清田川とトンネ川の合流点

清田川とトンネ川の合流点
先ほどのエントリーのポントンネ川とハルキポントンネ川の合流点から北東へ羊が丘通りあたりまで足を延ばすと、今度はの合流点へと行き当たります。今回の清田4河川めぐりはこれで終着となります。清田川はこのあと、羊が丘通り、国道36号線の下をくぐり厚別川へと合流をします。

札幌市内を流れる地区名をもった河川は結構おおく、その流路も厚別川を代表とするような市内を縦断するものもすくなくないのですが、この清田川は、地図をみるだけだと、2~3キロくらいにしか見えず、清田団地の中を流れる小河川にしか思えないのですが、時代をさかのぼってみると、清田団地造成初期には南北を分かつ流路をもってたようです。それが平成2年に清雲橋ができたことにより南北をつなぐことができたと、清田区のホームページに記載がありました。それなりに流路距離を持っていた河川であることがこの文面で推察できます。その清雲橋のあたりは、まだいったことがないのですが、地図をみると清田南公園となっています。インターネットで調べてみると、半分以上が自然林の公園とのことなので、きっと清田川の流路も見つけることができるでしょう。今度機会があったら訪れてみたいと思います。

撮影場所 札幌市清田区清田3条3丁目4−5
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON COOLPIX 2500

ポントンネ川とハルキポントンネ川の合流点

ポントンネ川とハルキポントンネ川の合流点
先ほどエントリーのトンネ川とポントンネ川の合流点の合流点から西方面にあるいていくと今度はの合流点があります。写真のようにハルキポントンネ川は暗渠化され、この地点でポントンネ川と合流します。写真をみてみると羊が丘がこんもりとみえていますね。もう少し西方に歩みをすすめると清田団地と羊が丘の緩衝地域にぶつかります。そこは道路わきに柵がもうけられそれ以上は歩みをすすめられなくなっていました。

このハルキポントンネ川の流路はきっとそこに踏みいれば見ることもできそうなのですが、さすがに深い藪を漕ぎだすには経験が少なすぎました。

ハルキは、ポンと同じように小さいというアイヌ語の意味をもっているので、ハルキポントンネ川はポントンネ川の支流といった意味合いなのでしょうか。

ちなみにコカコーラから発売されている「いろはす」というミネラルウォーターの取水地は清田区です。まさかこのあたりとはおもいませんが、清田団地という名称から、このあたりに足を延ばすとついつい「いろはす」のことを思い出してしまいます。

清田トンネ公園

清田トンネ公園
うつっているしっぽはバウのしっぽですw

ハルキポントネ川の暗渠の上には元の流路に沿うように、清田トンネ公園が造成されています。もともとが丘に展開されている清田団地の西の端に位置するので、清田団地をかるく俯瞰のできる広々とした都市公園です。

河川流路あとはこのような公園や遊歩道として活用されている場所も多くあります。これも一つの川と人々とのかかわりかたなんだなと思いつつこの公園を後にしました。

撮影場所 札幌市清田区清田7条1丁目32−10
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON COOLPIX 2500

トンネ川とポントンネ川の合流点

トンネ川とポントンネ川の合流点
今回から8エントリー分は昨年の9月21日~9月23日・9月28日・9月29日に訪れた合流点の紹介となります。

まずは、清田区の新興住宅地清田団地を流れるの合流点です。

トンネ川のの由来はアイヌ語のト ンニ・ウシ・ナイ(ナラの木が群生する川)からきているそうです。そこにそそぐポントンネ川のポンは小さいを意味しています。ト ンニ・ウシ・ナイの支流といった意味合いでしょうか。現在は両河川とも3面護岸でコンクリートによって固められていますが、その昔は羊が丘の丘陵地帯からつづくこの地へそそぐせせらぎだったのでしょう。この清田地区は開拓初期から水田が開墾されてきており、昭和19年の字名改正の際、美しい清らかな水田地帯という意味で 「清田」となったそうです。その清田地区も今では宅地となり写真のようにこじゃれた住宅が丘に面して並ぶ地域となりました。

開拓以前の丘陵地帯~開拓後の水田地帯~現在の住宅地と、この地は変遷をし、それに合わせ流路川岸を人の手にゆだねながらも今もなおその流れを見せる清田の小河川。こういった新興住宅地の中を川面を見せながら流れる川は札幌では多くはない風景です。

清田団地の川めぐり途中で見つけたナナカマド

ちょうど紅葉がはじまりかけていました。

撮影場所 札幌市清田区清田5条2丁目6−7
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON COOLPIX 2500

