カテゴリー : 札幌市

小沼川跡を歩く

小沼川を歩く

 

さて、今回は札幌の河川跡としては割りと有名な跡をたどってみようと思います。

流路は、と同じく白石区菊水元町菊水上町を横断してで合流となります。

以前も掲載したこの昭和23年の空中写真をみてみると、前回歩いた白石川に平行してながれているところがうかがえますし、今昔マップの1916年の地図をみてみても、それは伺えます。

で、今回のエントリーでは、JR線を挟んで、逆川までの下流域を探索します。今回のTOP写真は残された小沼川の鉄橋付近から寝台特急カシオペアを撮影しました。ちなみにこの周辺は鉄道ファンの間では菊水S字とよばれ、もう少し札幌方のところに撮り鉄さんたちが毎日誰か彼かいるポイントだったりしています。

では、スタートです。

小沼川鉄橋・菊水元町側

小沼川鉄橋・菊水元町側

前回の白石川探訪のときと同じく、菊水元町側の派手な見所はあまり多くなく、最大の核心部はこの残された鉄橋でしょう。コンクリート製橋脚?と雪に半分埋まりかけ、しかも線路に平行している道路からもほとんど見ることもできず付近の整備工場の駐車場の奥にひっそりとたたずんでいる小沼川鉄橋。流路上で往時をしのばせる最後のポイントです。ここ以降は古い河川の形跡さえなくなり南7条米里通りが小沼川の跡地を悠々と縦貫しています。

小沼川オーバークロス

小沼川オーバークロス

線路からの下流域跡を走る南7条米里通りは、線路をアンダーパスによってわたっていきます。

 

1971年空中写真

1971空中写真
出展 国土地理院

1985年空中写真

1985年空中写真
出展 国土地理院

1971年の空中写真ではまだなアンダーパスもなく、白石川の流路もしっかりみることができます。また小沼川の流路もみることができます。1985年の写真では、アンダーパスはしっかりと整備されており、白石川の流路も見えなくなっています。現在の札幌市の街区に近くなっているように見えます。札幌にとっての高度成長期って本州とはちがって、1980年くらいからバブル崩壊直前の1988年あたりまでだったのかと思えるような写真です。

 

 

元町ストア

元町ストア

アンダーパスの連絡道路には道路整備によって取り残されたかのような商店の形骸がありました。 多分アンダーパスが整備される前まではこの踏み切りのそばには、お店が立ち並んでいたのではないでしょうか。そんなことを思いながら歩みを進めます。

アンダーパス
北13条北郷通りとの交差点
上白石神社
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アンダーパスをぬけて地上に出た後程なくして北13条北郷通りと合流をします。その後は上白石神社あたりで白石川と合流をはたし、また緩いカーブを描きます。

地図を見てみると、丁度北13条北郷通りとの交差点あたりが豊平川と一番近づいています。距離にして100メートルもないでしょう。1916年の地図を見てみても、逆川へとながれをあわせる前まではこのポイントが、現在と同じく、豊平川に一番ちかづくポイントです。

そもそも、豊平川は札幌扇状地を形作っているわけなのですが、開拓がおこなわれる前までは、ことあるごとに流れを変え取り残された川は支流となり、札幌北東部は見事に川だらけになっていたようです。どうやらこの小沼川もそんな取り残された川の一つであったという話もあるようなないような、、、。地盤にしみた水がメムで再度湧き出してきたとも思えます。

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さて、話を歩みにもどすと、北13条通りとの交差点からすこしあるくと、今度は環状通りとの交差点がまっています。現在はかなり交通量の多い2つの道路、片方は小沼川に沿って米里までと導く道ですが、果たして環状通りは、、。

今昔マップで昭和52年の地図を見てみると、豊平川をわたる橋はありませんですが、環状通りの道筋はしっかりありました。豊平川は都市を流れる大型河川としては類を見ないような急峻な河川だったそうで、貧弱な工法でつくった橋は洪水などが起きるとすぐに落ちてしまったようで、札幌市の橋の建設はわりと遅れがちだったとききます。

