オタナイ、オタネ、オタルナイ。
新川の河口付近は、そうよばれていた。いまでもその名前で呼ぶ人もいるだろう。
古くからの地名があるということは、ここに人の営みがあった証拠。
昭和40代年くらいまではここに小樽内集落があった。
その集落のために新川に小樽内橋というコンクリート製の立派な橋もかけようとしていた。
歴史をどんどんさかのぼってみると、1596年にはここに渡島福山の八木勘右衛門という人物が入植をしてきて、その後オタルナイ場所がひらかれた。
それ以前にはアイヌコタンがあったとの説もある。
オタルナイ(砂の川の道)との意味を持つこの地。
その名の通り、石狩大浜あたりから内陸に続く砂丘域に河川がはしっていた。
現在の清川の流路がそれに当たる。
その流域はオタルナイ川とよばれていた。
現在、札幌の定山渓ダムを形作っている小樽内川とは別の川だ。
また、朝里ダムによって形付けられたオタルナイ湖の主流河川である朝里川も関係はない。
砂の川の道をつくるオタルナイ川、オタナイ川、オタネ川なのだ。
では、このオタルナイ川は、独立した一本の河川かというと実はそうではない。
手稲の山麓からながれでて、星置扇状地を形作って大浜の砂丘域に流れだす星置川の下流域をアイヌの人たちはそう呼んだのだ。
滝がいくつもあり、急峻な流れを持つ星置川上流域とは様相がまったくことなり平らな砂丘域を静々と流れる様子はまったくの別の川と認識されたのだろう。
そして今回訪れたオタナイの沼はそのオタルナイ川の河口跡なのだ。
ゆえに、この小さな沼は、清川の河口跡ともいえるし、そもそもが星置川の河口跡なのだ。
星置川は近世にはいってからこの河口を含め、3つの変遷をたどっていることは、以前このブログの谷地川河口~銭函天狗山 純登山その1~、谷地川起点、などのエントリーで紹介をしてきた。
三日月湖のように弧を描いているのは、砂浜に流れ出る河川の河口の常で急なRをもって蛇行をしていた名残をそのままのこしているのだろう。
原始河川の様相をそのまま残しながらオタネ浜のすぐ脇、それでも海岸からの波からの侵食をうけずにひっそりとたたずむオタナイの沼。
オタネ浜側には5月に訪れた突然の夏日の涼を求める人たちの時間が流れていたのがここには時間の流れそのものがないかのようだった。
時をとめたオタナイ沼をあとにし車を置いた新川河口についたころには、時の象徴の太陽が真っ赤な残滓をのこし日本海へと沈んでいった。
撮影場所 |
小樽市銭函 オタネ浜
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アプローチ難度 | ★★★☆☆ |
景観 | ★★★☆☆ |
撮影機材 | CANON EOS KISS X2 |
札幌開拓の基幹事業となった一大人口河川新川の河口をオタネ浜側から撮影をした。
札幌市民・小樽市民・石狩市民でもこの日本海に面した穏やかな砂浜の存在に親しんでいる人はそう多くはない。
だいたいの札幌近郊の海として紹介されるのは、石狩浜・銭函海岸などが上げられ地域のニュースでも取り上げられるのは、その二つの海岸だ。
その二つの海岸に挟まれた形の、ここオタネ浜ともう少し石狩よりの十銭浜は知る人ぞ知る砂浜なのだ。
まだ五月なのに、真夏並みの気温となったこの日の夕時。
オタネ浜には、それぞれが秘密の場所として思い涼みにやってきたのか、少なくはない人たちがきていた。
家族連れや、若者のグループ、単独の人、それぞれ浜の内部まで車で入りこんでいた。
割としまった砂なので、乗用タイプの車でも4WDであればスタックの心配はないのだろう。
ところで、この新川の河口のすぐそばには札幌の廃墟好きの好事家たちには有名な小樽内橋があるということは、このブログでも新川河口というエントリーで紹介をしている。
その際には橋自体の写真を掲載をしていなかったので、今回のエントリーでは掲載をする。
こう見ると、立派な橋でまだまだ使えそうな赤い橋ではあるが、両端は道路が切れ落ちていて徒歩で登ることさえも困難な状態となっている。
果たしてこの橋、いつまでここに残っていられるのだろう。
撮影場所 |
小樽市銭函 新川河口
