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谷地川河口~銭函天狗山 純登山その1~

谷地川河口

今回訪れたの河口。海は若干荒れ模様。これから冬へと向かう日本海の雰囲気バリバリの様相です。

ところで、この谷地川、開拓期から現在までの百数十年間の間に、2度の河道の切り替えが河口も含め人口的におこなわれたの2度の旧流路なのです。現在は、JR函館本線付近でのそばからを起点とした細々とした流れを、この銭函の市内までを運んでいますが、今の星置川の開削がおこなわれるまでは、この谷地川の流路を星置川がながれていました。

そのころの星置川の河口はこの場所だったのです。

で、今回はここをスタートとして

銭函天狗山と谷地川

銭函天狗山と谷地川

銭函天狗山へと純登山としゃれ込もうとやってきました。

DSC_0009DSC_0012

海抜0mから目標の山へと登る純登山の儀式として、靴を海水につけてスタートをしようというわけです。

この近辺には、車を止めるのに適した場所がないので、一旦銭函天狗山の登山口の駐車場に車を止めてから海までえんやこらとおりてきました。

で、写真のように、靴を海水につけていざスタートです。

ルートは以下の通りとなります。

ここから、銭函の市街地を通りながら途中踏み切りで

銭函駅

銭函駅

銭函駅に待機中の721系電車を撮り鉄しながら、のんびりと合い方ちゃんと銭函散策です。

GPSログを見ると、のんきな散策ルートが見て取れるかと思います。
この日は気温も下がりぎみだったので丁度いいウォーミングアップです。
体があったまったころ、銭函天狗山登山口の駐車場へと到着しました。

銭函天狗山登山口駐車場

銭函天狗山登山口駐車場

ここで、少し休憩買っておいたセイコーマートのコーヒーを飲みながら一服です。

で、さていよいよ銭函天狗山へと登ろうと登山道にはいっていきました。

すると!

ほどなくして!

なんと!!

こんな看板がでむかえてくれました!!!

テンションがあがる看板

テンションがあがる看板

川好きとしては、これはたまりません!

いままで土石流危険渓流に指定されている川を地図から割り出して訪れたことはありましたが、こんな看板はいままでみたことありませんでした。見たことのない看板に、河川名までがしっかりかいてあるなんて!

これはテンションあがりました!

いったいこの川はどこにあるのか!?

つづきは次のエントリーへ(^^

 

撮影場所
北海道小樽市銭函2丁目
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

伏籠川と篠路拓北川の合流点

伏籠川と篠路拓北川の合流点

の写真をとっていると、踏み切りの警告音が聞え初めてきました。 そこで第二伏籠橋の上にのぼってみてみると、ご覧のように、道道273号花畔札幌線の踏み切りと札沼線(学園都市線)の伏籠橋梁を通過する、735形電車を見る事ができました。

そしてここは丁度、の合流点なのでした。

篠路拓北川は写真の右下辺りの丁度伏籠川が少しくぼんでいる場所に流れ込んできます。源頭は札沼線沿線の南あいの里地区の耕作地で、その流路はほぼ直線と直角で構成されていて、下流部で伏籠川と併走をはじめる拓北1条2丁目あたりから蛇行をして自然河川風になっていきます。

果たして昔はどうったんだんだろうと、今昔MAPをみてみます。

1916年の地図をみてみると、現在篠路拓北川が蛇行している部分は伏籠川の流路であり、源流部の直線的な部分はどうやら耕作地の用水路のようです。

伏籠川の改修にともない、のこされた流路を用水路と連結をさせて現在の形となったと推測されます。

この川も、伏籠川の名残。

今回の散策は河川の昔の姿を訪ねる散歩となったようでした。

 

撮影場所 札幌市北区篠路5条10丁目 第二伏籠橋
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 nikon D3000

 

北斗星最後の日(豊平川橋梁)

北斗星最後の日(豊平川橋梁)
最後の寝台特急「北斗星」の運行最後の日に、豊平川橋梁までいってきました。

沿線には、多くの鉄道ファンがいて、

ありがとう北斗星

ありがとう北斗星

最後の勇姿を目にやきつけていました。

これを最後に北斗星の客車はどうなるんでしょう? スクラップになるとかって噂がありますが、どこかで保存をしてほしいものです。

IMG_3602

いったタイミングが遅く、いいポジションがとれなかったのが悔やまれますが、
Last of The Blue

なんとか見納めをすることができました。

この豊平川橋梁ですが、札幌に鉄道がはしりだしてからこの場所にずっとあります。改装とかもあったでしょうが、札幌の母なる川、にかかり、いろいろな人模様を乗せた列車が渡っていたのでしょう。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条1丁
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