IMG_0190

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環状通りとの交差点を過ぎると、緩やかな右カーブを切りながら逆川へと向かっていき小沼川の流路は終了となります。

今回の川歩き割と長い道を歩きました。街の中の道は雪もほとんどなくなりそろそろ春の装いといったところでしょうが、なんとこんな日に長靴でパタパタ歩いてしまいました。長靴に中敷をいれていないでの、かかとのあたりがすれてきて、軽いやけどっぽくなってしました。そろそろ待ち歩きはスニーカーへときりかえなきゃですね。

小沼川流路下流

今回の小沼川跡下流域のGPSログです。ほぼ南7条米里通り上です。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条1丁目7−22
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000/iphone5c

 

白石川跡を歩く その2

白石川跡を歩く その2

今回は前回エントリーの探索の続きです。

おさらい

”白石川の流路は、 白石公園あたりにあったメムを源に小沼川と並行してながれ、上白石神社あたりで小沼川に合流をします。その後は逆川→豊平川へと、どんどん合流を進めていきます。”

では、本文

今度は線路を挟んで下流域を歩いてみたいと思います。ちなみに下流域側の鉄橋は、この写真のキハ143の先頭が差し掛かりそうな白い柵のようなところに当たります。札幌方へ向かう線路側の鉄橋は鉄橋らしくなっていましたが、こちら側はもはや鉄橋とはいい難い状態でした。多分、札幌方の線路は千歳線と函館線が豊平川をわたったあたりで分岐をしていたころの昔から使われている経路なので、鉄橋はそのままのこっており、こちら側は両線の分岐がもっと奥、平和駅のあたりでおこなわれるようになってから作られた路線なので、河畔が整備された後に新たにつくられたのでしょう。

その辺の変遷は、下記に埋め込んだ今昔MAPというWEBサービスの左メニューから年代をかえてみると見て取れます。ちなみに、1976年までの地図だと千歳線への分岐がこのあたりでおこなわれていたのがわかります。

この今昔MAPで1916年の地図を見てだいたいのあたりをつけてあるいてみることとしました。

まずは、

スタート

スタートです。

JRの線路の函館線・旭川方面、千歳・苫小牧方面側の白石川の出口からスタートします。1916年の地図をみてみるとここら若干右へ湾曲をしているよです。そこで道に沿いながら十字路を右にまがってみると、

菊水元町ポプラ公園

菊水元町ポプラ公園

菊水元町ポプラ公園という街区公園がありました。地図をみてみるとこの公園台形型に区画がきられています。近隣の区画はわりと四角に近いのですが、、、こうい区画のきり方は割りと川の跡をつかったりしていたりします。今回の核心部はこの台形型の公園のような気がします。

なぜかというと、前回のように明らかに川道を想像させるような目だった特長がなくきっちりと最後まで区画整理された道を歩いてきたように感じるからです。

IMG_0146

IMG_0147白石ポプラ公園を出ると、このようにまっすぐ整備された歩きやすい道を東に向かって歩いていきます。

昔の地図をみてみると途中で、川道は左にカーブをしていたので、だいたいここらあたりかなと思うようなところから、左折をしてみました。

IMG_0148

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左折後しばらく歩くと、細い道がみえてきたので、そちらを右折し、進路をとることとします。

この細い道も所謂生活道路のような感じで、川の跡をかんじさせるようなものではありませんでした。

 

そして、道は北13条北郷通りへとぶつかります。

北13条北郷通り

北13条北郷通り

この写真のENEOSの看板のよこが先ほど歩いてきた道です。この地点はすぐそばに南7条米里通りの交差点があり、すぐに目指す上白石神社が見えてきます。南7条米里通りを渡ると、

上白石神社

上白石神社

前庭の車寄せと大きな松ノ木のせいか都市化の進んだ地域にある小規模な神社としては立派なたたずまいにかんじます。祭神は大山祇神、山から下りてきて恵みをもたらすとされる神様として信奉されているで、谷地を切り開き、故郷仙台白石のように豊穣なる地としてねがった人々の守神としてここに鎮座しているのでしょう。

ちなみにこの菊水元町は、元々は上白石村として始まった地なので、この名前なのでしょう。

古地図によると、この先が丁度白石川と小沼川の合流点となります。

小沼川と白石川の合流点?