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アプローチ難度 | ★★☆☆☆ |
景観 | ★★★★★ |
撮影機材 | CANON EOS KISS X2 |
久々の夕時の写真。
場所は、目の前を横切る東濁川と写真中央にある樋門のような所に流れる山口運河が交わる手稲区の明日風地区。
あくまでも、ここは合流点ではなく、川と川が交わっている場所なのだ。
その意味は、地図をみていただけるとわかるだろう。
この写真を写した私の背中側にも山口運河の流路があるのだ。
山口運河はその名のとおりの人口河川。石狩の花畔と銭函を結んでいた運河の名残だ。
そのような経緯があるから、この運河を横切る川があっても不思議はない。
用水・排水の利水にかかわる河川が縦横に走っている地区にはよく見られる光景だ。
ところで、もう一方の東濁川の出自がよくわからない。
濁川の支流というのはその名の通りなのだが、流路を地図でみてみると手稲の運転試験場のそば、下手稲通りと曲長通りの交差点あたりに起点をもっているようだ。
その先は曲長通りが濁川本流まで続いている。
下手稲通りの北側、明日風地区は現在は新興住宅地となっている。
古くから宅地として発展していた隣の曙地区とは立っている家屋の感じが全然違う、新しい街並だ。
そして、この明日風地区にはいたる所に雨水貯水施設がある。
水はけの悪い地盤であることが伺い知れる。
このあたりはの地質は、星置扇状地が終り石狩大浜の砂丘地帯がひろがっていたと考えられる。
その地質から考えれば、水はけ悪くその対策の施設が必要であることが納得できる。
このことから、東濁川はこのあたりの排水の要として敷かれた人口河川なのだろうか。元々は自然河川だったとの記録も見受けられるので、まったくの人口河川ではないのだろうが、その役目として主な所は利水の河川なのだろう。
撮影場所 |
札幌市手稲区明日風5丁目8−30
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アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★★☆☆☆ |
撮影機材 | CANON EOS KISS X2 |
4月も終りになりやっと札幌にも桜の便りが届く。
今年は、若干桜の開花がはやいようだ。
ゴールデンウィーク時期に咲く遅い春の使者とはいえ、やはり桜を見ると春の陽気と新年度への期待が毎年沸き起こる。
子供のころより刷り込まれた日本人の文化的背景なんだろう。
閑話休題
札幌にも桜の名所は数多くある。円山公園や、中島公園、モエレ沼公園などこの時期には桜を見るための人が沢山訪れる。
そんな古くからの名所や有名どころ以外にも、すばらしい桜並木を見せてくれる場所が多々ある。
特に新川流域の手稲区側、中の川・軽川あたりは地域の人たちの尽力で川沿いの緑地にはそれは見事な桜の景色を見せてくれている。
今回訪れた、旧軽川の旧軽川緑地周辺もそんな並木を見せてくれる穴場の桜スポット。
特にここの桜並木は、様々な桜が絶妙なバランスで目をたのしませてくれる。
三面コンクリート護岸で、河道さえもコンクリートに削られた人口的で味気ないたたずまいの旧軽川。しかしこの時期だけはこの形状が功を奏し、護岸壁の中に入り桜と川面に落ちる花びらとを、風の強い日でもゆっくりと楽しむことができる。
人ってのは贅沢なもので、普段は護岸された河を見るたび興ざめだのなんだのと毒づいてみたりしても、それに雅や美しさが加味された途端、色めきたつ。
そんな人の業を改めて感じてしまった、今年の花見行。
撮影場所 |
札幌市手稲区前田 旧軽川緑地
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アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★★★★★ |
撮影機材 | NIKON D3000 |
開拓期、札幌の低地の湿地帯の開拓において排水対策は重要な課題だった。
それゆえに新川の開削事業は至上の工事だったことは明白だったろう。