月寒川旧流路を歩く。

月寒川旧流路をあるく。

久々のシリーズです。

今回は、もう埋め立てられてしまった川ではなく、現在もしっかり流れている川の旧流路をたどってみようと、白石区の北郷をおとずれてみました。

辿る流路は

この川の水系には、しっかりと、という旧流路をあらわす支流があるのですが、今昔マップで1916年の地図をみてみると、

札幌新道からの流路が若干ずれているようです。しかも旧月寒川の少し南側に遊歩道があります。宅地の中にひっそりと存在する遊歩道ってのは、 だいたいは河川跡か鉄道跡ってのが相場がきまっています。今昔マップで、じっくりと昔の月寒川の流路をトレースしてみると、この遊歩道としっかりと一致しました。

と、いうわけで、この遊歩道をまでバウと歩くこととしました。

ルートは以下の通り。

ほぼ1916年の月寒川の流路どおりでした。

スタートはTOPの写真の場所。JR線が月寒川をわたる鉄橋からとしました。

ちなみにここは、JR貨物の札幌貨物ターミナルの一角となっています。

札幌貨物ターミナル
札幌貨物ターミナル posted by (C)ジプシー

この写真は札幌新道の高架橋から札幌貨物ターミナルを月寒川の上流側から撮ったものです。丁度貨物列車が入線している最中でした。かなり広い敷地ですよね。コンテナとかは、この写真の逆側、大谷地の流通センターのところに無数においていあります。

閑話休題

では、スタートします。

月寒川旧流路遊歩道スタート

月寒川旧流路遊歩道スタート

鉄道脇の道路から少しだけ奥まったところに遊歩道のスタート地点があります。白石区内で鉄道の北側の河川跡に遊歩道を敷設しているのは ここだけではないでしょうか。の流路跡は鉄道の南側には遊歩道とかありましたが、北側は車も通れる一般の道路が敷かれていました。河川跡の遊歩道があるってことは、宅地や道路が現状とそれほど変わらない配置で造成されたころはまだ川がしっかりとその形を残していた証だと思います。逆に河川跡や暗渠の上に一般の道路があるのは、河川の改修とともに造成が始まった証なのではないでしょうか。と、いうことは、遊歩道があるところは割りと古くからある街並で、一般道となっているところは逆に比較的新しい街並として判断できるのではないでしょうか。ここ北郷はその視点でみるとわりと古くから現在と変わらない街並だったのでしょうか。

そんなことを思いながら割と広めの遊歩道をあるいていくと、

住宅街の生活道路を渡る遊歩道

住宅街の生活道路を渡る遊歩道

途中こんな感じで、生活道路の狭間に道が残っている場所があったりします。

詳しくはしりませんが、河川跡ってのはむやみに造成できないようだし、個人所有にもできないようなことを聞いたことがあります。この写真はここがそんな河川跡である動かぬ証拠なのではないでしょうか。