小沼川と白石川の元合流点?

きっとこの写真の奥辺りだったのでしょうか。

そんなこんなの白石川跡探索の巻でした。

白石川下流域ログ

白石川下流域ログ

 

今回の行程は上記のようなGPSログです。実際の流路と近い感じには歩けたかなとは思います。

ちなみに前回のログとあわせると、

白石川跡全流域

白石川跡全流域

 

こんな感じになります。

全域通して割と近く納められたような気がします。

前回の線路から上流域は工場地帯として、今回の線路から下流域は宅地として、しかも地主さんなのか、大きな邸宅が多く、元々この地に住んでいる人々が多いような印象でした。

小沼川との合流点・上白石神社の周辺に人が住み、上流に向かって農地を耕していったのかと思わせるような街並の遷移でした。

また、ほかの川でもこんな探索をやってみようと思います。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条3丁目1−37
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

白石川跡を歩く

白石川跡を歩く

旧河川探訪問シリーズ第2弾です。

写真は、菊水上町に横たわる小さな鉄橋の上を走る、今年で廃止になる北斗星です。ちなみに今年の鉄撮り初日でもあります。

この小さな鉄橋、上流も下流も川はなく、きっと流れは暗渠の中かといろいろと調べてみると、どうやらという川の流れの跡のようなのです。このそばにはもうひとつ、小沼川という川も昔ながれていたようで、WIKIPEDIAをみてみると、その小沼川は埋め立てられており、その名残は鉄橋のみという記述があり、最初はこれを小沼川の跡かとおもっていたのですが、よくよくしらべてみると、どうやら白石川の跡が有力ではないかと思います。

国土地理院の昭和23年の写真を見てみると、国鉄路線が豊平川を渡ったすぐ後当たりに2本の細い川筋があります。上の流れが小沼川、したの流れが白石川です。

現在南7条米里どおりを挟んで小沼川遊歩道という散策路が整備をされています。丁度のその遊歩道は、上の写真の小沼川に沿ってつけられています。

小沼川は、札幌東高校あたりにあったメムを源にし、白石川は白石公園あたりのメムを源にし、両河川とも豊平川に併走しながら、北白石神社付近で合流をし豊平川へと流れ込んでいったと、「札幌地名考」に記述があります。

そこで、今回の探訪を白石川跡を歩くとしました。

白石川跡

白石川跡探索ルート

ルートは以上の通り。白石公園を出発して、鉄路にてさえぎられるまでを歩くこととします。

スタート

スタートの白石公園

まずは、スタートの白石公園です。雪もかなり減ってはきていますが、バウと一緒に歩くと二人ともずぼずぼとぬかっていきます。冬の公園で遊ぶ人はそんなにいないですよね。

でも、この白石公園わりと大きな公園で、散策用なのか、公園内にしっかりとしたふみ跡が2~3本あります。

白石公園内

白石公園内

公園を歩ききると、平和通りに突き当たります。

平和通り

平和通り

写真に見える細道を歩みをすすめ住宅街へと向かいます。

菊水上町3条

菊水上町3条

宅地部分は少しだけで、その先には倉庫や小さな工場が見えてきます。菊水上町のこのあたりはあまりしられていませんが、小規模な工場地帯なのです。以前は国鉄千歳線の分岐がこのあたりでおこなわれていたのもその遠因なのでしょうか。

この道をもう少し歩いてみると、

謎の中央分離帯

謎の中央分離帯

今回の核心部、謎の中央分離帯です。あまりにも不自然なこの分離帯、白石川の河川跡が最近まであった証なのでしょうか。

国土地理院 昭和49年空中写真

国土地理院 昭和49年空中写真

昭和49年の国土地理院の空中写真を見てみると、まだ河畔林がわしゃわしゃと続いて上白石神社あたりまで続いているのが見て取れます。きっと、その名残なんでしょう。この跡の平成1年の空中写真ではすでに道路となり線路から向こう側の河畔林もなくなっていました。