そのような成り立ちの新川だから、そこに流れ込む河川は成り立ちから人口的に作られた、排水を用とする河川が多い。
今回撮影した、道庁排水も名前からもわかるように、排水を要とした人口河川だ。
しかし調べてみると、元々は鮭見川と呼ばれる自然河川だったらしいということをしった。
現在の発寒墓地あたりに端を発していたらしい。
ということは新川開削前は、発寒川(現琴似発寒川)区間に水をあわせていたのだろうか。
この写真で見ると、天狗橋の袂から少し下流に寄った河畔林のところで、その水をあわせている。
人の手が多いに入った小河川の常として、樋門とこの写真のような4面張の合流点だ。
ここから上流側をみるとご覧のように3面コンクリート護岸の排水路として姿を見せてくれる。
それにしても、今回撮影した、稲積橋側から合流点を眺めると、見事に札幌駅付近のビル郡を同時に見ることができる。このビル郡の少し左側には道庁の赤レンガが位置するのだ。
この河川に冠せられている道庁は流域には当然存在してはいないのだが、ここから道庁方面がばっちりと見ることができるのは、当時の人がそれを意図して名づけたのだろうか、ちょっとした妄想をしてしまう。
撮影場所 |
札幌市西区発寒17条14丁目 追分通り稲積橋
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アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★★☆☆☆ |
撮影機材 | NIKON D3000 |
久々の冬の青空とともに川の写真を撮れたような気がします。ただ、もっていったNIKON D3000 にメモリカードをいれわすれてしまい、iPhone での撮影です、、。
場所は北区と西区の境目新川通りから一本北区側にはいった新川西の道路上です。
そして撮影したのは、写真奥から写っている西新川。そして雪でせきとめられているような場所に実はながれているはずの、新琴似川。
新琴似川はその昔、原野排水事業として周辺の開拓のための大きな一翼をになっていた人口河川です。現在はそれほど重大な役割をもっていなくひっそりと、発寒川からこの新川西へと結ぶ連絡水路としてその姿をみせています。冬のこの時期だと、写真のように見事に雪の下にかくれているくらい流量の少ない川なのです。
だけど、うめたてられもせずにその姿を残しているのはきっとなにか役割をもっているのでしょうね。この川がとうとうと豊かな水をたたえている姿を一度はみてみたいものです。
一方西新川はその名の通り、新川の隣で流れている細い河川です。基点は、1丁ほど南西にくだった場所。あたりはいまだ原野の雰囲気を残している場所です。その原野の開拓のための排水路としての役割をきっとこの川ももっていたのでしょう。機会をつくってこの川の起点をおとずれようと思います。多分まったく面白みのない写真となる予感しかしませんがw
撮影場所 |
札幌市北区新川西2条1丁目4−15
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アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★☆☆☆☆ |
撮影機材 | iphone 5c |
雪が舞い降りるクリスマス。中央区の山間部、盤渓地区の奥、盤渓市民の森の入り口付近で合わせる、盤渓川と無名川(盤渓川支流)の合流点を訪れました。
札幌市の河川区分では、丁度ここから盤渓川の名称となるようですが、もっと奥まで川筋は伸びています。
ここのポイントは妙福寺というお寺への連絡道を挟んで、山側に向かって左から盤渓川が道路の下をくぐり右側に流れている無名川と合流する地点となっています。写真では残念ながら合流ポイントはみきれてしまっていますが、こちらの写真のほうが、冬の季節感があり好きな構図なのでtopへと掲載しました。
ところで、無名川、、、、、。
別に私が勝手につけたわけでもなく、空知総合振興局の土石流危険渓流一覧から調べだしたものです。
この一覧表には札幌市内に流れる小さな沢に「無名川」として命名している河川もわりと多いようです。