野津幌川と農場川の合流点

野津幌川と農場川の合流点
水田の稲穂も頭をたれて収穫待ちとなってきました。そんな秋の日に訪れたのが、手前から奥まで流れると丁度田んぼの切れ目あたりで合流するです。

名前からして、農業用水といった感じの農場川なのですが、その名前の由来はインターネットを探すだけでは、見当たらず、、、。流路の地図を見ると大曲を走る道道1008号のあたりに源を発し、大曲の農業地帯を縦断しここで野津幌川に注いでいるので、農業用水の任をまかされているのは間違いないでしょう。 大きな農場でもあったのかな。。。古地図なんかを調べれば、なにか手がかりとかみつかるかもしれませんね。

で、なぜ今回ここを訪れたのかというと、グーグルマップをながめていたら、なんだかよさげなJRの陸橋をみつけたからなのです。勇んで現地に到着しましたが、、、、

トワイライトエクスプレス

北広島の高架を走るトワイライトエクスプレス

鉄塔や、電線や、札幌方面の列車を撮るには午前中はモロ逆光となるためなかなか難しい撮影ポイントでありました、、、。

天気がよければ撮りに行こうと思って暖めていたポイントなので、今回はなぜか負けた気持ちになってしまいました。

撮影場所 北広島市西の里452
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

千歳川とトマンベツ川の合流点

千歳川とトマンベツア川の合流点
前日まで大荒れの天気だった道央なのですが、一転本日はご覧の通りの青空を示してくれました。そんな気持ちのいい秋空の元、訪れたのは、の合流点です。千歳川は札幌近郊を流れる大規模な川としては珍しく、クネクネとした流路をのこしている川です。この写真でも流路の曲がり具合がみてとれるかとおもいます。

一方写真左手前にすこしだけ見えるトマンベツ川ですが、漢字では登満別川と書きます。由来はアイヌ語の「トー・オマ・ペツ」または「トマムペツ」(湿地・沼からの川)とのことで、その通り源流は、野幌原始林の登満別園地奥の小さな沼を源にしているようです。野幌原始林の登満別口あたりの遊歩道を歩けばその片鱗がみえてくるかもしれませんね。

早苗別川起点・大沢川と学田川の合流点でもかきましたが、開拓初期の北越殖民社の先遣隊のみなさんは千歳川を船で登り、多分・はたまたこのトマンベツ川沿いに入り込みその拠点をつくり現在の東野幌・西野幌の耕作をおこなっていたのではないでしょうか。

秋空

千歳川堤防から
東野幌の耕作地を望む

そんなことを思いながら収穫作業がどんどん進む、東野幌の耕作地帯を秋空のした眺めていました。

撮影場所 江別市東野幌721−115
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 sigma dp2

野津幌川と立花川の合流点

野幌川と立花川の合流点
今回は札幌市の隣町北広島市で出会うの合流点にいってまいりました。

とはいえ、札幌市厚別区との境界のすぐそばなので、そんな遠出ってほどではありません。以前ご紹介した野津幌川と大曲川の合流点のすぐそばにこの合流点はあります。は札幌と北広島の境界をつくっているような川ですが、写真左の排水溝から水をおとしている立花川はというと、ぱっと見農業排水路のために開削された川にもみえます。ところが調べてみると、案外昔からあった川のようです。しかもこの立花という名前、厚別区上野幌から北広島市西の里のこの辺りの野津幌川沿いの地域名だったようです。大正初期に薄野遊郭の芸妓・立花がこの辺りで馬追い相 手の店を開いたのに由来されているようです。この立花の店、駅逓の役割もはたしたようでこのあたり一体を取り仕切っていたことが伺いしれます。

今では、写真のように里山と住宅街の端境のようなのんびりとした空気感が流れる同地域ですが、昔は街と街を結ぶ中継点としてそれなりの要衝だったのではないでしょうか。

川の名前から昔の人々の生活を感じるのも川歩きをする楽しみでもあります。

ちなみにこのそばはJR千歳線が小高く盛り土をされ走っています。

北広島市西の里立花地区より。

来年に運用廃止になるトワイライトエクスプレス。

ちょうど空も曇っていたこともあり流し撮りを楽しんできました。

[快速] エ ア ポ ー ト 92 号

快速エアポート
旭川からのスーパーカムイをそのまま千歳空港までの乗り入れ接続した789系電車

撮影場所 北広島市西の里474
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

篠津川と篠津運河・ 八幡二十五線川の合流点

篠津川と篠津運河・ 八幡二十五線川の合流点
夏もすっかりおわり秋が顔をだしてきた江別市八幡地区の篠津運河水門までいってまいりました。

写真手前をながれているのが、。右に見える樋門からは。左から流れ込むのがの3河川の合流点です。

篠津川は当別町・新篠津村・江別市をむかしからの流路に近い流れでくねくね蛇行しながらここまできて、ほどなくしてへと合流します。 一方八幡二十五線川は農業用・排水の役割をもち江別市の八幡地区の農業に貢献しています。そして篠津運河は月形の石狩頭首工から石狩川と別れここまで直線に近い流れでやってきます。