この謎の中央分離帯をずんずん歩いていくと、

jr

JR線を走る785系

JRの線路へと突き当たります。

約1kMの白石川上流部跡散策のゴールとなりました。

今度は、下流側もつめてみたいですね。

撮影場所 札幌市白石区菊水上町4条4丁目54−16
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

逆川を歩いてみる。

逆川を歩いてみる。

今回はちょっと趣向を変えてみます。札幌の市街地は暗渠になっている河川や埋め立てられた河川が沢山あります。今回ご紹介するも、そんな川の一つで、その暗渠部を歩いてみます。

逆川の歴しるべ

白石区には所々にこんな開拓の歴史をしるした白石歴しるべなんて小粋な看板があったりします。

 

逆川との合流部のそばにこんな看板があります。

要約すると、
「逆川ってのは、月寒川の下流域をさしていて大雨のたびに豊平川の水が逆流をしてきて周囲を水浸しにしてきた暴れん坊の川だったので、こんな名前でよばれていたんだよ。でも、それじゃみんな大変だからと月寒川両方の新水路を作ってその被害を軽減させるようにしたんだよ。」

ってことがかいてあります。

じゃあ、ってことで地図をみてみると、望月寒川との合流点あたりから、この逆川と豊平川の合流点あたりまで、不自然にカーブが描かれている道路がつながっています。

では、国土地理院の地理院地図の電子国土WEBの空中写真で平成20年と昭和36年の写真をくらべてみましょう。

逆川流域(平成20年)

出展:国土地理院の地理院地図の電子国土WEB平成20年

昭和36年 逆川流域

出展:国土地理院の地理院地図の電子国土WEB 昭和36年

 

昭和36年の写真には豊平川に注ぐ月寒川の旧流路がしっかりと写っています。

豊平川に注ぐ前に2本の河川、望月寒川と小沼川が合流しているところもしっかりとうつっていますね。そして、月寒川の新流路となるべき用水の経路もしっかりとうつっています。

距離にして、1~2kmくらい、河川域の周囲は稲作地帯であったことも、このあたりのシンボルでもある、高速道路のジャンクションもなかったことも、はっきりとわかりますね。

では、ってことであるいてみます。

望月寒川と旧月寒川の合流点

望月寒川と旧月寒川の合流点

まず、スタートは望月寒川と旧月寒川の合流点です。現在の旧月寒川は望月寒川に水を預けることはほとんどないようなのですが、樋門はしっかりとありますね。またこのあたりの左岸には水道局の豊平川処理場があって、そこから浄水された水が望月寒川に流れ込みます。水温はきっと高いのでしょう。冬のこの時期でもしっかりと川幅いっぱいに水が流れています。そして、ここは鴨たちの憩いの場のようで、沢山の鴨が四季問わずあつまってきています。

望月寒川

鴨たちの憩い。

この写真には数羽しかいませんが、もっと沢山の鴨がゆらゆらと水にうかんでいます。TOPの写真はそんな鴨の二羽が川岸にあがっていたので、モデルになっていただきました。

では、いよいよ逆川探査です。

現在の逆川の源流は菊水元町の豊平川処理場で間違いないでしょう。

豊平川処理場

豊平川処理場

望月寒川の堤防からおりて、菊水元町と、米里の境界となる道路を歩いていきます。ほとんどの境界は河川の流路を境にしている通り、やはりここが逆川の流路なのでしょう。

菊水元町9条2丁目

菊水元町9条2丁目交差点

この道路を豊平川に向かって北上するのですが、不自然なS字カーブが地図からでもみてとれていました。

菊水元町9条の不自然なS字

菊水元町9条の不自然なS字

こういった不自然なカーブがある所はだいたいは川を埋め立てられたあとか、暗渠の上に道路があることが多いものです。

このS字良い感じで続いていきます。

逆川S字

逆川S字

逆川S字

逆川S字

 

