伏籠川と篠路新川の合流点
前二つのエントリーと同じく2013年12月7日に撮影した合流点です。前二つの写真は方角としては南や西方面へ向けてレンズをむけているのですが、この伏籠川と篠路新川の合流点を撮影したのは北の方面へとレンズをむけました。 同じ日の同じような時刻なのに、空の色がまったく変わります。冬のこの時期はこういった天気が札幌にはよく見られます。もっと極端になると同じ札幌市内でも北区は吹雪、南区は快晴なんてこともよくあります。
今回ご紹介のモエレ沼を起点とする篠路新川は人口河川として開削されていたものです。もう少し下流に行くと篠路川という川がありますが、昔伏籠川が二股に分かれていた片方を篠路川と呼んでいていました。今回の篠路新川とは直接のかかわりはないのでしょう。
この両河川とも直線的な流れを地図では見ることができますが、開削された歴史を持つ篠路新川は別として、伏籠川は
川の名の由来は、アイヌ語の「フシコ・サッポロ・ペッ」(古いサッポロ川)から。アイヌ語で「サッ・ポロ・ペッ」(乾いた大きな川)と呼ばれ、札幌の語源ともなった豊平川は、かつてはこの伏籠川の流路をたどって北に流れ、篠路で石狩川(茨戸川)に注いでいた。しかし江戸時代後期・寛政年間の洪水で流路を東に変え、現在の江別市対雁で石狩川に合流するようになった。それ以降、それまでの河道を「古川」の意で「フシコ・サッポロ」と呼び習わすようになったのである。
かつて幕末の札幌に掘られた大友堀は伏籠川に連絡し、琴似川もまた伏籠川に注いでいた。伏籠川は、札幌扇状地から流れ出る川の一つであったが、市街化の進展と地下水位の低下によって上流の長さを縮めた。旧流路の一部は、伏古公園の東から伏古拓北通の緑地帯として現在の起点まで伸びている。流域には、河川改修によって取り残された蛇行部が、ところどころに伏籠川の小さな支流として残っている。
引用元 wikipedia 伏籠川
とのことで、豊平川の旧川道としてのなごりでありその流路の歴史も紆余曲折があった川のようです。
何気なくみている大きな川も実はいろんな歴史があるのだと改めて思った伏籠川散策の一日でした。
撮影場所 | 札幌市北区篠路4条10丁目11−18 |
アプローチ難度 | ★☆☆☆☆ |
景観 | ★☆☆☆☆ |
撮影機材 | SONY CyberShot W-170 |