ほかにはあきらかに通称・愛称のような名前の河川名も多く、見ていて飽きない一覧ですので、見てみることをお勧めします。
リンク→空知総合振興局土石流危険渓流一覧
ところで、この盤渓川はその名の通り、盤渓山から流れ出る河川です。2015年版の北海道夏山ガイドに掲載されて夏道もあることが、広く知られたようですが、それまでは冬の気軽に雪中登山ができる山としてしられていました。
そこで、今シーズの雪山初めとしてこの山を登ってみることにしました。
・・・・とはいうものの、三菱山(ばんけいスキー場)で山スキー体験してきたので、厳密には今シーズン2座目ですが・・・・
詳しくは、ヤマレコに記録をアップしていますので、こちらをみてみてください。
今シーズンの冬装備として、ワークマンの防寒ストレッチウェアと同じくワークマンの格安手袋を新調しましたので、その使い心地もためせるでしょう。 さらに久々の雪歩きなので、スノーシューもザックにくくりつけてスタートです。
最初は、妙福寺へとつながる車道をテクテクあるいていきます。
道路がカーブをしだすあたりに、
山火事注意の大きな看板がくくりつけられている木のあたりから入山します。
天気予報は降雪だったのですが、案外晴れ間がのこっており、気持ちよく歩くことができそうです。
かなりな人たちがこの山に入っているのでしょう。しっかりと踏み固められたトレースが遊歩道のようについていました。冬道でこんなに明瞭な道に出会ったことはないので、気分は夏山登山道をあるいているようでした。
しばらくあるくと、
盤渓川を渡渉するポイントになります。左岸の歩幅程度の細い沢を渡るわけなのですが、雪道での渡渉は初なので、かなり緊張をしました。水に濡れたら帰る気満々でえいやっと、川を渡ります。
無事にわたりきった後は遊歩道並みのふみ跡にみちびかれ林の中へと分け入っていきます。もちろんそんな状態なので、スノーシューをつけることもなく、また軽く雪が積もり、ふみ跡も程よくグリップするので、軽アイゼンもつけることなく、緩い傾斜を快適に登っていきます。
こんな快適な道を標高450m地点くらいまでいくと、
木々のあいだから盤渓山の稜線がみえてきます。
札幌の低山らしく、木々が密集した藪山なのですが、この時期は葉もないので、冬の木漏れ日が林の中までしっかりと届く気持ちのよい日差しを味わうことができました。
このまま天気が持ってくれればいいなと思いながら、トコトコと今回使っている尾根ともう一本南側の尾根が合流する場所あたりまで、来ると雲ゆきがあやしくなり、山頂下の急登区間になると見事に雪がおちてきました。
傾斜は奥三角山や、兜峰の急登のような傾斜具合なのですが、斜面が広く平均して同じ傾斜なので、直登ではなく斜めに斜めに登るようにふみ跡がついていましたので、それにしたがって登っていきます。
そして程なくして山頂へと到着。
展望自慢の山とのことでしたが、さすがに雪が降っているとその自慢の展望を楽しむことができません。
雪も風も強くなってきたので、そそくさと山頂をあとにしました。
一休みできそうなところを探して登って着た道をピストンでおりましたが、空模様も回復の兆しどころかどんどん雪と風が激しくなる始末。
のぼりには遊歩道並みの明瞭だったふみ跡も、20分前に着いたはずの私の足跡さえもきえていました。
雪山ならではの緊張感です。
降雪時のウェアの機能を確かめるのにも丁度よかったかも知れません。
果たして、その撥水性はというと、残念ながらイマイチといわざるおえませんでした。雪が降らないような状況でしたら、満足に足りるものですが、雪が降るとやはりつくりの弱さがでるのか、若干しみそうな気配がしてきます。
今回のような行動時間が短い山行だと許容範囲ですが、もっと長い時間を行動することとなったりとか、標高が高いところで行動となると、不安な感じがしました。
あと手袋も変に群れるので、突然風がついたりして体感温度が急激に下がるような状況だとこちらも不安な感じがします。
まぁ、今シーズンの冬山の計画としては、8時間以上の行動時間をかける山は登らないつもりなので、この装備で通そうかとはおもっています。