ここを過ぎると、道路の様子は最初の簡易舗装的な癒し系のアスファルトから、

DSC_0209自転車道路のようなしっかりとしたつくりの白線が引かれたアスファルトとなります。

この写真のような地図ではあまり読み取れないいい感じのカーブがあると、河川のあとをあるいているんだなって気分になってちょっとうれしくなりますね。

この道の先には、

北13条北郷通り

北13条北郷通り

北13条北郷通りに出ます。遊歩道はこの幹線道路を渡り先に伸びています。

アスファルトの様子はまた簡易舗装的な癒しの舗装路になり、公園や学校の横を歩いてくと、

素敵なS字

素敵なS字

こんな素敵なS字カーブがある道の先で遊歩道は現在の旧月寒川に沿ってしかれていきます。

旧月寒川河岸

旧月寒川河岸

ここを過ぎると、水源地通りをわたり、

そして、

厚別通りへ。

厚別通りへ。

厚別通りに沿うようにすすんでいきます。

厚別通りに沿っている部分は遊歩道はなく、厚別通りの歩道をあるくことになります。

ある程度まで進むと厚別通りから離れ、

厚別通り沿いの旧月寒川

厚別通りと離合直前の旧月寒川

再度遊歩道が敷かれ始めます。

遊歩道再び

遊歩道再び

そして、住宅地の中や学校の横を抜けながら

遊歩道後半戦

遊歩道後半戦

望月寒川の直前で、へと水をわけ、

米里川との分流点

米里川との分流点

旧月寒川は、望月寒川へその水をあわせ、遊歩道もゴールとなります。

望月寒川と旧月寒川との合流点

望月寒川と旧月寒川との合流点

月寒川の旧流路はこのあと、とあまりうれしくない名称をつけられ、豊平川へと向かうのでした。

このあとの逆川の探訪記は、以前逆川を歩いてみる。というタイトルでエントリーしていますので、そちらも合わせてお読みください。

今回の月寒川旧流路遊歩道、途中、北13条北郷通り、水源地通り、厚別通りなどの交通量の多い道路を渡るポイントもありまますが、底だけ気をつければ、道幅広く、道路状況もしっかりと整備されたアスファルトの道路で、まったりゆっくりと歩くには最適な2.7kmの癒しの小路でした。

バウといい散歩をさせてもらいました。

撮影所 札幌市白石区北郷1条10丁目5−20
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

農場川と北農沢川の合流点(皆楽公園)

農場川と北農沢川の合流点

ゴールデンウィークの最終日、月形の皆楽公園まで足をのばしてみました。ここにある遊水池は、多分地形的にの三日月湖になるのでしょう。そしてここを流路としているは以前そのまま石狩川にながれていた小さな沢の流れをそのまま命名した名前なのかと思います。

そしてこの遊水池にはもう一本という川も流れ込みそのまま流れ出し、途中須部都川に合流し石狩川へとながれこんでいきます。名前からすると農業用水のために開削された人口河川のようですが、流路をみると樺戸山地の中腹あたりにその源をもっており、自然河川然としたくねくねした流れでここまできています。さっするに元々あったこの沢を農業用水として利用していったのか、または命名するにあたり、沢の沿岸は農場だったからかなのか、そんな所なのかと思います。

この月形、開拓期には樺戸集治監がおかれていた場所としてしられています。各所にそのころを連想させるような名称がのこっていたりしますが、この農場川・北農沢川・皆楽公園なんかは、そんな月形町の地名の中ではほのぼのとした名称ですね。

皆楽公園の桜

皆楽公園の桜

この公園内には葉桜になりつつありますが、まだ桜の花をみることができました。

おまけ。

豊ヶ岡駅

豊ヶ岡駅

月形まできたら寄らずにはいられない、札沼線の秘境駅

豊ヶ岡駅で撮り鉄をしてきました。

撮影場所 北海道樺戸郡月形町 皆楽公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★★★☆
撮影機材 NIKON D3000

富志戸川とフシコ第1枝川の合流点 (ながぬまコミュニティ公園)

富志戸川とフシコ第1枝川の合流点

長沼町のながぬまコミュニティ公園内に架けられている旧舞鶴橋からの撮影です。

この公園内の貯水池に流れ込む川は、写真の手前に写っているが公園の東端を沿うようにながれ

フシコ第1枝川

フシコ第1枝川

公園の西端でが流れ込みこ

富志戸川

富志戸川

そのすぐあとに、貯水池を抜け出し支流の山根川へとむかっていきます。

 

この公園は長沼町の大きな公園事業によって造成されていて、近くにはマオイオートランドというオートキャンプ場や、ながぬま温泉などの施設が盛りだくさんにそろっています。公園内のほとんどを占めるのはパークゴルフ場で広々とした公園で汗を流し、ながぬま温泉でご飯と温泉につかっていくのが定番メニューな感じなのでしょう。

しかし、私の興味は、、、

こちらに向かうのでした。

夕張鉄道25号機とさくら

夕張鉄道25号機とさくら

バウとハイキングしようと馬追丘陵の瀞台(馬追山)(瀞台山行は次のエントリーにゆずります)にむかっている途中、この公園そばを車で通過しようとしたときに、こいつが目に飛び込んできたのです。

夕鉄25号機正面

夕鉄25号機正面

パークゴルフ場の中にひっそりとは言い難いそのくろがねの勇姿をたたえ、雨だれや塗装の浮いた場所から覗く赤錆にも風格を漂わせる、旧夕張鉄道25号機の姿を!

