オタナイの沼(星置川旧河口跡)
オタナイ、オタネ、オタルナイ。
新川の河口付近は、そうよばれていた。いまでもその名前で呼ぶ人もいるだろう。
古くからの地名があるということは、ここに人の営みがあった証拠。
昭和40代年くらいまではここに小樽内集落があった。
その集落のために新川に小樽内橋というコンクリート製の立派な橋もかけようとしていた。
歴史をどんどんさかのぼってみると、1596年にはここに渡島福山の八木勘右衛門という人物が入植をしてきて、その後オタルナイ場所がひらかれた。
それ以前にはアイヌコタンがあったとの説もある。
オタルナイ(砂の川の道)との意味を持つこの地。
その名の通り、石狩大浜あたりから内陸に続く砂丘域に河川がはしっていた。
現在の清川の流路がそれに当たる。
その流域はオタルナイ川とよばれていた。
現在、札幌の定山渓ダムを形作っている小樽内川とは別の川だ。
また、朝里ダムによって形付けられたオタルナイ湖の主流河川である朝里川も関係はない。
砂の川の道をつくるオタルナイ川、オタナイ川、オタネ川なのだ。
では、このオタルナイ川は、独立した一本の河川かというと実はそうではない。
手稲の山麓からながれでて、星置扇状地を形作って大浜の砂丘域に流れだす星置川の下流域をアイヌの人たちはそう呼んだのだ。
滝がいくつもあり、急峻な流れを持つ星置川上流域とは様相がまったくことなり平らな砂丘域を静々と流れる様子はまったくの別の川と認識されたのだろう。
そして今回訪れたオタナイの沼はそのオタルナイ川の河口跡なのだ。
ゆえに、この小さな沼は、清川の河口跡ともいえるし、そもそもが星置川の河口跡なのだ。
星置川は近世にはいってからこの河口を含め、3つの変遷をたどっていることは、以前このブログの谷地川河口~銭函天狗山 純登山その1~、谷地川起点、などのエントリーで紹介をしてきた。
三日月湖のように弧を描いているのは、砂浜に流れ出る河川の河口の常で急なRをもって蛇行をしていた名残をそのままのこしているのだろう。
原始河川の様相をそのまま残しながらオタネ浜のすぐ脇、それでも海岸からの波からの侵食をうけずにひっそりとたたずむオタナイの沼。
オタネ浜側には5月に訪れた突然の夏日の涼を求める人たちの時間が流れていたのがここには時間の流れそのものがないかのようだった。
時をとめたオタナイ沼をあとにし車を置いた新川河口についたころには、時の象徴の太陽が真っ赤な残滓をのこし日本海へと沈んでいった。
撮影場所 |
小樽市銭函 オタネ浜
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アプローチ難度 | ★★★☆☆ |
景観 | ★★★☆☆ |
撮影機材 | CANON EOS KISS X2 |