そんなこんなで、スノーシューは最後まではかずに雪面を快適に駆け下りて無事に下山となりました。
撮影場所 | 北海道札幌市中央区盤渓450 |
アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★★★☆☆ |
撮影機材 | sony DSC-W170 |
190万都市札幌の中核、中央区の住宅街の中に滝が落ちていることを知った。
住宅街に落ちる滝といえば、精進川の滝が色んなメディアでも記録されているし、このブログでも2度ほど訪れた。だが、場所は豊平区平岸。住宅街のど真ん中とはいえ、札幌の中心部からは若干離れている。
ところが、この円山不動の滝は、札幌の中心部から少しだけ離れた円山動物園から歩いて約1キロのところにひっそりと落ちている。しかもこの滝を落とす円山川はそのほとんどを3面護岸の水路のような様相なのだが、このあたりだけは原始河川のような姿を残し、その滝の名の通りお不動さんを祭った祠もある。信仰の滝なのだろうか。祠にはお供えがあり絶えず誰かがおとずれているのだろう。だた私のように物見遊山で訪れるひとは先述の精進川の滝よりも圧倒的にすくないだろう。アクセスの不明瞭さがそうさせているのだろうか。それとも紹介されることが少ないからなのだろうか。
ここへのルートとこの日登った札幌50峰の神社山と円山へつないだGPSトラックを下記に示し歩行記を記す。
スタートは、円山公園や北海道神宮を訪れるときに利用するカービススカイナー南1西28 のコインパーキング。
ここから円山公園の中を走る南1条通の坂をのぼっていく。
ややしばらく進むと円山動物園が見え、その後ろに神社山がその姿をあらわす。
藻岩山麓通と交差してから藻岩山麓通を南下して緩い坂道をのぼっていく。
途中隆光寺への案内板に従い住宅街の中にはいっていく。おもいもよらなかった傾斜の坂道に体が丁度よく温まる。目の前に明らかに登山ルックをした3人組が先行していた。こんな住宅街をそんな格好であるくってことはこの三人組も目的は神社山かとおもいつつ、履いているキャラバンスタンダードの靴紐を締めなおし傾斜を登る。この坂道のピークに当たるところが隆光寺。なかなか良い眺望がえらた。そこを少し過ぎたところに、
とりつきやすそうな場所をみつけたので、この場所から登ることにする。取り付いてはみたものの割りと急な傾斜と背丈ほどの笹藪に突入したのでカメラのレンズキャップをおとしてしまった。携行していたカメラはNIKON D3000 レンズは日本光学ロゴの古い35mm f/2 。レンズキャップが取れやすい懸念があったもののかまわず首からさげていったが、案の定おとしてしまった。2度ほどこの藪の傾斜を上り下りしたが差さと落ち葉の中でキャップを探すのは難しい。藪漕ぎの中、剥き身のレンズをさらして歩くのは抵抗がある。あきらめカメラをラップにくるみザックにしまうこととする。iPhoneもあるのでこの山行中はそちらで撮影することとする。
胸あたりの笹薮を漕ぎ尾根らしきところにたどり着くと、神社山とピークが見える。事前に地形図から読み取り想像していた山容とはことなり神社山ピークとコルをはさみ西側にもちょっとしたポコがあった。トラバース気味にコルへと進むこととする。傾斜がついてくるとうるさかった藪も少し薄くなり気持ちのよい山歩きの気分が味わえた。
コルにたどり着くと、葉を落とした木々越しに札幌の街並がはっきり見える。落葉期以降の景観なのだろう。もう少し樹林が薄ければとおもいつつも、ピークへと向かうこととする。
ここからピークへはあっという間にピーク(標高237m)へとたどりついた。標高差はそれほどないので、景観は先ほどのコルとほぼ変わらず
写りはえに変化はなし。
ところで先ほど住宅街で先行していた三人組がやはりこのピークにいた。今日は札幌近郊の山をいくつか回るとのこと。誰も来るはずがないと思ったら私が来てびっくりしたともいっていた。札幌50峰に数えられているだけあって、こんなマイナー山でもだれかかれかに会うものだ。以前夏の迷沢山に登ったときも同じような台詞を聞いた。