夕鉄25号機後景

夕鉄25号機後景

大正10年製造

蒸気機関車49694として大正10年から札幌鉄道に乗り入れ主に室蘭本線で活躍、その後夕張鉄道へ払い下げられ25号機として昭和36年から昭和50年まで運用されていたとのこと。

私、撮り鉄はありますが今まで静態保存の車両にはそれほど興味がありませんでした。しかし、この桜の中にたたずむ夕鉄25号機をみると、、、やはり写さずにはいられませんでした。

夕鉄25号機機関室

夕鉄25号機機関室

このなんともいえない漆黒の鉄塊感。SLってのはやはり迫力がありました。

ちなみにTOPの写真の旧舞鶴橋ですが、

 長沼町舞鶴地区は、南長沼と恵庭市との境界にあって昔はこの辺り湿地が多く、丹頂鶴がよく見られたことからこの地名となったという。

「旧舞鶴橋」は道道45号栗山恵庭線が千歳川を渡るところに架かる橋で、昭和7年から千歳川屈曲部の切替工事が行われ、昭和11年陸軍大演習の際に重車両を通すために鋼橋に架け替えられた。
橋にかかる力を主に桁で支え、アーチで補強するランガーガーダー式という構造で作られた北海道で最初の橋で、同じ構造では全国でも2番目に古い橋とされている。

現在の舞鶴橋の完成により平成5年にその役目を終え撤去されたが、歴史的価値が評価され、平成7年に「ながぬまコミュニティ公園」内に移設・復元されて親しまれている。

とのこと。

ながぬまコミュニティ公園、、、

遺構好きにはまったくワンダーランドな公園でした。

 

 

撮影場所 北海道夕張郡長沼町 ながぬまコミュニティ公園
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

星置旧川道を歩く 星観緑地から星置南4丁目

星置川旧川道を歩く

ここ最近4エントリーは星観緑地近辺の川の合流点を掲載してきましたが、今回のエントリーはその締めくくりです。この星観緑地の西縁は札幌市と小樽市の境界となっています。市区町村の境界ってのは概して川の跡であることが多く、この小樽・札幌間の境界も間違いなくの旧流路であることが、今昔MAPの1916年の地図を見ても確認とれました。


そこで、折角なので、歩いてみようとバウと一緒にでかけていたのでした。

そのGPSの記録を下記にしるします。

では、歩行記をスタートします。

スタート

スタート

スタートは、起点の対岸からです。境界なので、写真にも少しうつっていますが、境界を示す紅白のポールがたっていましたので、そこを目印に歩いていきます。小樽側は行き捨て場になっていて、うずたかく雪がつまれていましたが、札幌側はすっかり雪が消えて畑の準備が始まりそうな感じでした。

星観緑地入り口

星観緑地入り口

そこから畑の縁沿いに歩くと、下手稲通りにぶつかり、星観緑地へと入っていきます。小樽側に目を向けると、であろうくぼ地も目にはいります。

ポンナイ川との境

ポンナイ川との境

この写真でみると左側に伸びるくぼ地が星置川の旧流路で右側のコンクリの構造物の先がポンナイ川の流路になります。

進行方向はもちろん、星観緑地の中へなのですが、この緑地の縁はちょっとした林になっており、融雪直後のため緑地の境界をしめる木の塀は所々倒れています。きっとこれから公園管理の人たちがいろいろと整備をしていくのでしょうね。景観的には殺伐とした景観がつづきます。ただ、この時期は藪はそだっていないので、苦労せず歩みを進めることができます。所々にイタドリが倒木のように地面に覆いかぶさっている場所もありましたので、そのあたりは少しだけ歩くのは難儀でした。

 