このあたりは農業地区なのですが、この篠津運河のおかげでその生業を成功させていったのでしょう。元々が泥炭地のこの地域、水はけは良くなくまた用水も不足していたので、昭和26年に石狩川頭首工の建設がおこなわれここまで各種の用水・または排水路として活躍しています。川幅などの関係からか篠津川を渡る橋よりも篠津運河を渡る橋のほうが立派に見えます。そのため篠津運河を篠津川と勘違いする方もおおいようです。

このあたりの地域にかかわらずですが、昭和56年の大洪水というのは、かなりのインパクトがあり河川治水事業がぐっと加速したきっかけでもあります。このポイントも例に漏れず、洪水対策がきっちり行われています。この写真をとったすぐそばに、篠津運河水門があります。

篠津運河水門

篠津運河水門

この水門のおかげで、大洪水の憂き目にあわなくなったとのことです。

人と自然の戦い。かなり興味深いです 。

 

昨年10月撮影

昨年10月撮影

ここの場所も昨年撮りに着ています。

今にも降り出しそうな雲のおかげか、かなり暗い写真となってしまっていたので、今回改めて撮りにいきました。

撮影場所 江別市八幡44
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★★☆☆☆
撮影機材 NIKON D3000

豊平川と南の沢川の合流点

豊平川と南の沢川の合流点
8月も最後の週末となりました。今回は南区にお住まいの方には親しみ深い藻南公園のそばであわせる、の合流点です。

札幌市街地ではとうとうと水を流し母なる川にそぐわしい姿を見せてくれる豊平川ですが、真駒内あたりまでの中流域はご覧のように荒々しい姿を見せてくれます。以前紹介した豊平川と観音沢川の合流点豊平川と東御料川の合流点豊平川と北の沢川の合流点など、豊平川とあわせる際に滝、または滝状の流れをつくっている合流点は少なくありません。今回の南の沢川の合流点もその一つとなります。

これは大昔の支笏火山の噴火の際に出来上がった地質を豊平川の急峻な流れでけずりとられてできた地形だそうで、地質学に明るい方々にはとても興味深い地域でもあるとのこと。 門外漢の私にはすさまじく荒々しい景観だ。位の感想しかもてませんが、実際にこの地を歩いてみると、普通の岩や石よりも粘度?摩擦係数?が高い河原の岩に驚きます。一般的な川底や河原の岩盤よりもやわらかいのも実感できます。

そんな豊平川中流域だから見ることができる景勝地が

おいらん淵

おいらん淵です。

 

豊平川は札幌を形作った豊平川扇状地を作った川です。当然札幌市内を流れる川の70%が豊平川の支流といっても差し支えないでしょう。そんな豊平川ですから、当然水量も多く、しかも真駒内あたりまでは段丘地帯、そのさらに上流は山地帯となっているので、流れも急峻になります。その流れで岩盤は削られ深い淀みと激しい淵を形作ったのがこのおいらん淵です。春~初夏にかけては支流の雪解け水を一手に引き受ける豊平川なのでここまで淵の壁を見せることはありません。渇水期のこの時期でさえ、雨が降れば一気に水量を増し、この淵は荒々しい瀬となります。そんな気まぐれな景観をいつか青空とともにカメラにおさめたくおもっていたのですが、やっと今回かなうことができました。贅沢をいうともう少し流量が減っていればもっとローアングルからも狙えたかな、、という気持ちもありますが、なにせ相手は自然なのでこれでよしとしようかと思います。ただまだまだ機会があれば狙っていきたい景勝地の一つです。

おまけ バウと南の沢川の合流小滝をスナップ。 滝の大きさがわかりやすいでしょ?

おまけ
バウと南の沢川の合流小滝をスナップ。
滝の大きさがわかりやすいでしょ?

