べなければなりませんね。

 

 

撮影場所 札幌市北区東茨戸2条3丁目
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2

篠路新川と雁来新川の合流点

篠路新川と雁来新川の合流点

2014年2月1日 冬のモエレ沼散策ツアー最後のエントリーです。

今回はモエレ山を望みながら、の合流点です。今回の3エントリーともですが、モエレ沼を中心とした篠路新川の合流は連絡水路を要するため非常に複雑になっています。自然のままではおきない合従がおきるているのです。

この篠路新川と雁来新川の関係も例に漏れずですね。

そもそも篠路新川の起点は、モエレ沼南端で雁来新川から水を分けて始まります。(モエレ沼起点のエントリー) そして流れとはいえないような流れを形成し、ここモエレ沼北端で再度雁来新川と出会うのですが、ここでモエレ沼の手を離れた篠路新川の水の流れは、雁来新川側と篠路新川本流へと2分されます。そして雁来新川は南進して 豊平川へと合流、篠路新川は北上し流れをつくり、拓北と篠路の境あたりで、伏籠川と篠路新川の合流点とあいなります。元々が石狩川、はたまた 豊平川、伏籠川の旧川道であるモエレ沼に人の手を入れた結果なのでしょうが、なかなか支流・本流の同定をするのが難しい流路となっています。まぁ、そんなことで頭を悩ませるのは私ぐらいなのでしょうが(笑)

ひとしきり写真をとった後の帰り道、モエレ沼公園の区域外に設けられている排雪場の整備をしているパワーショベルが夕日に映えてかっこいかったので、写真をとって帰路につきました。

孤高の龍

撮影場所 札幌市東区モエレ沼公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 SONY CyberShot W-170

篠路新川とモエレ中野川の合流点(モエレ沼)

篠路新川とモエレ中野川の合流点
2014年2月1日 冬のモエレ沼散策シリーズ第2弾です。

今回はモエレ沼公園の北端に位置する、の合流点です。

モエレ中野川、、、この名前の通り、この川は比較的新しい河川になるのでしょうか。流域も面白く、モエレ沼が終り流れを通常の河川然となった篠路新川から水をわけ、南下(篠路新川上流域=モエレ沼)へと水を戻すような形で川の名前を調べる地図では分類立てています。こちらの河川もほとんど流れのないモエレ沼の水量調整の役割をになった連絡水路になるのでしょうか。

ところで、ご覧の通り、モエレ沼公園の外周路はこの時期雪の散策路となり、スノーシューなんかの軽い運動に丁度よい感じになっています。この日もそこそこ雪がつもっていました。そんな中をゴム長つぼ足でずぼずぼあるいて散策したわけですが、数回転びそうになったりして、思わぬ雪遊びとなっていました。

そんなになりながら外周路からモエレ山を眺めた写真が、

夕暮れ雪
夕暮れ雪 posted by (C)ジプシー
こちらになります。
さむかったから、微妙にブレがおきてますね(汗;

撮影場所 札幌市東区モエレ沼公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

 

篠路新川と中沼中央川の分流点(モエレ沼)

篠路新川と中沼中央川の分流点
ここから3エントリーは昨年2014年2月1日に撮影したモエレ沼公園周辺の合流点をアップしていきます。

まず、1つ目は、(モエレ沼)との分流点です。

分流点とは書いてはありますが、この中沼中央川は、茨戸川系の篠路新川と豊平川の連絡水路的な河川なのかと思います。川の名前を調べる地図にならって中沼中央川が注ぐのは豊平川とし、今回は分流点としてエントリーします。もっとしっかりとしらべれば、もしかしたら違う系統かもしれません。

この中沼地区、モエレ沼公園ができるまでは湿地と畑とゴミ処理場の閑散とした地域だった記憶があります。札幌でもかなりマイナー地域だったのではないかなと、、、。

ところがモエレ沼公園が完成してからは、多くの人が訪れる地域となりました。それに伴い中沼の地域名もモエレ沼のある地区として、多くに認知されていたのではないでしょうか。

そして、モエレ沼といえば、
ガラスのピラミッド(HDR)
ガラスのピラミッドですね。
今回はHDR処理をしてみました。

撮影場所 札幌市東区モエレ沼公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 SONY CyberShot W-170