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この星観緑地の縁にはご覧のように塀と排水溝が終始ガイドのように存在しているので、これにそうように緑地内を散歩していきます。この散歩の間早めの時間でもあったので、緑地内では人に合うことはありませんでしたが、もし他の人が私たちの歩いている姿をみたら、なんて物好きなやつが歩いているんだと、おもったことでしょう。林の中に春をすこしずつ感じながら緑地内を縦断すると、今度は、ほしみ駅前通りにつきあたります。そこで撮ったのがTOPの写真になります。写真に写っている川はです。キライチ川はここからJRの線路を越えるまでは、星置川の旧流路をたどっています。境界線は鉄橋を渡ったあたりで、東南の方向に進んでいます。と、言うことは星置川とキライチ川の旧合流点は丁度鉄橋の下辺りだったのではという想像がつきます。

このキライチ側の堤防をたどって線路の向こう側にでようと、当初は計画していたのですが、どうやら堤防は線路下をくぐっていません。これはしょうがないと一旦GPSのトラックを止め、迂回をしていきます。線路の反対側には星観緑地はないので、あとは地図を見ながら境界線をたどることとなります。

線路の反対側にでたあたりで地図をたよりにをみまわしてみると、

良い感じの土管

良い感じの土管

排水溝が良い感じの土管を通ってキライチ川に流れ込むポイントを発見しました。川の跡って言うのはなにやら法律で構造物の建造が規制されていると読んだ覚えがあります。きっとこの排水溝にそって歩けばとしっかりとしたログがとれるのではと、トラックログを再開いたしました。

ちょうどほしみ駅を見渡せるポイントまででたので、撮り鉄をしながら、

ほしみ駅

ほしみ駅

東側をみてみると、良い感じに屈曲した道を見つけることができました。

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しっかりと排水溝もあり、これはあきらかに境界線であり星置川の旧流路であることがわかります。

写真にもうつっていますが、どうやら私有地を示すロープが木にそってはっていました。その左の小さな土手の上にはアルミの柵もみることができます。でもその柵とロープの合間は共有地になるのでしょう。ということでこのルートは土手の傾斜を通っていきます。星観緑地内もそうでしたが、今回の星置川の探索ルートはなかなかアドベンチャーなルートだなと思いながらこの土手を通りすぎると。

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ほしみ駅への道路にでてきます。この道路の反対側をみてみるとまた良い感じでどうろが湾曲しています。これはあきらかに川の跡の道ではないでしょうか。うきうきしちゃいますね。

道の両側は民地なのでしょうから不法侵入にならないように道路の真ん中をしっかりと歩いてゆくと、星置川の堤防がみえてきます。

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川跡らしき平地を探しGPSトラックを作っていこうと歩き星置川の堤防に上りゴールとしました。

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堤防に上がってから国道5号線方面に目をむけ星置川の上流をみてみると、星置川が谷間を作ってながれてくるのが見る事ができます。

あの谷間あたりが星置扇状地の始まりになるのでしょう。きっと昔のアイヌはこの先を川に沿いながら手稲山へのぼっていったのかなと、おもいつつ帰路についたのでした。

撮影場所 北海道札幌市手稲区星置 星観緑地~星置南4丁目
アプローチ難度 ★★☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000 / CANON EOS X2

小沼川跡を歩く その2

小沼川跡を歩く その2

散策の続き、上流部菊水上町側をあるいてみます。

小沼川は、札幌東高校あたりの湧き水を水源とし途中をあわせ、菊水元町9条1丁目当たりでと流れを合わせへと流れを注ぐ川です。湧水を源とするのですから泉が枯れれば流れもなくなり川は埋め立てられます。そして残ったのが、菊水元町側は以前のエントリーの通り南7条米里通り。そして今回歩くのが菊水上町川に整備された、旧小沼川遊歩道です。

以前の流路は、今昔マップをみてみてください。

今回は、TOPの写真に写っている菊水上町側の小沼川跡と鉄橋をスタートし、札幌東高校をゴールとします。TOPの写真の右側に流れているのが小沼川の跡になります。小沼川自体は埋め立てられて地図からは消えていますが、その流路を利用して排水溝とでも利用しているのでしょうか、水の流れを見ることができます。ちなみに線路をはしっているのは、寝台急行はまなすです。通常運行の車両としては北海道で最後に残ったブルートレインです。

では、スタートしてみましょう。

スタート DSC_0031旧小沼川遊歩道の東端はこんな感じまだまだ雪に半分くらいは覆われています。前回の探索の際長靴をはいていったおかげかかとを軽い靴ずれにしてしまったので、今回はスニーカーにしたのですが、まだちょっとはやかったようです。早朝で気温もあがりきっていないので、そんなにぬからないかと踏んで雪の中藻すすんでみます。雪の途切れた道端には、