降りるのはどこからときかれたので、道立特殊教育センターあたりにおりようかと思うと答えたところ、登ってきたところとは反対側の北側の尾根に道がついていると教えてもらった。果たしていってみるとしっかりとしたふみ跡になっている。
結構な人が登っているのだろう。開削された様子はないがここまで明瞭に踏み跡になっているとは驚きだ。せっかくなのでこのふみ跡をたどって下山することとした。
降り口は、当初予定をしていた道立特殊教育センターからはずいぶん離れ、山体の北側へとたどりついた。降りる直前になると住宅街が見え、人様の庭に入り込まないように注意をしながらまたまた藪をこぐこととなった。
本日の目的の一つを終え、メインである不動の滝を目指すこととする。
藻岩山麓どおりを再度登り返し、界川へとの分岐をそのまま直進。幌平峠への看板がある辺りから
細いわき道を伝っていく、丘の上に立てられている瀟洒な住宅の街並から一点して、農村・山村の道のような様相となり円山川に沿ってあるくこととなる。
最終民家の脇を抜け、少しあるくと、
お目当ての不動の滝へとたどりつく。がけ下のあまり日が当たらない場所でこじんまりとしてはいるが、充分に信仰の対象となりえそうな雰囲気がかもし出されている。
このあたりを散策して思ったのだが、この後向かった円山も含め信仰の対象の自然物や寺社仏閣が多いことに気づく。
和人が入植して100数十年。開拓使がおかれた道庁あたりからこの山間部は充分に自然の驚異の尖兵だったのだろうし、その中に神々をみるこにはうってつけの神秘性があったのだろう。手稲山や、阿部山のように採掘のために使われ近代化の歩みの同調していった山々や定山渓のように景観の山とは違い、ここに定住していった人々の精神性がそのままパッケージされ、今に残っているような感じがした。
そんなことを思いつつ、ついでなのでこの滝の後に円山に上ることにした。
今回は、いつも使っている八十八ヶ所口の反対側を歩いているので動物園裏口から登ってみることとした。
普段はくだりで使うルートだが、のぼりでつかってみると、どんなもんだろうとのぼってみると。
20分もかからずに山頂へ到着。
先ほどの神社山、不動の滝とはうってかわっての展望良し。そして人も絶えず上りおりをしている。登山ルックの人、普段着の人、小さい子をつれて登っている人など沢山。この展望を見れること、札幌一有名な都市公園円山公園の一部のような扱いであることを考えれば当然なのだろう。
ここの動物たちはリスは当然。小鳥さえもひとなれしている様子で、
人に臆することなく小鳥がよってくる。周りを見るとえさのようなものがあちこちに。これには野生動物とのかかわりを考えると、少し考えらされた。
山頂で一休み後、八十八ヶ所口へ下山することとした。
くだりのタイムものぼりのタイムと同じ位だったことを考えるとこちらのルートは若干長いのだろうか。
合計8km強。おもったより歩いた散策だった。
札幌50峰 36/50 神社山(237m) GET
撮影場所 | 札幌市中央区円山西町5丁目 |
アプローチ難度 | ★★★☆☆ |
景観 | ★★☆☆☆ |
撮影機材 | nikon d3000 / iPhone 5c |
晩秋、札幌でも雪が数度にわたって降りました。そんな時期に丁度見ごろを迎えるのが、
北大いちょう並木 posted by (C)ジプシー
北大のイチョウ並木です。
そのイチョウ並木をバウといっしょに見に行こうと出かけたわけですが、もちろんそれだけでは終らせるはずがありません。
北大構内には、サクシュ琴似川がその流域の全部をあずけているのです。
これは、川沿いにあるくしかありませんね。
と、いうわけで、以下のルートであるいてきました。
まずは、中央ローンのサクシュ琴似川の起点から。
これは湧水池ではなく、 藻岩浄水場の放流水を廃止された水道管を利用してここまで導水しているとのこと。
札幌市の水と緑のネットワークでは、サクシュ琴似川ルートとして区分されています。
その流れは、北大の構内南部の中央ローンあたりでは、
導水直後なので、流量の調整もたやすいのでしょう。このように低い護岸で綺麗に整備され芝生の中をながれていきます。
この綺麗な芝生を流れた後は北9条通りの橋をくぐり、百年記念館をへて、弓道場の脇あたりまで流れてくると、