現在、逆川は暗渠の中をながれているということなので、きっと、この道の下にはしっかりと水路になっているのでしょうか。

ここまで、現在の地形に影響を与えているってことは、暗渠を作る際に、川の上にふたをしたような造りになっているのでしょうか。3面護岸ではなく、4面護岸ですね。

 

このS字を歩き終わると、今度は米里1条2丁目の南7条米里通りの交差点にあたります。

米里1条2丁目の南7条米里通りと交差点

米里1条2丁目の南7条米里通の交差点

流路はこのまま北上をして、札幌新道(豊平川)へと向かって大きくカーブをしていきます。ちなみに、南7条米里通はこのまま直進すると、高速の札幌JCへと向かいます。このあたりから札幌新道を利用しようとすると、この逆川の暗渠の上の道をたどっていくわけです。

札幌新道へ

札幌新道へ

写真では伝わりづらいのですが、この道、結構な幅と歩道の幅があります。これは逆川の下流域の広さのなごりなのでしょうか。

この道をどんどんあるいていくと、逆川が地上へと顔を出す地点にたどりつくことができます。

逆川お目見え

逆川お目見え

そして、逆川は豊平川へと合流をするのです。

豊平川と逆川の合流点

豊平川と逆川の合流点

この流路、ほとんどが住宅地であり、往時の田園風景はほとんど見ることができませんが、豊平川との合流点あたりに農協の倉庫らしき建造物が散見され、稲作の拠点であったことをしめすなごりを見ることができました。

今回の経路を下にGPSログとして記します。

逆川流路を歩く

iPhone ジオグラフィカでのGPSログで逆川流路をたどってみてました。

 

旧流路をたどってみるのも楽しいものですね。 またほかの川でもやってみたいものです。

撮影場所 札幌市菊水元町9条2丁目~札幌市菊水元町9条1丁目
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000 / SIGMA DP2 / iPhone5c

 

伏籠川と篠路川の分流点(篠路川起点)

伏籠川と篠路川の分流点(篠路川起点)

この写真はの現在の起点です。ここから、より水をわけ茨戸川へと篠路川は注ぎます。

現在は伏籠川の堤防でしっかりとわけられていて、分断されているかのようになっていますが、国土地理院の地理院地図の電子国土WEBの昭和36年の空中写真をみてみると、

昭和36年の篠路あたり

昭和36年の篠路あたり

伏籠川から水をしっかりとわけ太い流れとなっているのが見て取れます。(写真中央下やや右あたりの分流がそれ)

元々が伏籠川はここで二手に分かれて石狩川に合流をしていたようで、その右側の流れを篠路川として呼称していたのです。東茨戸の2~4条は伏籠川の中州地域だったのでしょう。

今回の写真では雪に埋もれた雪景色の写真になっていますが、無雪期にはその流れをしっかりとみせてくれるようです。その流れも人為的な切り替えはおこなわれていないようで、原始河川の様相をみせてくれるようです。散歩道も河畔にあるようなので、雪がとけたら再度訪れてバウと散歩をしてみたいものです。

 

撮影場所 札幌市北区篠路町篠路335−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2

豊平川と東野々沢川の合流点

豊平川と東野々沢川の合流点

湿った大粒の雪が降る中の合流点を撮影しました。

2月上旬なのに雨の降る予報もあるような珍しい1日です。冬はスキー、夏は熊で有名なフッズスノーエリアあたりに源流を持ち、藤野の住宅街を流れ豊平川に合流をします。この野々沢の名称なのですが、どうやら藤野地区はその昔、西側の藤の沢がながれる藤の沢地区と東側の野の沢が流れる野の沢地区の二つの地区にわかれたようで、この東野々沢川は野の沢地区の東端、簾舞との境界を流れていた沢だったのでしょう。

ところで、この写真の奥のほうにかすかに山陰が、、、、。

そして、私のiPhoneにはなんとGeoGrapichaというGPSアプリが、、、。

と、いうわけで登ってきました! 白川市民の森に横たわる青山(530m)へ!