早くもふきのとうが

早くもふきのとうが芽吹いてきました。

春の息吹を感じられるような緑がみえはじめてきました。それでも3月の札幌、雪のたまりはそこかしこにあります。

菊水上町4条2丁目DSC_0034東端の遊歩道の終りと次の遊歩道の菊水上町4条2丁目あたりは、こんな感じで雪が厚く残っています。

目印がなく雪の山を登るのも少しきがひけたので、1メートルくらいはなれて平行している普通の道路を巻いてすすみます。

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菊水上町4条1丁目から菊水上町3条1丁目の遊歩道扱いになっている道路は割りと道幅もあり、両脇に宅地っぽく住宅が綺麗にならんでいます。くねくね遊歩道もここで終りか~と少し残念な気持ちで歩みを進めてみると、

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そんな思いをきれいに裏切ってくれるこのクネクネと残雪が3条1丁目の真ん中あたりからはじまりました。ただ、この突き当たりは数年前にお目見えした平和大橋の基部になって遊歩道は一旦分断されます。

ちょっと残念な気持ちで、平和通りを渡し向かいの道路にたどりつき、遊歩道をさがしてみると、、、。

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でました!雪の山にうまった遊歩道!

先ほどのように1mくらいしか離れていない巻き道はみつかりません。ここで迂回してしまうとなんだか負けてしまうような変な意地がわきあがりバウと一緒にこの雪の山にチャレンジをします。雪自体はぬかる場所はそれほどなく、ザクザクと歩みを進めることができました。

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菊水上町2条1丁目を斜めに進み雪山を無難にクリアすし、また遊歩道を探すと、、

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またまたでてきました。雪の山の遊歩道。しかも今度は回りに民家がきっちりとたちならんでいるので、その家の屋根の雪がおちてきたのでしょう。山の稜線のような格好で行く手を阻みます。それでも、私とバウの川跡探検隊はめげません。あまり埋まらなそうな場所を探しながらザクザクと進み、

DSC_0050

最後の雪山をクリアしました。なんだか楽しい気分になってきたところで、菊水上町2条2丁目で一旦遊歩道は途切れます。iPhoneのジオグラフィカの地図を見ながら小道のありそうな方向へ歩みをすすめると、

菊水いずみ公園

菊水いずみ公園

菊水いずみ公園なる街区公園につきました。いずみ公園なんて、なんて意味深な名前でしょう。きっと小沼川にかかわりがあるのでしょう。この公園の中をさくさくとすすみ出口にたどりつくと、道路を挟んだ反対側に、またもや遊歩道を発見

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このまま進み菊水9条の横断歩道のある交差点へとでました。

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この交差点から東高校側をながめてみると、良い感じの弱三角形の建物とその奥にちょっとした道が。川跡ってのは不自然な建物と道路が多いのは決まりきったことなので、12号線を渡りのその斜め道を通って東高校をめざします。

すると、東高校のグランドの向かい側に、

小沼川のメム跡?

小沼川のメム跡?

民地なのでしょうが、少しくぼんだ広めの庭らしきものを発見。もしかしたらここが小沼川のメムの跡かもと思いながらゴールとしました。

今回のルートはこんあGPSログとなりました。

IMG_0201

前回のルートとあわせてみると、

IMG_0202

このようになりました。わりと忠実にたどれたかなと思います。菊水上町側は白石川のときと同じように、見所満載の楽しい探訪となりました。

撮影場所 札幌市白石区菊水上町4条2丁目52−11
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000

 

小沼川跡を歩く

小沼川を歩く

 

さて、今回は札幌の河川跡としては割りと有名な跡をたどってみようと思います。

流路は、と同じく白石区菊水元町菊水上町を横断してで合流となります。

以前も掲載したこの昭和23年の空中写真をみてみると、前回歩いた白石川に平行してながれているところがうかがえますし、今昔マップの1916年の地図をみてみても、それは伺えます。

で、今回のエントリーでは、JR線を挟んで、逆川までの下流域を探索します。今回のTOP写真は残された小沼川の鉄橋付近から寝台特急カシオペアを撮影しました。ちなみにこの周辺は鉄道ファンの間では菊水S字とよばれ、もう少し札幌方のところに撮り鉄さんたちが毎日誰か彼かいるポイントだったりしています。