丘珠川と丘珠2号川の合流点

丘珠川と丘珠2号川の合流点

雪が例年よりも2割り増しの勢いで降り続いた札幌です。

そんな1週間をすごした後の雪の一休みとなった日に撮影をした、の合流点です。

この場所、丘珠空港のすぐそばで、除雪車が一生懸命除雪している敷地は多分丘珠空港の敷地となるのでしょう。

そんな一日なのですが、空気が澄んでくると札幌から遠く夕張山地の山々がみえてくるのです。

遠くに写っている山容を車で移動中眺めていたら写真に収めたくて、近くの川を探した次第だったりしてます(笑

丘珠地区は開拓期には、かなりの密林や泥炭だったり、果てはヒグマのすみかだったりとかなりの戦いを強いられてきた地区のようで、中心部となっていた札幌村とは雲泥の差だったのではないのでしょうか。丘珠空港そばに流れる丘珠○号川って名前もそのころから連綿と続く泥炭の上に築かれた人の営みを守る排水の路なのでしょう。

そして、そのころも、こんな冬の晴れた夕時には遠くの山がみえていたのでしょうか。

そんなことを想いながらこのブログをかいています。

撮影場所 札幌市東区栄町910−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

旧琴似川と 烈々布排水川の合流点

旧琴似川と 烈々布排水川の合流点

前回のエントリーで地区名が行政によっての住所としての名称のほかに、所謂俗称や、通称がのこっていて、その地域に根付いていたり、ある種の郷愁を感じたりするようなことをかきましたが、今回のエントリーのの烈々布という名称もそのタイプの名称です。

由来は諸説あり、その名前と表記の特異性からか、インターネットで検索をしてみるといろいろな方がいろいろ考察をしていることが伺えます。どうやら、アイヌ語起源説が有力なようです。

現在の北区の太平一体~北20条あたりまでが烈々布という名称であったらしく、この地域の開墾には泥炭との戦いであったようです。元々流れていた河川のほかに数多の用水・排水路が開削されていったようです。この烈々布排水川はそのなごりなのでしょうか。

また、この烈々布排水とは別にレツレップ古川という川がながれていたようで、その流域は明治15年の札幌村・丘珠全図によると、元村(現・東区元町)に始まり、丘珠村と札幌村との村境を通り、篠路村に流れ込んでいたようです。そしてこの川が、この地域が烈々布と呼ばれる由来となったとのことです。

このレツレップ古川は途中で川筋を分断され埋め立てられていったようで、その状態をアイヌ語でル・エ・トイェ・プ(ru-e-tuye-p)、”道がそこで(川を)切っているもの”として呼ばれ、その名称が転化され烈々布となっていったとの説がありました。

と、言うことはこの名称は元々あったわけではなく、北海道開拓がはじまってからアイヌによって名づけられっていったということでしょうか。

そんなことをかんがえながら、レツレップ古川と同じような川筋をたどる烈々布排水川にのこった狐らしき足跡を眺めると古の開拓期のことをいろいろと想像してしまいますね。

 

撮影場所 北海道札幌市東区栄町670
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2

丘珠2号川と航路川の合流点

丘珠2号川と航路川の合流点

まっしろな季節となった札幌です。 そんな一日におとずれたのが、札幌市内の空の玄関口丘珠空港の敷地沿いを流れる、の合流点です。写真でいうと、左下の端のほうにポプラの木がみえますが、ちょうどその辺りとなります。丘珠2号川はちょうど写真正面に張り巡らされている飛行場のフェンス沿いを、航路川は、左の奥から流れてきています。

この両河川とも、このあたりの排水のための水路として利用されています。こう書くと空港の敷地の排水としてととらえられそうですが、その分もたしかにあるのですが、それよりも近隣の治水の意味が強いようです。

この地は、札幌扇状地の終端域であり、水はけの悪い泥炭地だったようで、そこに畑などの耕作地を開拓していくと、どうしても訪れる排水の問題。この問題は、かなり最近まで付近の住民をなやませたようで、この航路川もつい最近にさらに整備を受けているのです。

かなり便利に清潔になっている近代の札幌の都市設計なのですが、実は、場所によってはいまだに自然の驚異と戦っている地域もあるんだなと、この航路川の情報を調べてみると思うのでした。

丘珠空港

丘珠空港に着陸するプロペラ機

空港までいったのですから、飛行機の写真もぱしゃっととってきました。

 

撮影場所 札幌市東区栄町625
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2