その姿は段々野趣をましてきます。
北大クラーク会館に通じる西8丁目の道路を短い暗渠でくぐった後、TOPの写真を撮影した大野池に飛び出ます。
この日はなにやらどこぞの写真倶楽部の人たちが大挙しておしよせていて池にレンズをむけていました。別段鳥がいたわけではないので、きっと紅葉なんかをとりにきていたのでしょうね。実際、綺麗な紅葉具合でしたしね。
さて、ここまでが、北大構内を流れる小さな川として、学生さんやここを訪れる観光客の人たちに認識されているサクシュ琴似川の姿ではないでしょうか。実際に川沿いに遊歩道がつくられていて、川に親しみながらお気楽に歩くことができます。
では、これ以降はというと、サクシュ琴似川の姿は、
大野池を出るあたりから原始河川のそれとなります。
再生された河川とはいえ、その流路は昔のものを使っているとのことですし、自然林をその構内に抱える北大です。中央ローンから、大野池までの整備された区間とはちがった姿をここにもたせたのでしょうか。
その姿は、札幌扇状地の端のメムから流れ出た水が、各河川の堆積物で生成された湿地をたどっていくそのものようです。
山をのぼっていると小さな沢を眺めることができますが、山地のそれであり、札幌のような都市部の平地で、このような湿地の中を流れる沢はあまり見ることができませんので、かなりわくわくしました。
ただ、この沢をたどれるような遊歩道はありませんでした。
だけど、晩秋です。藪の力も弱まっています。ここは、はいっていけそうな薄いふみ跡をたどって自然林の中へ突入です。
立ち入り禁止を示すロープがあったりしたので、沢筋を正確にたどることはできませんでしたが、
サクシュ琴似川の暗渠の手間まで自然林をつっきることができました。
ここからサクシュ琴似川はいったん暗渠となります。
紅葉が予想外にきれいだった工学部裏の放射線実験施設の下を暗渠はながれていき、理工学部棟の脇をぬけて、農場の端へと飛び出します。
北大名物のポプラ並木はまだ色付きには早かったようで、緑ままでした。
ここまででてくると、農地の雰囲気となり先ほどまでの大都市にぽっかり残された自然の名残はなくなります。
ここの農道のよな心地のよい砂利道をあるいていると、
マンホールを見ることができ、サクシュ琴似川暗渠の上であることをうかがいしることができます。
情報科学研究棟の裏あたりまでを歩いていくと、
暗渠区間は終り、サクシュ琴似川はその姿を見せます。
この農道は種畜場まで続き、沢筋から若干はなれます。
サークル棟への連絡路を渡る地点で再びサクシュ琴似川の姿をみることができますが、その沢筋をたどろうとするとすぐに、アイヌの遺跡保存庭園に行き当たります。
遺跡保存庭園というだけあってその中は公園としてのそれのような整備ではなく、保存地としての整備のようで、また藪漕ぎがはじまります。
湿地あるきの様相です。
バウもまた藪かといった雰囲気で仕方なくついてきているようでした。
なんと藪をつっきり、エルムトンネル上の北18条通りにいきあたると、やっと人の気配に触れるような気持ちでした。予定外の大都市の中の藪漕ぎ経験がやっと終ります。
あとはこの道路をたどって、桑園新川との切り替え地点の北18条西15丁目の交差点へとたどりついて、サクシュ琴似川探訪は無事終了となります。
導水された自ら始まり、きれいに整備された小川から、人口河川的な護岸された姿、暗渠、そして原始の湿地の沢とその姿をこの2~3kmでめまぐるしく変えるサクシュ琴似川。川好きの私にはとても楽しい散策道でした。
そして、このルート上には遺跡や植生に関しての解説パネルが点在していました。下記にそれを集めてみましたので、ご覧になってみてください。サクシュ琴似川沿いにあるパネルなので、河畔に関するものが多いです。あと、やはり川は人の営みに欠かせない存在であることがわかるアイヌ遺跡についてのパネルも多いです。
撮影場所 | 札幌市北区 北大構内 |
アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★★☆☆☆ |
撮影機材 | NIKON D3000 |