では、スタートです。

小沼川鉄橋・菊水元町側

小沼川鉄橋・菊水元町側

前回の白石川探訪のときと同じく、菊水元町側の派手な見所はあまり多くなく、最大の核心部はこの残された鉄橋でしょう。コンクリート製橋脚?と雪に半分埋まりかけ、しかも線路に平行している道路からもほとんど見ることもできず付近の整備工場の駐車場の奥にひっそりとたたずんでいる小沼川鉄橋。流路上で往時をしのばせる最後のポイントです。ここ以降は古い河川の形跡さえなくなり南7条米里通りが小沼川の跡地を悠々と縦貫しています。

小沼川オーバークロス

小沼川オーバークロス

線路からの下流域跡を走る南7条米里通りは、線路をアンダーパスによってわたっていきます。

 

1971年空中写真

1971空中写真
出展 国土地理院

1985年空中写真

1985年空中写真
出展 国土地理院

1971年の空中写真ではまだなアンダーパスもなく、白石川の流路もしっかりみることができます。また小沼川の流路もみることができます。1985年の写真では、アンダーパスはしっかりと整備されており、白石川の流路も見えなくなっています。現在の札幌市の街区に近くなっているように見えます。札幌にとっての高度成長期って本州とはちがって、1980年くらいからバブル崩壊直前の1988年あたりまでだったのかと思えるような写真です。

 

 

元町ストア

元町ストア

アンダーパスの連絡道路には道路整備によって取り残されたかのような商店の形骸がありました。 多分アンダーパスが整備される前まではこの踏み切りのそばには、お店が立ち並んでいたのではないでしょうか。そんなことを思いながら歩みを進めます。

アンダーパス
北13条北郷通りとの交差点
上白石神社
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アンダーパスをぬけて地上に出た後程なくして北13条北郷通りと合流をします。その後は上白石神社あたりで白石川と合流をはたし、また緩いカーブを描きます。

地図を見てみると、丁度北13条北郷通りとの交差点あたりが豊平川と一番近づいています。距離にして100メートルもないでしょう。1916年の地図を見てみても、逆川へとながれをあわせる前まではこのポイントが、現在と同じく、豊平川に一番ちかづくポイントです。

そもそも、豊平川は札幌扇状地を形作っているわけなのですが、開拓がおこなわれる前までは、ことあるごとに流れを変え取り残された川は支流となり、札幌北東部は見事に川だらけになっていたようです。どうやらこの小沼川もそんな取り残された川の一つであったという話もあるようなないような、、、。地盤にしみた水がメムで再度湧き出してきたとも思えます。

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さて、話を歩みにもどすと、北13条通りとの交差点からすこしあるくと、今度は環状通りとの交差点がまっています。現在はかなり交通量の多い2つの道路、片方は小沼川に沿って米里までと導く道ですが、果たして環状通りは、、。

今昔マップで昭和52年の地図を見てみると、豊平川をわたる橋はありませんですが、環状通りの道筋はしっかりありました。豊平川は都市を流れる大型河川としては類を見ないような急峻な河川だったそうで、貧弱な工法でつくった橋は洪水などが起きるとすぐに落ちてしまったようで、札幌市の橋の建設はわりと遅れがちだったとききます。

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環状通りとの交差点を過ぎると、緩やかな右カーブを切りながら逆川へと向かっていき小沼川の流路は終了となります。

今回の川歩き割と長い道を歩きました。街の中の道は雪もほとんどなくなりそろそろ春の装いといったところでしょうが、なんとこんな日に長靴でパタパタ歩いてしまいました。長靴に中敷をいれていないでの、かかとのあたりがすれてきて、軽いやけどっぽくなってしました。そろそろ待ち歩きはスニーカーへときりかえなきゃですね。

小沼川流路下流

今回の小沼川跡下流域のGPSログです。ほぼ南7条米里通り上です。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条1丁目7−22
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000/iphone5c

 

白石川跡を歩く その2

白石川跡を歩く その2

今回は前回エントリーの探索の続きです。

おさらい

”白石川の流路は、 白石公園あたりにあったメムを源に小沼川と並行してながれ、上白石神社あたりで小沼川に合流をします。その後は逆川→豊平川へと、どんどん合流を進めていきます。”