スタート

白川市民の森入り口から藤野地区を眺める

白川市民の森の駐車場へ車を止めていざ出発です!広く除雪していてくれていたので、結構な車の数がとめられそうでした。

白川市民の森はその名の通り札幌市が整備をしてくれている自然歩道なので、各分岐には標識があるようなので、初心者でも安心登山がたのしめそうです。そして、GPSの使い勝手も試せそう(^^

 

今回は 26-6-7-8-21-20-19 の案内版を目指すこととします。一番の最短距離なのでしょう。道中ほとんどトレースがありました。トレースありがとうございます。

案内版26

案内版26

五分くらいで案内版26に到着です。最近あまり雪がふっていなかったようなので、スノーシューは袋にいれてかつぎつぼ足でスタートをしました。

ここから案内版6までのルートは実は急登になっていました。丁度つぼ足なので、ざっくざっくと雪に足をさすような感じでのぼっていきます。最初っから急なのぼりでちょっとおどろきましたが、まぁきっとこの後は緩くなるだろうと期待しつつ10分ほどで、

案内板6

案内板6

案内板6へ到着。 この案内板ご覧のように等高線がついています。目指す案内板7までのルートをみてみると、のぼりはそれほどない様子。 予想通りです。

さくさくとあるきましょうと、、、おもったのですが、だんだんつぼ足では足のぬかり具合がひどくなってきました。道の途中で担いできたスノーシューを袋からとりだし、装着します!。そして袋はザックの中へ、、、ザックが満杯だよ、、、。今回の携行品はいつもと同じように、カメラ2台とペットボトル2本とチョコバーと財布とタオル。そこにスノーシュー袋を突っ込むと押し込むような感じになっていきました。 カメラ機材を考えるともう少し大きなザックがこれから必要になるかも、、、。

そんなこんなで緩やか林道を15分くらいあるいて

案内板7

案内板7

案内板7へ到着。

ほんのすこしだけ傾斜がつき始める林道を風の音を聞きながら10分ほどで、

案内板8

案内板8

案内板8に到着。

ここから、道は大きくジグザクとなって高度をあげるようです。それに伴いさっきよりも傾斜がきつくなっていきます。

案内板での距離はそれほどはないのですが、きつくなっていく傾斜にうんうんいいながら20分かけて、

案内板21

案内板21

案内板21へ到着。

案内板の等高線をみると、ここがこのルートの核心部かとおもい水分やカロリーを摂取して気合をいれてすすみます。

案内板21~20

案内板21~20の途中

最初は雪もちらちらとふってきていたのですが、このあたりから風つよく雪の勢いも激しくなってきました。山道をのぼっているので、体は冷えはしないのですが、首からさげているDP2がちょっと心配です。

そんなこんなで15分かけて

案内板20

案内板20

案内板20へ到着です。

ところが、

山頂への19へのルートをたどるようなトレースをみると、、

青山山頂へ

青山山頂へのトレース

げっ、、

いままで緩い林道を歩いてきて、きっとこんな感じで山頂までのお気楽ツアーかなとおもっていたところで、まさかの急登。。

林の中を尾根筋めざしかしがしのぼっていきます。

スノーシューでの急登、ちょっとした登りなら経験はしていましたが、そのときよりも距離もあります。。ところどころ、ズルズルとすべったり、林の木につかまったり、本で読んだキックステップをためしてみたり、スキーのようにハノ字でのぼったりと悪戦苦闘で尾根筋に、、、。

さえぎる者がすくなくなってくるので風も雪も強くなってきました。

そんなこんなで一つ目のこぶあたりまでいくと、、、先行者さんのトレースはそこで、ひきかえしていました。

細尾根をのぼっていくので、ここが頂上と思っていたしかたないようですが、まだ先にはここより高いところがあります。

iphoneのgeograpichaをたよりに山頂ではないことを確認し、ノートレースの稜線をあるきはじめます。

ノートレースの山頂尾根

ノートレースの山頂尾根

雪は結構しまっていて、トレースをたどっているときよりも足取りはかるくあるけました。

はじめてのノートレースハイク。ちょっとドキドキしつつ軽い吹雪の先に見えそうなピークをめざしていきます。

そしてやっと先の20番から30分ほどかけて

青山山頂

青山山頂

青山山頂へ到着です!