そして、恒例の実は、、、シリーズ(笑

昨年10月撮影

昨年10月撮影

 

昨年10月にもこのポイントは撮影に来ています。

薄暗くなってから撮影したので、ISOを上げコンデジの内臓ストロボを使用したのですが、案の定高感度ノイズがのってしまっていたので、せっかく青空が見えた今日、撮影しなおしとしておもむきました。

 

撮影場所 札幌市南区川沿6条2丁目
アプローチ難度 ★★★☆☆
景観 ★★★☆☆
撮影機材 CANON EOS KISS X2

鴨々川から創成川への切り替え点

鴨々川から創成川への切り替え点
今回は札幌のど真ん中を流れると切り替わる地点のご紹介です。

豊平川と鴨々川の分流点のエントリーの際にも記しましたが、行政的にな河川区分としては鴨々川という川は存在せず、から分流してからすぐに創成川となります。しかし、特に幌平橋下の分流点からここ南7条までの区間は創成川とは呼ばずに鴨々川と呼ばれています。なぜこうのような呼称になったかというと、

  • ①サケを採る曲げわっぱ説
  • ②京都の鴨川に因む説
  • ③昭和4年に造られた料亭・鴨川の名に因む説
  • ④往年川筋に鴨が多くいたからという説
  • ⑤「鴨々川」が始まる「対山橋」の辺りが、「カムム」と呼ばれていた説

など等いろいろあり実際のところは、???の状態です。私が小さいころは鴨がいっぱいいるからと聞いた覚えがあるのですが、本当のところはどうなんでしょうね。

ただそんなにこだわるようなことでもなく付近の住民に鴨々川の名でいつの間にかしたしまれていった様は都市河川と住民の幸せな関係の一例なのではないでしょうか。

札幌の都心部は五番目にきっちりと区画整理され繁華街のすすきのさえも整然とした街並となっています。ただ、この鴨々川沿いにだけ斜めに走る道があったり、川に沿うようなカーブのついた区画があったりと、ここの区間だけは札幌の街並というよりも本州の古い街並といった趣きを見せてくれます。そして創成川へと名前が切り替わるここからへの合流点までは一変して定規でひいたような直線の流路となっていくのです。

おまけ 今回の撮影ポイントで見つけたきのこ。そろそろ秋の気配がやってきてますね。

おまけ
今回の撮影ポイントで見つけたきのこ。そろそろ秋の気配がやってきてますね。

ついでに、撮影帰りに豊平川橋梁にたちより

豊平川橋梁を渡る733系電車

豊平川橋梁を渡る733系電車

札幌行きL特急スーパーカムイ785系電車と苫小牧行き733系普通電車のすれ違い。

札幌行きL特急スーパーカムイ785系電車と苫小牧行き733系普通電車のすれ違い。

バウの散歩がてらこんな撮り鉄をたのしんできました。

 

撮影場所 札幌市中央区南7条西1丁目1−1
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 SIGMA DP2

早苗別川起点・大沢川と学田川の合流点

早苗別川起点・大沢川と学田川の合流点

、さなえべつ川と読みます。今回はこの早苗別川の起点であり、野幌原始林の大沢池から流れ出る(写真奥から流れてい川)と同じく野幌原始林から流れる(写真左の突堤にかこまれている川)との合流点の写真を撮りにいきました。

早苗別川はここを起点として一旦南東へ流路をとり東野幌の耕作地帯で90度北進し千歳川へと合流します。このポイントへたどり着く道の途中には、野幌神社が鎮座しています。江別の開拓は屯田兵と北越殖民社の2大勢力によって進められていきました。現在の野幌原生林の丘陵のふもとに広がる耕作地域は北越植民社の手によるもので、野幌神社も北越植民社の手によるものだそうです。

以前のエントリー千歳川と早苗別川放水路の合流点にて江別の舟運のことを記述しましたが、その舟運と北越植民社にかかわるこんなエピソードがあります。
明治19年7月25日、北越殖民社の大河原文蔵らは野幌原始林を踏査を行おうとした際

「原野歩行スベカラザルト聞キ、幸ヒ漁翁扁船ヲ行カントスルニ会フ。乃チ之ヲ傭テ斗萬別(とまんべつ)ニ遡ル」(『草叢日記』)

と江別川(千歳川)を舟で遡り原始林の踏査へと踏み出したとのこと。いかに当時の原野が深くそして千歳川の航路が近隣の住民の足となっていたかを伝えるようなエピソードではないでしょうか。斗萬別(とまんべつ)<現在の登満別口あたり==野幌原始林を指すのでしょう>に源を持つ川は当時は小さい沢も合わせればたくさんあったでしょうが、比較的川幅があったのは、この早苗別川とトマンベツ川なのではないでしょうか。そして、先述のエピソードとこの地域に建立されている野幌神社を考えると、この早苗別川にも舟が浮かんでいたのではないでしょうか。

今では舟を浮かべるにはかなり無理のある水量ですが、この川に舟が浮かんでいたことを考えるとなにかわくわくする気持ちになりますね。

撮影場所 江別市西野幌515
アプローチ難度 ★☆☆☆☆
景観 ★☆☆☆☆
撮影機材 sigma dp2