では、本文

今度は線路を挟んで下流域を歩いてみたいと思います。ちなみに下流域側の鉄橋は、この写真のキハ143の先頭が差し掛かりそうな白い柵のようなところに当たります。札幌方へ向かう線路側の鉄橋は鉄橋らしくなっていましたが、こちら側はもはや鉄橋とはいい難い状態でした。多分、札幌方の線路は千歳線と函館線が豊平川をわたったあたりで分岐をしていたころの昔から使われている経路なので、鉄橋はそのままのこっており、こちら側は両線の分岐がもっと奥、平和駅のあたりでおこなわれるようになってから作られた路線なので、河畔が整備された後に新たにつくられたのでしょう。

その辺の変遷は、下記に埋め込んだ今昔MAPというWEBサービスの左メニューから年代をかえてみると見て取れます。ちなみに、1976年までの地図だと千歳線への分岐がこのあたりでおこなわれていたのがわかります。

この今昔MAPで1916年の地図を見てだいたいのあたりをつけてあるいてみることとしました。

まずは、

スタート

スタートです。

JRの線路の函館線・旭川方面、千歳・苫小牧方面側の白石川の出口からスタートします。1916年の地図をみてみるとここら若干右へ湾曲をしているよです。そこで道に沿いながら十字路を右にまがってみると、

菊水元町ポプラ公園

菊水元町ポプラ公園

菊水元町ポプラ公園という街区公園がありました。地図をみてみるとこの公園台形型に区画がきられています。近隣の区画はわりと四角に近いのですが、、、こうい区画のきり方は割りと川の跡をつかったりしていたりします。今回の核心部はこの台形型の公園のような気がします。

なぜかというと、前回のように明らかに川道を想像させるような目だった特長がなくきっちりと最後まで区画整理された道を歩いてきたように感じるからです。

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IMG_0147白石ポプラ公園を出ると、このようにまっすぐ整備された歩きやすい道を東に向かって歩いていきます。

昔の地図をみてみると途中で、川道は左にカーブをしていたので、だいたいここらあたりかなと思うようなところから、左折をしてみました。

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左折後しばらく歩くと、細い道がみえてきたので、そちらを右折し、進路をとることとします。

この細い道も所謂生活道路のような感じで、川の跡をかんじさせるようなものではありませんでした。

 

そして、道は北13条北郷通りへとぶつかります。

北13条北郷通り

北13条北郷通り

この写真のENEOSの看板のよこが先ほど歩いてきた道です。この地点はすぐそばに南7条米里通りの交差点があり、すぐに目指す上白石神社が見えてきます。南7条米里通りを渡ると、

上白石神社

上白石神社

前庭の車寄せと大きな松ノ木のせいか都市化の進んだ地域にある小規模な神社としては立派なたたずまいにかんじます。祭神は大山祇神、山から下りてきて恵みをもたらすとされる神様として信奉されているで、谷地を切り開き、故郷仙台白石のように豊穣なる地としてねがった人々の守神としてここに鎮座しているのでしょう。

ちなみにこの菊水元町は、元々は上白石村として始まった地なので、この名前なのでしょう。

古地図によると、この先が丁度白石川と小沼川の合流点となります。

小沼川と白石川の合流点?

小沼川と白石川の元合流点?

きっとこの写真の奥辺りだったのでしょうか。

そんなこんなの白石川跡探索の巻でした。

白石川下流域ログ

白石川下流域ログ

 

今回の行程は上記のようなGPSログです。実際の流路と近い感じには歩けたかなとは思います。

ちなみに前回のログとあわせると、

白石川跡全流域

白石川跡全流域

 

こんな感じになります。

全域通して割と近く納められたような気がします。

前回の線路から上流域は工場地帯として、今回の線路から下流域は宅地として、しかも地主さんなのか、大きな邸宅が多く、元々この地に住んでいる人々が多いような印象でした。

小沼川との合流点・上白石神社の周辺に人が住み、上流に向かって農地を耕していったのかと思わせるような街並の遷移でした。

また、ほかの川でもこんな探索をやってみようと思います。

 

撮影場所 札幌市白石区菊水元町1条3丁目1−37
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 nikon d3000