青山山頂2

青山山頂2

たどり着いたときは、

「やっとついたー!」と思わず声がでました。

そして、つぎにでたことば、「なんもみえねー」でした、、、

カメラのタイムスタンプをみてきづいたのですが、最後の分岐からここまで30分かかっていたのですが、そんなに時間がたっている感じはしませんでした。きっと道中いろいろと逡巡をしたり、雪庇ぽくかぶったこぶを巻く道を考えたりしながらあるいてきたので、林道15分歩きと同じ位の時間感覚でした。

山登りのたのしみって、こんなところにも見出せるものなのですね。

山頂で、お尻をついて大休止。水分補給&カロリー補給と下げっぱなしのDP2をザックにしまい、下山することにしました。

山頂からの下山ルートはいままで通ったところをそのままかえるのですが、急なところでは最初のうちはすべったり転んだり、、でもだんだん感覚がつかめてきて、林道ルートにはいってくるころには、ちょっとしたショートカットをしてみたり尻すべりをしてみたり、たのしみながら40分くらいでおりてきました。

下山

下山

今回のルートのSSついでに。

青山

青山登山

まっすぐになっているのはきっとGPSがとんじゃっているのかな、、。

今回の課題はザックの容量確保と、スノーシューでの急登の登坂方法です。

研究しなければ、、、。

撮影場所 札幌市南区藤野1条9丁目6−12
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2

伏籠川と旧伏籠川の合流点

伏籠川と旧伏籠川の合流点

今回のエントリーは、の合流点です。

旧伏籠川は左の排水機場から本流の伏籠川に注ぐわけなのですが、名称からして伏籠川の旧流路なのかというと、結論からいうとそうなのですが、調べてみるとどうやらそうは簡単ではないようです。

伏籠川の由来はアイヌ語のフシコ・サッポロ・ペッからきています。サッポロ・ペッとは現在の豊平川をさしています。豊平川自体その昔は現在の茨戸川のあたりで石狩川と合流をしており、その後江戸時代後期ごろの洪水で東に流路がかわり、 世田豊平川の流路をたどり石狩川へと注ぐようになりました。そして残った川道がフシコ・サッポロ・ペッと呼ばれるようになり、それが転化して伏籠川となったわけです。

このストーリだと、そのころにながれていた流路が旧伏籠川の流路といわれても不思議ではないのですが、地図をみてみると、旧伏籠川は篠路1条1丁目あたりから、と平行に石狩街道を挟んで北へ直進をし、が創成川に合流する篠路10条あたりで東へ進路を変えこの地点まで緩やかにカーブをしながら伏籠川本流へと合流します。

旧河川の川道はだいたいは蛇行をしていたりして自然河川の面影がみえるものなのですが、この旧伏籠川はあきらかに、人為的に開削された流路と見受けられます。

また、国土地理院の地理院地図の電子国土WEBのこのあたりの昭和36年の空中写真をみてみると、

昭和36年の札幌北区

昭和36年の札幌北区

昭和36年の篠路あたり

昭和36年の篠路あたり

このような形で伏籠川自体蛇行をしており、右の写真の中央左に見えるまっすぐな3本の川道がきっと、創成川と発寒川と伏籠川の合流点でしょう。そして、そこから伏籠川を登っていってみると、今回の合流ポイントらしき場所がみえてきています。

そしてその流路をたどってみると、創成川に出会いそうになりつつも明確な流路がみえなくなっています。ここから予想するに、蛇行をしている伏籠川の流路切り替えをおこない、その際に残ったものが旧伏籠川と呼ばれたのかという推測がたちます。ただ、この流路が現在も残っていないのは先述の通り。かろうじて合流点域にその流路を残しあとは直線的な暗渠となり現在の流路と収まっているのでしょう。

ただ、気になるのは茨戸耕北川とこの旧伏籠川が創成川を挟んで流路が一致する点です。このあたりはまた調べなければなりませんね。

 

 

撮影場所 札幌市北区東茨戸2条3丁目
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2

中の川と西野川の合流点

中の川と西野川の合流点

西区の住宅街の真ん中で合流を迎える、の出合いにいってきました。

手稲山からつらなる山地帯にその源を持ち西区の住宅街を双子のように併走して流れ、両河川はこの場所で左に湾曲をしながら合流をします。

この近辺、住宅がひしめきあい、そこにぽっかりとそこそこ広い幅をもった護岸された川が二つ合流する景色。結構不思議な感じがします。

住宅街に面する多くの都市河川は、暗渠に入りそこで合流がおこなわれるか、住宅街の切れ目あたりや、大きな道路に境界をつくられたような所で合流がおこなわれているものです。

詳しい地史はわかりませんが、近くには西区の古くからの幹線道路ともいえる山の手通りがはしっており、以前よりこの辺りは西野地区の中心部的な地域に程近いことが想像できます。

宅地ももしかしたら以前より集落として確立しており、そこが近代的になっていったのかもしれません。

そこそこの川幅や規模があると埋め立てると、水の逃げ場を確保しなければならないでしょうし、暗渠化したとしてもその上を道路として使うには、すでに立派な幹線が存在している状態なので、うまく活用できないのかもしれません。

そんないろいろな要素が重なって河川としての様相を保ったまま今にいたっているのでしょうか。

撮影場所 札幌市西区西野2条9丁目2−23
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

 

 

発寒古川と西新川の合流点

発寒古川と西新川の合流点

前田森林公園を後にし、帰路の途中で撮影したのが、の合流点です。

この二つの河川名、 新川と、そこそこの規模のメジャー河川の名前を冠しています。

西新川はその名の通り新川の西側を流れている人口河川。発寒古川は、発寒川とその流域を同一にしており、発寒川はへと合流をする石狩川水系、かたやこの発寒古川は新川水系となっています。かといって連絡水路といったものでもなく、単純に発寒川の旧川道かというと、実はそうではないようです。発寒川は元々新川が開削される前までは、現の流域からつらなっており、その流路は現在の新川起点から石狩の藤女子大あたりの線に流路をもっていたのです。と、いうことは、この発寒古川、、、発寒川の残された川道ではなく、発寒川へと注ぐ小さな支流を用水路として?それとも利水のために残していた川道になるのでしょか。

とにかくこの名前元とは直接の関係がないこの二つの小河川が合流するというのもなかなか面白い感じがしますね。

 

撮影場所 幌市北区新川西1条7丁目6−2
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 FUJI FinePix S9100

新川とアカシア川の合流点

新川とアカシア川の合流点

今回から2エントリーは昨年2014年2月2日手稲の前田森林公園散策で撮影した合流点の紹介となります。

まずは、と前田森林公園内を流れるの合流点です。

アカシア川は、アカシア排水とも呼ばれており人口的に開削された排水路になります。

この写真でもわかるように、石狩湾からほどちかいこの地域、水はけの悪い湿地帯だったのでしょう。そこに畑作などの農業を営むためにはしっかりと排水のできる用水路は必然でしょう。

この日は前田森林公園から手稲山をとりたかったために、この場所まで足をのばしていました。前田森林公園内では歩くスキーで散歩をしているかたがたやクロカンの練習をしているクロカンスキーヤーの方々でにぎわっていました。そんな公園内をまたもや長靴つぼ足で、、、散策路は普通にあるけたのですが、展望の利く森林公園内の施設にいたるまでは膝下が埋まるような新雪帯となっていました。

そんな思いをしながらとったのが、

重い空

この写真です。
今回も前回のモエレ沼の写真同様HDR処理をしています。

撮影場所 北海道札幌市手稲区前田10-5
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2